2013年7月13日土曜日

雑感あれこれ:人間文化を考える

松岡セイゴオ先生の本を読み返してみました。以前もこの本は本ブログでも取り上げていますが、読み直すとやはり勉強になります。以下はポイントポイントで頭に浮かんだ雑感です。


人間文化史の一番最初に出てきたものが宗教です。そして、舞踊や哲学や建築が生まれ、その後に文芸が出てきます。セイゴオ先生が説く仮説としては、その背景には常に理性の脳がいかに本能の脳の暴走を抑えるか、どのように鎮めるかという戦いがあったというものです。ポール・マクリーンという脳科学者が、ひとの頭の中には残虐さをつかさどるワニの脳と狡猾さをつかさどるネズミの脳、そして理性をつかさどる人の脳があるという仮説を提示しています。セイゴオ先生はその仮説を踏まえて、先に挙げたようなことを言っているわけですね。


人間文化・・・直立二足歩行により、発情期を失ったり、妊娠期間が他の動物と比べて異常に長くなったり(未熟児を生んで育児期間を長くする)、三つの脳を矛盾したまま持ち続けることになったり・・・。そういう欠点を補おうとする行動から人間の文化の歴史というものは始まっているようですね。


人間の才能というものを考えていると、「楽しさの追求」もしくは、「欠落や矛盾の克服」の果てに得られた能力なのではないかと思えてきます。


人間が人間として意識を持つようになったのって、一体いつくらいからなのでしょう?僕は「意識をもった最初の人間」というものに異常なくらい興味があるのです。


ワニの脳とネズミの脳をもつ人間。残忍さと狡猾さ・・・これはまさしく人間の煩悩や欲望の基底にあるものなのではないでしょうか。これを制御するのがヒトの脳である大脳皮質の役割です。煩悩や欲望の抑制、これが宗教が発生した理由のひとつなのでしょうね。もう一つ僕が理由だと思うのが、ヒトがどこかのタイミングで明確な意識を持ったため、自分の存在根拠を考えだしたことにあるのではないかということ。自分は何なんだ?生まれ、死んで、どこに行くのか?こういう漠然とした不安や疑問にさらされるキッカケが仲間や親族の死を通して感じられるようになってきたのではないか、と思うのです。


自分や自分たちの家族や部族を、奮い立たせ、励ます、ある種の「生を鼓舞する」ためのメカニズムとして宗教という物語が生まれたんだろうと思わずにいられません。自分の一生を越えて存在させる、残すという観点で、その物語は色んな芸術形式に昇華していったのではないのでしょうか?


中国思想の大まかな変遷を追いかけていると、面白いことが分かりますね。孔子、孟子に連なる儒教ですが、儒教の理想は「聖人」にあります。聖人が君主となり国を治めるというモデルを想定して説かれている教え、これが儒教のモデル。今でいうと、組織を引っ張るリーダーシップを含めた帝王学、これが儒教の本質と言えるのかもしれません。

一方で荀子は、性悪説とよべるような立場をとったと言われています。人間の性分は意地悪で、妬み深くて残酷だという立場ですね。セイゴオ先生の説く、ヒトの脳みそ3種類説でいうところのワニとネズミの脳、この2つがヒトの本質なんだとでも言えそうな立場が荀子ということです。そして、荀子は、そういう立場故に、人間は学ばなければならない、教えを受けることが必要だ、ということを説きます。孔子、孟子のコンビが性善説の立場から説く帝王学だとすると、荀子は性悪説の立場から説く教育論ということですね。


以前「名前・・・ものやことがらに輪郭を与えますが、かならずしも、その性質や感覚を伝えるわけじゃありませんね。特にその名前の当事者は与えられた輪郭を平気ではみ出します。」ということを呟きました。今、読んでいて面白いなぁと思ったことに、儒教の考え方には「分」をわきまえるという考え方があることです。先生は先生らしく、学生は学生らしく、親は親らしく、子供は子供らしく・・・。これが儒教の考え方です。それに対して、老荘思想では「道(タオ)」と言うものを説いています。タオと言うのは、宇宙には何か大いなるものが遍在していて、ここの人間はそのような大いなるものに自分を合わせれば良いのだ、という思想を意味します。そして万物斉同を説きます。何もかも似たり寄ったりなので、違いに囚われるなという考え方です。タオに向かって何も無い自分を作っていきなさい、と。ここから「無」というものを重視する視点が生まれ、かの有名な「無為自然」という言葉に繋がっていきます。お互いの社会的な地位とか役割をわきにどかして、無になってみることで、新しい関係を生み出していく。これが老荘思想にある考え方です。かなり迂回しましたが、先に引用した文言の通り、儒教は役割によってヒトやコトガラに輪郭を与えます、しかし、普通の人はそこには収まりきらない部分が残ってしまう。老荘思想は、そうじゃなくてえーんだよー、とある意味でヒトを解放してくれるような自由さをもっているんじゃないかな、と思った次第です。

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