2013年2月3日日曜日

【テーマ】知的な資源の変化について

Twitterは書いた側から消えていく。Facebookもしかり。それがSNSの特徴・・・。
ということで、少し突き詰めて考えておきたいテーマを単文で残しておくことにしようと思った。誰に読んでもらいたいというわけでもなく、【テーマ】ヘッダがついているものは、僕が中長期的に読んだり聞いたりしたことを集約していきたいと考えているもの。

今回の「知的な資源の変化について」というテーマ。
いわゆるインターネットがでてきてWeb2.0なんていうことが言われ始め、Google、YouTube、Wikipediaが当たり前になり、そこへのアクセス手段もPCのみならずスマートフォンやタブレットPC、場合によってはお茶の間のテレビまでがこういうものにアクセスできるようになっている現在。人間の視覚、聴覚で捉えられる情報は殆どがデジタルデータ化でき、ネットワークを通して瞬時にそれを必要とする人に届けることが出来る状況下というのはちょっと歴史を振り返ってもあり得なかったような・・・。
iTunesなんかを覗いても、驚くほど沢山の情報にアクセスできることが分かっている。東大や京大、スタンフォードだとかその他有名な大学の講義などが無償で手元のモバイル機器で閲覧することができてしまう。

昔っておそらく知的な資源なんていうものは、ごく一部の特権的人しか物理的にもアクセスを許されなかったんじゃないかな?いわば知的資源は希少性を持っていた。それが、ここ10年くらいで多様で豊富に散在している状況に変わったんじゃないかな?

希少性を持っていた知的な情報が色んな人に行き届くインフラが整備されると世の中って何が誰にどう影響を及ぼし、及ぼされ変化していくんだろうね?

こういう話、インターネットがでてきて暫くしてからよく議論されていたことかもしれない。でも、その検証って誰かしたんだろうか?

もちろん、変化の最中なのかもしれないけど、ここ10年の変化や今後の変化の方向性を考えておくのも悪くないと思うんだ。

特に知的な資源がそこここに散在している今の状況下において、いわゆる知的情報の発生源の一つである大学なんていうのもその存在意義がおのずと変わらざるを得ない様な気がするわけね。これからあらゆるモノやコトがらにたいして「そもそも、これって何の為にあるんだっけ?やるんだっけ?」という問いが突きつけられてくるんだと思う。もちろん、そんなの何十年も前から突きつけられていた!なんて仰る方もいると思う。でもさ、ここから先って「そもそも」に答えた時、モノやコトがらが「そもそも」に応えられないと存在を許してもらえなくなるんじゃないかという気がするわけですよ。色んな意味で余裕がなくなってきているからかもしれないね。

1 件のコメント:

Hidehiro Takeda さんのコメント...

クリス・アンダーソンなんかは慧眼で、過剰の経済学のようなものを考えているみたい。僕はまだよんでいないけど。資源が希少だという前提ではなくて、過剰にあるという前提で世界がどーなるかを考えようとしているみたい。面白そうだよね、こういう発想w。