2013年7月13日土曜日

生きた!という実感について

「生きた」という実感はどういうときに生まれるのでしょうか。何かを達成・成し遂げたときでしょうか。それとも、何かしらの危険を回避できたときでしょうか。僕は自分のこれまでの人生を振り返ったときに、いろいろ思い出はありますが、強烈な印象を伴って思い出せる「生きた」なと感じられる記憶はすべて他者との強い関係性のなかで生まれていることを再認識しました。父親や母親との関係もそうですし、妹との関係もそう。奥さんや友人との関係でも「生きた」という思いを持ちましたし、仕事の文脈ではお客様やパートナーの方々とのガチンコでのぶつかり合いなんかもそうですね。最近では、ミュージカルにおける舞台上の役者さんの真剣な演技と観客の真剣なまなざしの中に生まれる関係性、これも「生きた」なという強い感触を呼び起こしてくれます。ではなぜ、このような他者との強い関係性において、自分は「生きた」という感触を得られるのでしょうか?自分という存在の根底が欲する欲望をなにがしかの形で満たせてるんじゃないか、というのが現時点での僕の回答です。では、それはどんな欲望なのでしょうか・・・僕にとってそれは僕という存在が存在できたという喜びであり安心なのかもしれません。もっと簡単に言えば他者との関係性を通した、自己承認の欲求が満たされたのかな、と。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

生きた!という実感は、過去を振り返って思うものですよね?
生きてる!という、現在進行形で実感が持てたとき、さらなる考えが深まるような気がします。
その時はまた、更新してください。