2011年12月31日土曜日

現象学は<思考の原理>である/竹田青嗣

・・・事実学をやめよ。それは結局信念の対立と、
したがって権威づけられた思想どうしの対立に帰着するほかない。
本質学を開始せよ。そのことで、思想をフェアな関係のゲームとして開け。
これが現象学の方法の根本メッセージである・・・


「自分を深く知るために、他者とほんとうに関わるために哲学する
ユニークな思想家」これが竹田青嗣さん。

その竹田さんが、長年おっしゃっているのが、
”現象学は誤解されている”ということ。

そういう誤解を解きたい、現象学の意義を回復したい、
という問題意識で世に問われたのが1989年にでた『現象学入門』です。

その後、色々と発言をされてきた竹田さんですが、2003年に改めて
”現象学の根本的意義をまったく新しい形で描き出してみたい”
ということで作られたのがこの1冊です。

曰く、現象学のアプローチ(方法)というのは思考の原理なんだ、と。

社会人になってから読んだこの1冊。
かなり衝撃的な読後感でした。
これまで引っかかっていた疑問が氷解するような・・・、
そして、これは希望の哲学なんだ・・・
そんな印象を与える1冊だったことを覚えています。

ここでいう希望というのは、自身の希望ということのほかに
実生活に応用可能という意味でも希望という言葉を使っています。

僕自身、思考がかなり思弁的なところがありますが、
哲学者の思弁的な論説というのは流石に僕自身もうんざりしちゃいます。
参考にこそなれ、決して実生活にはなんの影響もあたえないな・・・。
そんな感じです。

でも竹田さんのこの本にはそういうところは全くありません。

「自分を深く知るために、他者とほんとうに関わるために哲学する
ユニークな思想家」・・・言い得て妙といったところでしょうか(笑)。



ちなみに私は現象学についての知見は殆どありません。
フッサールもメルロ・ポンティも大学時代にチョピット本を読んだくらい。
フッサールについては、書籍は持っていますが読むのは諦めています。
イデーンなどについては恐ろしく表現が難解で、何言ってるか意味不明です。

はっきり言ってこういう著者の哲学というのは、
本人自身が自分の直観で捉まえた感覚を十分にものにできておらず、
それを上手に表現できず難しくクドクドした説明になる傾向が多いです。
もしくは、私が馬鹿すぎて理解できないか・・・。

いずれにせよ、これまでの現象学などについては
ほとんどバックグラウンドがないため、僕には竹田さんの説く現象学を
的確に批判できるような知識はありません。
また、これまでの現象学論説に竹田さんを位置づけることも勿論できません。

ですが、本書で竹田さんが説く
現象学の魅力と破壊力は理解できるつもりです。



◆「確信成立の条件と構造」を解明する方法としての”還元”

竹田さんは現象学を思考の原理としてもっとも進んでいると言います。
なぜ、現象学が思考の原理としてもっとも進んでいるのか?

「現象学的還元」の方法が哲学的思考の原理として、
画期的だからだといいます。

では、還元って何なのでしょうか?

人は基本的に2つの視線を持っています。
ひとつが「実存的な(=主観的な)視線」で、もうひとつが「客観的な視線」です。
※実際、「客観的な視線」というのは、相手と自分の位置関係を
客観的に思い描くという意味で「想像的な視線」
という意味と殆ど変わりませんが・・・。

フッサールの言う還元・・・これを竹田さん的に解釈すると
還元とは世界の一切を意識経験として捉えること。客観的とされるものの見方を、
すべて私的なものの見方として置き戻すこと。
そして、現象学的還元のポイントは、「私の意識」に生じている
体験のありようから、他者にとっても必ず生じているはずだと考えられるもの、
すなわち共通項と考えられるものを抽出する作業が還元、ということになります。

要は、意識体験の「共通構造」(=本質構造)を取り出す・・・
これが還元ということですね。

ではなぜ、この還元という方法が大事なのか?
フッサール自身が説明できていない、と竹田さんは言います。
フッサール自身がまともに還元の意味や本質を伝えられなかったから
現象学は誤解されることになったんだ、と言わんばかり(笑)。

