2014年10月11日土曜日

子どもの創造力スイッチ!遊びと学びのひみつ基地/石戸奈々子

2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時には今は存在していない職業に就くだろう キャシー・デビッドソン

1986年に小学校に入った僕ですが、その時にITベンチャーなんてカテゴリはおそらくなかったはずです。インターネットのサービスを駆使するIT系の企業は、日本でブロードバンドが普及し始めてから一気にでてきた企業。ということで、冒頭の発言も間違いなく起こりうる未来なんだと思います。

今は存在しないが近い未来にでてくるであろう仕事(職業)に必要な力やスキルってなんなんでしょう?間違いなく言えることは「創造力」はいつの時代にも求められるとういこと。

”未来をつくるのは子どもたちの創造力だ!”という考えのもと創造的な学びの場をつくり続けている団体がNPOのCANVAS。そのCANVASを立ち上げた石戸さんによる著書が今回紹介する1冊です。






読んでみて思いますが、この本、子どもの教育に携わる人だけでなく、創造性という言葉に関心のある人全員が読むべき本だと思いました。子どもにも大人にも必要な大事な視点が沢山紹介されています。

ビジネスの世界でいま注目を集める言葉の一つは「イノベーション」。そして、それには新しいアイデアやコンセプトが必要ですが、その前提になるのは創造力でしょうから。それに、大人であっても子ども心ってありますよね。

本書では、子どもの創造性を育む世界の様々な事例が紹介されているのはもちろん、CANVASのこれまでの取り組みが著者の想いに溢れつつ紹介されています。読んでいて刺激を受けるだけでなく、心がポカポカしてきます。


3つのパートで構成される本書。
はじめのパートではMITメディアラボの環境を紹介しつつ、世界の学びの場の変化の様子、さらに現代の情報化社会において子どもたちに必要とされる力などが紹介されます。

2つ目のパートでは、子どもたちが創造性を育める場として世界の「チルドレンズ・ミュージアム」が紹介されます。また、そのような創造性をはぐくむ場をつくる際のポイントとして「10個のつくる」が解説されます。

そして、最後のパートでは、石戸さんが運営してきたCANVASの歩みや、様々なワークショップの事例が紹介されます。


Moocsの潮流や学校でのデジタルベースの教育に関心がある人はパート1は大いに参考になるだろうし、今、ビジネスの世界でもクリエイティビティを生み易いワークプレース、コラボレーションスペースなどが検討されたりすることが多いので、そういうことに興味ある人なんかは、このパート2も外せない。ほんと勉強になることが沢山紹介されています。


そんな中で、僕自身が本書を読んで一番考えさせられたのはパート1で紹介される「子どもにも大人にも大事な10の視点」でした。詳細は本書を読んで頂くとして、視点だけを以下に列挙します。

1.学び方を学ぶ
2.楽しく学ぶ
3.本物と触れる
4.恊働する
5.教えあい学びあう
6.創造する
7.発表する
8.プロセスを楽しむ
9.答えはない
10.社会とつながる

僕のキャリアはエンジニアへの技術トレーニングから始まっていますが、10年近く大人へのトレーニングをやってきたことを振り返っても、本当に共感することが多い。更に、トレーナー職を辞めた今も、上記の視点は創造性溢れるワークスタイルやワークプレース、場作り全般を考える上で外せないものばかりです。



読了後、本書を振り返って思うのは、創造性を育むべきは大人自身なんだろーなということです。子どもの創造力スイッチをONにしてあげることが出来るのは、親であり大人である僕たちなわけなので。

子どもの創造性や創造力の芽を、僕たちは簡単に殺しちゃったりしてないでしょうか?
職場における若手の創造性や創造力、僕たちは簡単に潰しちゃったりしてませんか?

○○ちゃん、××やっちゃダメ!これしなさい、あれしなさい!じゃないとまともな△△にならないよ!

あれやれ、これやれ!そんなの上手くいくはずない!やるだけむだだから止めろ!


僕たち大人がまず取り組むべきは、本書を読んで、普段使う言葉遣いを見直すことなのかもしれません。


創造性という大海原、写真のカメちゃんのように悠々と気持ちよく泳いでいきたいものです。





 

ブログタイトルの変更

ブログタイトルを変更しました。

ブログを運営し始めてから使っていたサイト名「One day it'll all make sense」を変えることにしました。ブログ立ち上げ当時はTwitterもFacebookもなく、日々の雑記帳と言えばブログしかありませんでした。しかし、今はSNSが僕の中では雑記帳の変わりになっています。

ですので、ほとんどこのブログは更新されることがありませんでした。
大好きなミュージカルについては、それ専用で呟きまくるTwitterアカウントもあることですし、ブログにはもうミュージカルの鑑賞日記をつけることもないだろうと思います。

ですから、日頃から考えているあるテーマについての覚え書き、読書メモの2つに軸をおいたエントリーを中心にブログを再開しようかなーと。








SNSに日々の感想をだだ漏れさせても、あまり思考は深まりません。ですので、思考を深めたいものについてはある程度の考えを一定量の文章などで残しておきたい。そんなふうに考えています。まー続くかどうかは分かりませんけど(笑)。

