2013年7月13日土曜日

学習と習慣化と習慣の罠

さて、今日はインストラクションを軸に、学習と習慣化について考えていこうとおもいます。そして、学習の一つの成果である習慣化とその罠について会わせて考えていきたいなとおもいます。

ちなみに、ここまで書いた段階で私の頭にあるのは「習慣は処理効率を上げる反面、認識力を鈍らせる」という直観だけです。だから、学習するというのもいいことだけではないなぁ〜という話です。この直観を補強する論理展開などは、今この文字を入力している段階では、一切、頭に浮かんでいません(笑)。だから、この記事を書き進めるにあたって、読み手の皆さんを納得させられるかどうかは甚だ怪しい・・・。ブログの記事を書くときは推敲を一切やらないで一発勝負で投稿するのが、私のポリシーでもあるので、まーその辺は勘弁して欲しい。推敲までやって投稿するとなると、時間がかかりすぎるし、そもそもブログを書く気力が損なわれてしまうためです。

さて、本題です。
まずは、「学習」というキーワードについて。私は、いちおう「学習」という言葉を”なんらかの体験や経験によって引き起こされる永続的(一時的じゃないということ)な行動の変容(変わること)”と定義して使っています。

そして、この言葉には必ずしも倫理的な意味で「よい」ことだけではなく「よろしくない(悪い)」ことも含まれる。

例えば、テストに臨むにあたり沢山勉強していれば、「今日はこれまでの学習の成果をみせてやる〜!」みたいな感じでポジティブな態度が生まれるかもしれません。そして、そういう態度自体がご両親から「よい」と評価される場合もあります。
一般的に世の中では「勉強する」=「学習する・学ぶ」=「よいこと」という等式が成立していることが多いとおもいますが、実は決してそれだけではありません。

先にも書きましたが「学習」は「永続的な行動変容」をさします。この定義は、表現の違いこそ若干あれども、基本的には心理学の世界なんかでも同じように使われています。

そして、例えば、お兄ちゃんがお父さんに叱られる姿をたびたび目にすることで、怒られそうな行為そのものをとらなくなる、ということ自体も「学習」なのです。

学校にいって、なんかの発言をしたら「お前、そんなこともわかんねーの?」と先生から愛のない言葉を浴びせられてその子なりの傷を抱えてしまったがために、そもそも発言という行為自体をとらなくなってしまう・・・それも学習です。
まぁ、こういう時の学習は基本的に「ネガティブ学習」というんですけどね。

ですから、学習には教える側から見た時に「ポジティブ」に見える学習と、「ネガティブ」に見える学習の2形態があるのです。インストラクション(教える/伝える)という行為に携わる人間はインストラクションの対象である相手(学習者)がどいういう人間であるのかをよーく知る必要があります。そうでないとインストラクターが意図したインストラクションとは別のところで学習者が意図とは異なる内容を学習しちゃうことだってあるからです。

ちなみに、我が家の奥様は旦那である私をいつも叱ります。
キーキーとあたかも私が駄目人間であるかのごとくネチネチ口撃するわけですが、これは駄目な例ですね(笑)。奥様は私に何らかの行動変容をさせたく、躾と称してネチネチやりますが、私からすると「この人は生涯の伴侶に果たして相応しいのか?」とか「旦那に対する敬愛の心はねーのか?」とか「自分が同じことされると逆切れするくせに、なんで俺のときだけ・・・」と恨みが募ったり(笑)。奥様が臨む行動変容とは真逆の行動変容が起きつつあります(笑)。

では、極力、学習者にとってポジティブなカタチでの学習が起こるようにインストラクターは促していけばよいのか?基本的にはYESなんですが、ここに今回の記事でもう少し考えたいことがらが横たわっています。

一般的に、スポーツでも勉強でも仕事でもいいんですが、何か新しいことにチャレンジしようとすると、分からないことが多いため、情報を仕入れて整理したり、行動において試行錯誤したり工夫したりと学習の機会が多くでてきます。そして、学習をひとつづつ積み上げていくと、自分にスキルという名の能力が身に付き、同じことを2度目にやると1度目とは圧倒的に効率よく高いレベルでこなせるようになってきます。こーなってくると、やってる方は面白くなってドンドンドンドン、自分から更なる自己研鑽につとめるようになります。いわば学習の習慣化という状態が起きます。それによって、スキルにも磨きがかかるわけなので、どんどん課題や問題をこなすスピードも上がってきます。

一般的に、習慣化が起こると、何かしらのパターンというものが頭というか身体的に構成されるようで、一から毎回毎回考えずに、身体的に馴染んだパターン処理によって初心者ができないくらいの高いレベルとスピードでモノゴトをさばけるようになってきます。

おそらく、小さい子供をもつ親御さんは、どうすれば自分の子供が勉強する習慣をみにつけてくれるのかと頭を悩ませているのではないでしょうか?その悩みを解決するヒントは、おいおい取り上げていこうとおもいますが、今日はいったん保留にします。

話を戻しましょう。
習慣化によってパターン処理能力が上がり、個人のスキルも高くなる・・・万々歳じゃないの???と思うかもしれません。私もある状況下では「万々歳!」と思います。


でもね、「習慣は処理効率を上げる反面、認識力を鈍らせる」んだよ。

習慣というのは大して意識しなくても特定の条件が揃った事象を前にすると、ひょいひょいと何らかの行動が起こってしまうことです。

・食事をしたら散歩をする
・朝起きたら1時間、英語の勉強をする
・毎週日曜日の夜は、次の1週間の計画を立てる
・寝る前に30分かならずストレッチをする

というレベルから・・・

・「企画書を書け!」と言われたら○○と△△と××の流れで構成をつくる
・問題が出題されたら、Aを見て、Bを探し、Cを選択する

などなど、色々ありますわな。

そして、そのような行動習慣が自身の問題解決能力を効率化している一方で、ややもすると、ある事象に出くわしたときの新たらしい取り組み方の可能性を切り捨てていたりするかもしれません。特に注意が必要なのは問題を取り巻く外部環境が変わった時ですね。これまで以上にもっとよいと言われる方法、技術が発明されたとか、これまでとは社会、地域、経済状況が変わってしまったなどと言った場合であったとしても従来通りの習慣だといって同じやり方、同じ処理パターンに意識/無意識にこだわっていると、あるとき突然、自分のやり方がこれまでとは同様の期待値に達しない、なんてことが起こってきます。

ですから、改めて効果的な学習を目指すと言う意味でも、一度、自分の持っている習慣を棚卸しして、その習慣が自分の強みとしてこれからも有効かどうか、振り返ってみることが重要かもしれません。

そして、効果的なインストラクションのためにも、指導する側はそういうことを学習者に意図的におこせるようになる必要がありますね。

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