では、竹田さんはどう解釈するのか。


わたしの考えを言えば、「確信成立の条件と構造」を解明するため、
というのがその答えです。そして、このアイデアが現象学という方法の
最大のメルクマールなのです。この根本アイデアが現象学をして
近代哲学の根本問題であった「認識問題」を解明させ、
この根本アイデアが、現象学を哲学的思考のもっとも進んだ
原理論たらしめているといえる。



16世紀に起こった宗教改革とそこから百数十年にわたって
引き起こされた宗教戦争・・・。

おびただしいほどの血をながした根本的反省としての「認識問題」。
おびただしい世界像がでてきた時に、主観と客観は一致するのか?
ある世界観と別な世界観ではどちらが正しいのか?

こういう歴史的文脈の中で提示されてきた認識問題。
つまりは「信念対立」の問題といってもいい。
これはどうすれば解決できるのか。
どういう方法にて考えればいいのか。

歴史をひもとけば分かるように、16世紀の宗教における信念対立は
サイエンス(科学)という方法論のめざましい展開によって出来上がった
近代合理主義的世界像が、カトリックVSプロテスタントのの対決を
どちらも打ち倒すような感じに成っちゃいました。

しかし、歴史は繰り返す・・・。
認識問題としては解決しなかった信念対立。
解決しなかった問題は、必ず追いかけてくる・・・。
こんどは19世紀以降の資本主義VS社会主義のイデオロギー闘争として
再燃することになりましたね。

このような知的文脈の中で呼吸し、育ったのがフッサールというわけですね。


世の中ニャ、真理というものがあってそれを理解する・・・。
これじゃ、ダメだ〜と直観したフッサール。
世の中に在るものを正しく認識する・・・こういう見方を一旦、中止しよう。
Let's エポケー!!
客観的視線による認識という考え方を一度中止して、
世界を意識体験として方法的に捉え直す。
そして、その中から他人にも起きているであろう意識体験を
共通了解や共通構造として取り出す。

このような現象学的還元という方法を使って
認識問題にたいして新しい切り口を出してみせた・・・というのが
大雑把ではありますが竹田さんの解釈といったところでしょうか。

では、この現象学的還元によって認識問題はどのように捉えられるのでしょう。





◆現象学による「認識問題」の書き換え

箇条書きで、現象学が拓いた認識問題の新たな地平というものを
眺めてみましょう。
竹田さんがまとめた内容を、僕なりに抜粋すると・・・。


(1)「絶対的な真理」というものは存在しない。
神のような超越性の視点を括弧に入れてしまうと、我々が「真理」とか
「客観」と呼んでいるものは、万人が同じものとして認識=了解
するもののことである。人間の認識は、共通認識の成立しない領域を
構造的に含んでおり、そのため、「絶対的な真理」「絶対的な客観」は
成立しない。

(2)しかし逆に、われわれが「客観」や「真理」と呼ぶものは
まったくの無根拠であるとは言えない。そのような領域、つまり
共通認識、共通了解の成立する了解が必ず存在し、そこでは
科学、学問的知、精密な学といったものが成り立つ可能性が原理的に存在する。

(3)共通了解が成立しない領域は、大きくは宗教的世界像、
価値観に基礎づけられた世界観、美意識、倫理意識、習俗、社会システム、
文化の慣習的体系等々である。およそ、人間社会に置ける対立の源泉は
この領域の原理的な一致不可能性に由来する。

(4)しかし、この領域の基本構造が意識され、自覚されるなら、
そういった宗教、思想対立を克服する可能性の原理が現れる。
すなわちそれは、世界観、価値意識の「相互承認」という原理である。

(5)ここから、異なった世界観、価値観のあいだの衝突を克服する原理は
ただ一つであることが明確になる。すなわち「多数性」を相互に許容し合うこと。
これは、近代以降の「自由の相互承認」という理念を前提的根拠としている。