2014年3月30日日曜日

君にともだちはいらない/瀧本哲史


変化の激しいビジネス環境において必要なのは「ともだち?」それとも・・・


久しぶりすぎるブログのエントリー。それも本についての感想を記載するのはいつ以来でしょうか・・・。覚えていないくらい久しぶりです。

読んだ本を実践で使える知にまで落とし込むことを考えると、やはり「読む」だけでは駄目だなと強く感じています。本について語り合うでもなんでもいいですが、アタマの外に出力しないと記憶に残りませんね。記憶に残って、意識された状態をつくれないと、行動にも反映されません。だから、やっぱりエントリーとして書いておこー。それが久しぶりにブログを書いている理由です。

・・・

さて、この本、ジャンルとしてはビジネス啓発書です。そして、タイトルがすこし挑発的というか釣りのようなキャッチになっています。ですが、英語で書かれたサブタイトルをみると、意図がよく分かります。

「君にともだちはいらない 〜 The Best Team Approach to Change the World 〜」

そう。変化の激しいビジネス環境において、世界を自らが変えていくためのチームアプローチの重要性について語っているんですね。

そりゃそうだ。仕事する際に大事なのは、おともだちなどではなく、目的達成に必要なタレントをもった仲間でありチームであります。著者は世界を変える、変化のなかで生き残るための「武器としてのチーム」を創り出しなさいと言ってるわけです。


となれば、本書の内容は自ずと、なんでチームが必要なの?チームはどーやってつくるの?にフォーカスされてくるというのは予想がつきますね。

[本書の目次]
第1章 秘密結社をつくれ
第2章 本当の「よいチーム」とはなにか
第3章 ビジョンをぶち上げろ、ストーリーを語れ
第4章 よき仲間との出会いのために
第5章 チームアプローチはあなたと世界をどう変えるか


はい。本書の展開は予想通りです。
ただね、読ませる文章であり事例が豊富。もちろん色々な分析も。

本の表紙に黒澤明監督の「七人の侍」を持ってくるところなんか、センスが光ります。文章にもキレがあり、ぐいぐい読ませます。


以下は僕が特になるほど〜と思ったり、心に響いたところです。


・大きな世の中のパラダイム・シフトというのは、「世代交代が引き起こす」ということである。古いパラダイムを信じている前の世代を説得して意見を変えさせるのは、不可能であるし、それに労力を注ぐのは時間の無駄だということだ。

・だからこそ、新しいことを始めようとしている人、そして若い人たちに必要なのが、「チーム」をつくることなのだ。新しい価値観も、新しいパラダイムも、ひとりだけの力では世の中に広めていくことは難しい。自分とビジョンを共有し、その実現に向けて行動する仲間を見つけ出して、初めてスタートラインに立つことができる。

・やりたい仕事、属したい組織がなければ自分でつくるしかない

・組織のメンバー全員が「次の日も、その次の日も、いっしょにいることを疑わない状態」に陥った組織は、人員の新陳代謝がなくなり、新しい何かを生み出す活力が失われ、やがて滅びていくことが避けられないのである。

・友だちが自分を規定する。
 ※太っている人の友だちは、太っていることが多い。

・教養とは「自分と違う世界に生きている人と会話ができる」こと

・見晴らしがよい場所に行け。見晴らしがよい、というのはその会社が扱っている商品やサービスを通じて、業界全体を取り巻く状況を含めて、広く理解することができるという意味だ。

・ブートキャンプで自分を鍛えろ

・継続的なイノベーションをおこし続けるためには、異なるバックグラウンドのメンバーを同じ組織に所属させておく必要があるのだ。

・成功というのは、その人のまわりの人の成功によってきまる

・チームアプローチのキモは、ヒーローが活躍する「神話」のスキームにある

・むしろ人は「でかすぎるビジョン」を掲げる、「穴だらけの人物」に注目する。

・最初に「でかすぎる重を描いてみる」ことで、その実現に向けて努力していくうちに、回り道をしているようでありながらじょじょにビジョンが現実のものとなっていくのである。

・最初に掲げるビジョンは大きければ大きいほどよい。と同時に、それは多くの人が共感できる普遍的なものでなければならない。

・ビジネスの世界でも、会社をゼロから起こすと言う人は、世間の多くの人が従事するルーティンの仕事が勤まらない、軽率でそそっかしいタイプであることが多い。しかしそのような「おっちょこちょい」な人間が一人もいない社会では、新しいサービスや画期的な新製品、これまでになかった産業が生み出されることも、けっしてないのである。

・不確実な状況の中では、自分でいかに必要な仕事を見つけるかが大切となる。

・卓越したチームでは、「凡庸な人」が居心地の悪さを感じるぐらいの厳しさが必要だ。チームに貢献する(バリューを出す)ことへのプレッシャーがないところでは、「非凡な人」は退屈し、「凡庸な人」だけが残ることになる。「楽しさ」を求める人だけでチームをつくると、全員が「お客さん」モードになってしまい、当事者意識が失われてしまうのだ。

