2014年1月7日火曜日

2014年が始まりました

2014年が始まりました。相変わらず、ブログの更新は滞ったままです。

今年の目標は正直まだ何も決めていません。ただ、失われつつある読書の習慣とその感想を記録すること、その他日々の考え事を記録する習慣は取り戻さなければいけないなと強く思っています。

今、思考と行動、概念と実践という言葉について色々と自分なりに考えています。昨年一年間は仕事の部署移動があったり、家族が大変な目にあったりとゆっくり考える暇無く、迫りくるタスクと格闘してばっかりだったように思います。忙しさにかまけて読書意欲も衰退する一方です。

2013年の1つの収穫であったレ・ミゼラブルの新演出版についても9回ちかく観劇しましたが、一度もエントリーすること無く終ってしまいました。

散々書き散らしたCATSのエントリーも、宮城2回、静岡3回の計5回の鑑賞にも関わらず一度もエントリーしていません。


こういう一年を振り返ってみると、思考、考えるという行為はアタマの中だけでは決して完結しない行為なのだなと思います。これまでは、読書したり映画みたりミュージカル見たりした後で、その感想や体験の本質をつかみ出そうと、なんとか自分の中のアタマをほじくりながら言葉にしてきました。そう、思考というのは言語・言葉を使って行うのです。思考という行為は言語化をともなったアウトプット行為に他ならないのです。作品を味わって「あ〜よかった〜」というのは感じているだけで思考にまで届いていない、あくまでそれは思考のプロセスの途中なのだとしみじみと感じています。

そして、ブログなどに自分のつたない考えであったとしても言語化して脳みその外に出力すると、出力された情報を自分で再認識し、あらためてそこから考えるキッカケが生まれます。実際、過去のエントリーを書いていたとき、自分は常にそういう状態にありました。エントリーを書くために試行錯誤した時間と文字にまとめる行為を通して考えるという行為と向き合っていたんだなーと思います。

なんで急にそんなことを思ったのかと言うと、昨日からある学会へ投稿する論文を書いていてあらためて自分の文章センスや論理展開、思考の深さや体験の濃淡を感じているからです。そして、苦しみながら言語化してみて、改めて思考するってこういうことだよな〜と清々しい気分を感じているからです。

このブログは相変わらず読者を意識していない、僕個人の意識のまんまに書いています。

だから第三者からすれば、まったくもって共感できない文章となっていることでしょう。でもそれでいい。それがいい。きちんと伝えたいメッセージがある時は、伝える様な論理構成と文章展開を考えて書くから。

今は、アタマの中身を外に出す習慣を復活させるのが最優先。

まともな思考はまともな文章が書けるようになって初めて身に付くとおもいます。であれば、文章が書けない人はまともな思考ができないのか?僕の体験的感想から言えばYes。だったらどうする?まともではない文章をアタマの外に吐き出して、まともじゃない文章だと自己認知しつつ、少しずつまともな文章になるよう、改善していくしか無い。

まともな文章って?

とりあえずは論旨明確、言語簡潔、意味明瞭くらいと思っている。