ここまでのお話が本書の第1部のお話です。
本書は全部で4部構成、2部以降も竹田現象学の射程を
あますところなくみせてくれます。


僕の思考をかなりインスパイヤーしてくれた1冊です。
現象学の一般論と言うよりは、竹田さんの思想として触れてみてください。





2011年12月25日日曜日

2011年クリスマス観劇ツアー:その2



2011年クリスマス観劇ツアーの第2弾は、
毎度おなじみの『キャッツ』です。

実は今日がキャッツを初めて観て、
まるまる1年がたった記念日なんですね。

嫁さんに頼まれてキャッツを一緒に観に行ったのが
2010年の12月24日でした。

初めて観たキャッツは、カッコイイ&カワイイネコが
沢山でてくるけど、物語はいつはじまんのかな〜と思っていたら
いつの間にか終ってた(爆)。というようにキャッツの魅力を
何一つ明確に掴まずに終ってしまったという記憶があります(笑)。

丸1年経ってみて振り返ると、なにやら感慨深いものがありますね。

嫁さんの友達と一緒に最前列での鑑賞でしたが、
いやはや面白いのなんの・・・。

何度視ても飽きず、常に新しい発見があるキャッツです。
この1年で、すでに30回以上鑑賞し、歌も踊りも殆ど暗記していますが
それでも楽しい!楽しすぎる!!!そして、何より深い!!

改めてその魅力を問われれば・・・

1.24匹のネコ、それぞれの人生(ジェリクルライフ)が
なにかしら自分の人生とオーバーラップする瞬間がある
2.ジェリクルキャッツの生き方には、
人として忘れがちな基本が沢山つまっている
※歌と踊りを通して、絶対的な野性の美学が観るものの人生を揺さぶります
3.グリザベラの生き方を通して、新しい人生の始め方を学ぶことができる
4.舞台と客席が近く、自分も25匹目のジェリクルとして
舞台に参加しているような気分になれる
※実際、毎回、一人の女性が舞台に
連れ去られジェリクルの仲間入りをしますしw
※カーテンコールにおいてジェリクルと握手できます(席によるけど)
5.想像を超えたエンターテイメントにより、現実をわすれて没頭できる

とまぁ、いろいろありますね。

そんな素敵なキャッツ、今日はクリスマス特別カーテンコールもあり
面白さ100倍でした。

今日、特に僕の眼を引いたのは・・・。

まず最初に、毎度おなじみのジェリクルソング!!
全員で踊る一糸乱れぬそのダンス・・・ここから既に
ジェリクルマジックに掛かりますね。

そしてその後のネーミング・オブ・キャッツ。
今日は壇上からディミータ演じる
増本さんに視線ロックオンされました。

増本さん、チョー綺麗で優雅!!
すらっと長い手足を存分に使って
魅せてくれるダンスは鳥肌ものです。
キレがあって優雅、かつ迫力あるダンス・・・。
なかなか観れませんね、こういうダンスは。

マキャヴィティのダンスも眼が釘付け!!
いつもはボンバルリーナに眼が行くのですが、
今日ばかりは増本さんの演技に心奪われましたw。


次に魅了してくれたのが、ヴィクトリア演じる斉藤さん。
僕、斉藤さんが演じるヴィクトリアかなり好きなんだよね。

いつもニコニコしていて、品があって華がある。
ジェリクルムーンのもとでの月光浴のシーンなんかは
ほんと観ていてうっとりします。ヴィクトリアがいくところ
綺麗なシルエットができているよう・・・。
でも、優しいだけがヴィクトリアではないw。
所々で、シャーって叫んでいてメッチャ素敵でしたw。

それから、今日の個人的MVPの一人目はバストファージョーンズ&
アスパラガス&グロールタイガーの3役を演じる橋本さん!!
特にグロールタイガーのシーンは過去最高に面白くかっこ良かった。
今日のグロールタイガーにはちょっと唸りました。
凄いです、橋本さん!!
グロールタイガーの相手役をつとめるジェリーロラムも好かったな。
久しぶりの朴さん演じるジェリロ。やさ〜しい感じがなんとも言えませんね。