・自分はどういう使命を帯びているのか、どんなビジョンを描いているのか、それを他人に上手に伝えることが重要になる。そのために行うのが「自分のラベリング」である。「私はこういう人間で、こんなことを企てています」ということが一目で伝わるように自分にラベルを貼るのである。

・ストーリーを人に話す時に大切なのは、その話に「ロマンとソロバン」があるかどうだかだ。

・ロマンを実現するには、それと同じぐらいソロバン(お金、時間、労力のコスト計算)をきちんと考える必要がある。

・自分のラベリングやストーリーを語ることの目的は、チームの仲間候補に「なぜあなたと仕事をしたいのか」を理解してもらうことにある。相手に取って「なぜ自分が必要とされるのか」はキャリアを選択するうえできわめて重要な判断材料となるからだ。

・そのようなチームが取り組むプロジェクトは、リソースがぎりぎりであるがゆえに「一人の失敗は、全員の失敗」となる。だがその緊張感こそがミッションの成功には不可欠なのである。

・夢を語り合うだけの「友だち」はいらない。貴方に今必要なのは、ともに試練を乗り越え、一つの目的に向かって突き進んでいく「仲間」だ。SNSで絡んだり、「いいね!」するだけの「友だち」はいらない。必要なのは、同じ目標の下で、苦楽をともにする「戦友」だ。友だちも仲間も他人から「配られる」モノでh無く、自分自身の生き方を追求することで、自然にできあがっていくのだ。


ちなみに、瀧本さんご本人のインタビュー記事がDHBRのWebサイトに掲載されています。記事タイトルを見ると、本書の趣旨がそのまんま書いてあります(笑)。

■イノベーションを興すのに友だちはいらないんです。
http://www.dhbr.net/articles/-/2300


2014年1月7日火曜日

2014年が始まりました

2014年が始まりました。相変わらず、ブログの更新は滞ったままです。

今年の目標は正直まだ何も決めていません。ただ、失われつつある読書の習慣とその感想を記録すること、その他日々の考え事を記録する習慣は取り戻さなければいけないなと強く思っています。

今、思考と行動、概念と実践という言葉について色々と自分なりに考えています。昨年一年間は仕事の部署移動があったり、家族が大変な目にあったりとゆっくり考える暇無く、迫りくるタスクと格闘してばっかりだったように思います。忙しさにかまけて読書意欲も衰退する一方です。

2013年の1つの収穫であったレ・ミゼラブルの新演出版についても9回ちかく観劇しましたが、一度もエントリーすること無く終ってしまいました。

散々書き散らしたCATSのエントリーも、宮城2回、静岡3回の計5回の鑑賞にも関わらず一度もエントリーしていません。


こういう一年を振り返ってみると、思考、考えるという行為はアタマの中だけでは決して完結しない行為なのだなと思います。これまでは、読書したり映画みたりミュージカル見たりした後で、その感想や体験の本質をつかみ出そうと、なんとか自分の中のアタマをほじくりながら言葉にしてきました。そう、思考というのは言語・言葉を使って行うのです。思考という行為は言語化をともなったアウトプット行為に他ならないのです。作品を味わって「あ〜よかった〜」というのは感じているだけで思考にまで届いていない、あくまでそれは思考のプロセスの途中なのだとしみじみと感じています。

そして、ブログなどに自分のつたない考えであったとしても言語化して脳みその外に出力すると、出力された情報を自分で再認識し、あらためてそこから考えるキッカケが生まれます。実際、過去のエントリーを書いていたとき、自分は常にそういう状態にありました。エントリーを書くために試行錯誤した時間と文字にまとめる行為を通して考えるという行為と向き合っていたんだなーと思います。

なんで急にそんなことを思ったのかと言うと、昨日からある学会へ投稿する論文を書いていてあらためて自分の文章センスや論理展開、思考の深さや体験の濃淡を感じているからです。そして、苦しみながら言語化してみて、改めて思考するってこういうことだよな〜と清々しい気分を感じているからです。

このブログは相変わらず読者を意識していない、僕個人の意識のまんまに書いています。

だから第三者からすれば、まったくもって共感できない文章となっていることでしょう。でもそれでいい。それがいい。きちんと伝えたいメッセージがある時は、伝える様な論理構成と文章展開を考えて書くから。

今は、アタマの中身を外に出す習慣を復活させるのが最優先。

まともな思考はまともな文章が書けるようになって初めて身に付くとおもいます。であれば、文章が書けない人はまともな思考ができないのか?僕の体験的感想から言えばYes。だったらどうする?まともではない文章をアタマの外に吐き出して、まともじゃない文章だと自己認知しつつ、少しずつまともな文章になるよう、改善していくしか無い。

まともな文章って?

とりあえずは論旨明確、言語簡潔、意味明瞭くらいと思っている。