2013年2月6日水曜日

【テーマ】欲望論

僕は中学の頃から気付くと「人ってそもそも何の為に生きてんだろ?」と考えるようになった。そして往々にしてこういう問いを突き詰めていくと暗くなる(笑)。答えがないからだ。何故かは知らないが、人は答えのない問いに向き合うとなんとなく不安になるらしい。僕も当時は不安だった。学校生活のひょんな行き違いから、仲間はずれにされ虐めまがいの状況に陥ったりもしたけど、そんなとき尚更、自分の存在の意味を感じられず「自分なんていなくても問題ないのではないか・・・」なんて思い詰めたりもした。そんなこんなで、僕は「人は何を求めて生きるのか?」という大きな意味での欲望論というものをコツコツと思考していくことになるわけだ。

なんとなく言えそうなのは、科学なんていうものがでてくるずーっと前の古代から人間はそのような存在の不安を抱えていたらしい。まーそうだろう。人間が「意識」というものを持ち、推論する知能というものを身につけたからには、根源まで突き詰めた「なぜ」という問いを発せざるにはいられないものだ。因果を考え出したときに、その根源まで突き詰めないと納得できない生き物が人間だろう。古代の人はこの存在の不安を紛らわせたいのか分からないが、神話というものを作った。神話には自分たちのルーツや共同体としての価値観がみな詰まっている。神話とは、いわば、自己存在の意義を確認する為のツールとして用意された物語なわけだ。

でも、そんな物語も所属する共同体が異なれば、そこには異なる物語的世界に住む人がいて、存在の根源について話し合うにも議論が平行線を辿る。ある宗教を信じている人が異なる宗教の世界観と相容れないのと似たようなもんだ。

だから、ひとは物語ではなく、だれもがゼロベースで理解できるであろう「概念」を用いてそれを皆が一定の筋道をたどれば理解できるように論理というものを用意して話を組み立てようとした。それがいわゆる哲学の歩みだ。

僕もちいちゃいころは、親の影響もあって、神様なんてものを本気で信じていた。しかし、ある問いに対する答えを考える際にトランプのジョーカーのように「神」というカードを利用可能にした瞬間、ゲームが勝負にならなくなるとおもい、このカードは自分の中で禁じ手にすることにした。

なので、素人なりに本を読んだり考えたりとほそぼそとやってきたわけだ。
前置きが長くなった。さて、欲望論である。

色々考えた結果、いまのところ暫定で以下のように考えている。

人の欲望には大きく3つのカテゴリがある。
1.生理的な欲望
 →いわゆる衣、食、住、性だね。一言で言えば「死にたくね!」ということ。
2.関係性の欲望
 →他者との関係を築きたいということ。もっと分かりやすく言えば、
  愛したい、愛されたい、必要とされたい、認められたいということ。
3.自己可能性追求の欲望
 →常に自分に何らかの可能性を感じていたいとか、
  自分の中の未知なるものを追い求めたいとか、
  他人に何言われようが関係がどうなろうが
  どーしてもやりたいという衝動みたいなイメージがこれ。
   自分で自分を承認できる様な状態になりたい!という欲望。

おそらく、欲望の展開パターンは1→3→2→3の順が王道なのかと思う。
まぁ1が最初に来るのはなんとなく了解してもらえると思う。
次が3なのは子供の育ちをみてるとなんとなくそーなのかなと思うから。
人って赤ちゃんのときは他の動物に比べても未熟児だからギャーギャー泣いて、俺を生かして&育ててくれ〜と自己主張する。そして、親を含め回りは赤ちゃんを大事に育てる。親にいろいろ構ってもらったり話しかけてもらったりしながら脳の発達とあわせて段々と意識というか自己が芽生えてくる。でこの自己って小さいときは親や周りの人間が自分の欲望を表現すればすぐにそれを叶えてくれるのを知っているんだけど、成長するに従って自分の欲望が願っても叶わなくなることを自然と学習していく。ネーネーと親に言っても構ってもらえなくなったり・・・。社会に生きる人間というのは素朴な自己可能性追求というか、自分がやりたいことを実現しようとしても他者の都合によって用意に欲望が挫折することを学ぶ。現実は世知辛いもんなわけですね〜。そんな世知辛さを忘れる代替行為がいわゆるロマンってやつだ。現実ではあり得ないと分かっていても、ロマンの世界では自分の欲望はすべからく叶う。そう、ひとは己のロマンの世界によって現実で挫折した己の欲望の傷を癒すわけだ。

だから、1→3と来るけど、この時の3はあえなく挫折し、次に社会における自分の価値、要は関係性の欲望実現である2へと矛先を変えるわけだ。ちなみに3に進む為にも2の欲望実現は必要になるというのが僕の基本的な考え。
何故かと言えば・・・。

・人は自己可能性を追求する生き物

・自己可能性追求の条件として「自由」を必要とする・そして自己可能性の追求の為にも、「他者からの承認」が必要になる・他者から自分の存在を認めてもらう、価値を認めてもらうところに自由の基盤のひとつがあるのかなーと今は思っていたりする。


・しかし、大概「他者からの承認(自由の条件)」は現実により粉砕される・よって大抵の場合、人は自己可能性を枠を縮める(可能性を諦める)・ところが「他者など知ったことか!」と自己可能性を追求する輩がたまにでる・追求の方向性が長い目で見て他者の利となる場合、そいつは革新者となる・一方で方向性が私利私欲的で他者の迷惑ですらある場合、そいつは犯罪者となる

とまぁ、粗荒だけど、こんなことをぼんやり考えているよということで、今はここまで。今日明日にかけて東京も雪だそうだ。ブログを書いている僕の部屋が急に冷え出してきた。寒すぎて残りの部分を書く気力がない〜。

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