今日の個人的MVPの二人目はミストフェリーズ演じる永野さん。
ちなみに、ミストフェリーズは震災後の4月に観た、松島さん演じるミストが
過去のベストミストでした。震災後の色んな感情を松島さん演じるミストの
マジカル連続ターンがすべて吹き飛ばしてくれた・・・。
だから僕のミストNo1だったんですけど、
今日の永野さんはそれを越えましたね。

ダンスで人を救えますか?
もちろん物理的にはダンスで人を救うことなんてできません。
でもダンスは精神的に人を救う力と可能性をもっています。
永野さんのダンスにはそう感じさせてくれるものがあります。

特に、ミストフェリーズのマジカル連続ターン・・・。
僕はあのターンに、勝手に!!ではありますが、
永野さんの祈りを感じました。

まるで皆の悩み悲しみ不安、少しでも昇華できるよう踊ります・・・。
生命のかけがえ無さを感じながら、
全身全霊でダンスするミストフェリーズ・・・。
ここまで書くと大げさですか?
僕にはそう感じられてしようがなかった。

マジカル連続ターンの最後のスピンフィニッシュ・・・。
僕はつきものが落ちたような感じがしました。
救われたような気がしました。
永野さん、本当にありがとうございます。
あのターン、生涯わすれません。

MVPの最後、これはシラバブ演じた五所さんで決まり!!
クリスマス版カーテンコールの五所さんの可愛らしいバブちゃん。
あれは犯罪級の可愛らしいさです。
お魚をお腹いっぱい食べて、疲れて寝ちゃうバブちゃん・・・
タガーのプレゼントを喜び、タガーにすりすりするバブちゃん・・・。
一つ一つの仕草が、ほんとうにメンコイw。
あのシーンはミストもかなり可愛いんだけどさw。

MVPなどと書いてみたものの、
正直なところジェリクル全員がMVPなんですよね。

武藤さんは1年とおして殆ど出ずっぱり。
そして、常に変わらぬ安定感!!

ジェニエニドッツの鈴木さんも、元気全開!!
見る人は絶対にパワーをもらえるし。

タガーの田邉さんは格好良すぎだし!!
カーテンコール時に「田邉く〜ん!!」という
黄色い歓声でまくってたしさ(笑)。
※くんはねーだろ、せめてさん付けにしとけと思ったけどw。

コリコ、ランパス、カーバの3人は台詞こそ少ないけど
メチャクチャ重要な立ち回りしてる!!
コリコ入江さんとカーバ光山さんとランパス高城さんは
ジェリクル舞踏会の立役者だよ!!
ランパス高城さんのラストのI字バランスはいつ観ても感動!!

マンゴー虎太郎さんとランペル石栗さんの2人は、
呼吸ぴったりで最高にお茶目なドロボー演じてくれる!!

タントの高倉さんはその存在が美そのものだし・・・。
踊るとそこだけ空間が変わるくらいのダンス表現力!!
高倉タントは最強なのです。

チャンミンさんのスキンブルは
いつみても観客を希望という名の列車に乗せてくれる!!

マキャヴィティ檜山さんもカッコいい・・・。
なんてったってナポレオン・オブ・クライム!!
檜山さんVS武藤さんのシーン、特にお気に入りw。

孫悟空こと、ギルバート新庄さんは大分ギルバートが板についてきて
今日の橋本さんのとの絡みは堪能させて頂いた!!

蒼井さんと松永さんの美男美女ジェリクルカップルは
いつも優雅で上品なカップル!!

佐渡さんのグリザベラ・・・これは毎回毎回進化している。
佐渡さん、歌も当然のように上手ですが、それ以上に表情含めた演技が
図抜けています。毎回、天上に昇るシーンでは泣かずにはいれません。
そんな切ない演技、普通できませんよ。


ということで、みんな素敵な個性をもつジェリクルなんですよね。

来年も、キャッツからは眼が離せません。

2011年12月24日土曜日

2011年クリスマス観劇ツアー:その1


2011年クリスマス観劇ツアーということで、
今年はクリスマスの3連休を全てミュージカル観劇することにしました。

その第1弾が12月23日(金)に観た『美女と野獣』です。

この作品、観るのは何度目でしょう・・・。
おそらく5、6回目になると思います。

これまでの観劇でビースト役3人(佐野さん、福井さん、飯田さん)、
ベル役3人(坂本さん、鳥原さん、高木さん)をそれぞれ鑑賞させて頂き、
それぞれの会でそれぞれの演技に感動させて頂きました。

佐野ビーストと坂本ベルを観劇させて頂くのは今回が2度目ですが、
自分の作品に対する理解も深まってきたせいか、今回の感動は
これまでとは比べ物にならないくらい大きいものでした。

そして、佐野さんと坂本さん、ガストン役の田島さんや、
Mrs.ポッド役の織笠さんを始めとする役者さんの
プロフェッショナリズムを肌でビリビリと感じさせられました。

佐野さんは1986年に劇団四季に入られ、1997年からビースト役を
担当されているし、坂本さんは1982年に劇団四季に入られ、
1995年からベル役を担当されている・・・。

この2人のペアを観て、これまでまったく分からなかった
美女と野獣の魅力を教えられました。

僕はもともと「救いと励まし」というカタルシスのある作品に
無性に感動してしまう傾向があります。

そして真の意味で救われる人というのは、他人に救われる前に
自分で自分の運命を引き受けなければいけない。
自分をしてニヒリズムの淵から救い出せなければならない、
と強く思ってきました。

どんなに過酷な運命であったとしても、自分の運命、人生として
引き受けることができて初めて他人があなたを救うことができる・・・。
実際は他人は救うわけではなく、
共に生きようと言ってるだけ・・・でも、それこそが
他人ができる救いなのかもしれない・・・。

このような観点が美女と野獣にも存在することが、
明確に!!わかりました。

分かった後だと、なぜこれまで明確に分からなかったかが
不思議なくらいなんですけど(苦笑)。

おそらく、今回理解できた原因は佐野さんの演技と歌!!
特に、佐野さんがが歌う『愛せぬならば』とそのリプライズを聴いて
明確に理解できました。

1幕最後にベルを傷つけてしまったビーストが歌う『愛せぬならば』。
感情の矛先が明確に自分へ向けられていることが分かりました。
自分の想いとは反対の結果になってしまったことに対する後悔、怒り、
自分への絶望・・・こういう感情が爆発したような
少し自暴自棄が入った歌い方。それはそれは見事な歌でした。

見事な歌で、もちろん泪ソウソウって感じなんですけど、
心のどこかに泣いてはいけないというブレーキが掛かった感じで
ちょっとした違和感があったんですね。

そして2幕においてベルとの距離が縮まりながらも
その深い愛故にベルをお父さんのもとへ送り出す
(=ビーストが人間に戻る可能性を放棄する)シーンの後に歌う
『愛せぬならば(リプライズ)』を聴いて、違和感は氷解しました。

1幕最後の『愛せぬならば』は自分への同情を隠さないビーストの慟哭。

しかし2幕のそれは、愛故に自分の救済を放棄する・・・。
いわばビースト1世1代オトコの決意!!
ビーストであり続けることを引き受ける、覚悟の歌だったのです。


もはや望み遠くに去り・・・
呪いをとく愛の言葉、聞くことは無い・・・
ただ過ぎた時の流れ、ただ待つのみか・・・
死がいつかはこの呪いを、消し去る日々を・・・


この歌詞の歌い方が佐野さんが最強に素敵な理由です。
ビーストは我が運命を引き受けた、愛するが故に・・・。
悲しみこそあれ己への同情はまったくない歌い方・・・。
だからこそ切なさ10000倍!!!

呼吸困難になるくらい泣けました。
大げさだけど、ビースト!一緒に死んだる!!と
抱きしめたくなるような、そんなビーストを演じられる佐野さんは
チョーカッコいい!!!!!

そして、泣きながらわかったんですね。
ここでビーストは新しい生命を得たんだって・・・。
呪われし己が運命を引き受けたビースト、
このタイミングでビーストには新しい命が用意されていたんだ。
ビーストは運命に選ばれたんです。
だから、ベルも帰ってきたし、愛してももらえた。
王子にも戻ることができた・・・。

今回はそんな解釈ができました。
そして、このパターンは
キャッツのグリザベラの運命と同じじゃないか!!
と思ったんですね。

どのへんが同じと思うかは、過去の感想を読んで頂くとして、
僕には本質的に両作品の深層底流には同じ命題が流れていると
直観しました。

そして、それを教えてくれた佐野さん、坂本さんの
プロとしての演技力に心より敬意を表したくなった次第です。

カーテンコールでは、自然と身体が動きスタンディングオベーションに・・・。
過去の美女と野獣では一度も経験無いんですが、
今回ばかりはスタンディングオベーションしないわけにはいきません。

感動したのは僕だけではなかったようで、客席の至る所で
スタンディングオベーションが!!

舞台、俳優さん、観客・・・どれもが最高の観劇ツアー初日となりました。

2011年12月10日土曜日

台所の一万年 〜食べる営みの歴史と未来〜/山口昌伴

大分前に読んでメモしていた本のメモがヒョッコリでてきたので
ここに転記しておきます。


試み:日本列島に繰り広げられてきた一万年にわたる
食べる営みの場所と道具・装備の変遷を大づかみに捉える


著者の問題意識
①なぜ今、こんなキッチンでこんな食べ方をするようになったのか
経緯を確かめたい

②21世紀の100年もこんな食べ方でいいのか
・今時の食べ方は体に良いわけないし、美味しくもない
・収穫した食べ物を無駄にしている
・家庭の台所のあり方にも問題があるのではないか
→食べ方の理想を「食べる営み」の装備や道具立ての方から見直したい

◆目次

第一章 食べ事とは、食べ物とは、そして台所とは
大事に食べていくために
美味しい健康、食べる楽しみ
生命と食事
食べ残しのゆくえ

第二章 台所のいろいろなかたち
台所の成り立ちを探る小旅行
うちの台所、まちの台所
住まい全体が台所
食べられる都市

第三章 近代日本の台所に起こった事
食べる営みのシステム
台所、この100年

第四章 これからの台所、その設計条件
美味しい台所を実現するには
「台所の構え」をもっと自由に
食べ事を大事にできる台所


◆気になったところ、フレーズなど

「じつは、人類が文明の段階に入った一万年ほど前からこっち、人類は自然のままでは
食べていけなくなっているのです。この状態を絶対飢饉といってみましょう。
絶対飢饉に対して、牧畜や農耕など、食べ物である生命体を増殖するという
文明の力をはたらかせて、あやうく自然界と人間界とのバランスを保って、
何とか食べつづけてきたのです。」

人間は食べるための文明を作り上げる事で、今日の繁栄を享受するにいたった。
a)人口の増大が可能になった
b)健康で長生きになった
c)食べる事が楽しみや生き甲斐になった


「人間の生命を支えつづけてくれるものー食べ物とはいったい何なのか。
それは生命の屍体なんです。」

「人類の食べる工夫の知恵の体系が、台所仕事と調理道具を中心に
しぼり出されてきたのも、ひとえに人類の食べ物が屍体であるということの
やっかいさのうみ出したことだったのです。」

「生活習慣病は生活習慣の集計結果なので、取り返しがききません。
生き方は食べ方なんですね。」

・ばっかり食い
・乱れ食い
・おかまいなし食い
などの見境のない食べ方ができるのが現代。
正しい食事がし辛くなっている。

「日本では、ことに食肉の風景には食の野性味が消去されてしまって、
獣の原型からは遥かに遠い。食材が生命体の原形から遠くなるほど、
人間に受け継がれてきている「動物の本源」としてのぎらぎらした食欲が薄れてくる。
食材が生命実感を失って、記号化された食品になってしまうのと、
それを扱うことで済むキッチンのあり方とは同時進行してきたのです。
人間の本源的食欲、健康な食欲を喚起し、かつそれを満たすことのできる
食べる営みの支えを、私はキッチンに対して台所と呼び分けたいのです。」

お刺身を食べる。残りの魚の頭を二つに割ったのを使って、おすましをつくる。
内蔵はアラ煮に、頭はうしお汁に、骨は味付けをして、乾かして粉にしてフリカケに。

遊牧民は動物を解体して頭のてっぺんから足の先まで食べてしまう。
どうしても食べられない部分はヴァイオリンの弦になったり、
太鼓にはったり、筆になったりと工夫をして全て使っていた。

食べ物とは生命体である故に、一斉に実ったり、成長と繁殖があったりする。
人間は喰い溜めに限界があるので、「食い延ばしの工夫」が食文明の基本技術となった。

食文明における食い延ばしの技術として

Ⅰ.食い溜め

Ⅱ.生き物のコントロール術
a)計画的に食べる
・大きくしてから食べる
・絶滅しないように食べる
・計画的に生産する

b)生きたままの保存術
・籾をつけたまま保存
・生かして保存
・半殺し保存

Ⅲ.保存加工術
a)脱水・乾燥
・風で乾かす
・煮て干す
・燻製
・結氷脱水
b)封じ込み
・密封保存
・漬け物類
c)殺菌
・加熱殺菌
・薬効消毒
d)発酵

Ⅳ.雰囲気調整保存術
a)生命維持環境に留意
・土中
・冷蔭所
・冷暗所
b)人工雰囲気調整保存
・冷蔵
・氷蔵
・冷凍
・CA貯蔵


「食料の加工調製から食料の食品化、生命の砦としての食料の備蓄の確保、
食い延ばしのための保存食加工ー経済性を高め、栄養を増やす工夫、調理と配膳の
作業を繰り広げる清浄な板の間という広い作業面、そして裏庭にみる食料自給と
リサイクルの体制。この、住居にしつらえられた完きシステムから、近代になって
いろいろのものが外部へ、社会へと押し出されていった。その残りが、今どきの
キッチンなのです。」


・食べ物の入手+調理+料理=台所システム

■台所というシステム
以下の4つが合理的に組み合わされた、
一つの食べる仕組みを支える空間と装備を台所という。
①食べ物の入手の仕組み
②調理の仕組み
③分配と共食の仕組み
④料理の仕組み


「家に帰っても冷蔵庫の都合が優先。冷蔵庫の都合というのは、
賞味期限の切れそうなものから食べていくということで、
冷蔵庫は新鮮で美味しい食べ物を不味くしてから食べる機械であるということに
なってしまっています。どうも美味しいことへのこだわりは、まだまだ食生活の
中心的なテーマとして身についてはいないようです。」


「日本列島は季節の変化に富んでいる。その季節によって手に入る食べ物が違う。
それぞれの食べ物にそれぞれの季節があって、まっ盛りのときを旬といいますね。
食べ物の成長のリズムにあった旬のときに、味がもっとも充実している。
旬のものは安くて美味しい。それが大地の健康をも支えていくのです。
そして、旬の食べ物にはその季節にあった食器、春は若草や春の花の模様、
夏はガラス器や白磁、秋は秋草の模様、冬は厚手の陶器といったふうに
四季折々を楽しんだのです。」

「能率的なキッチン、美しいキッチン、片付くキッチン、サッとひと拭き、
掃除のしやすいキッチン、この四条件で今どきのキッチンの基本設計は
できあがっているのです。ここに欠落しているのは、美味しい料理ができることです。」

「台所は片付いちゃったらダメじゃないですか?
日本の近代化のモデルとされたのは西欧のライフスタイル。キッチンもそうです。
でも西欧のキッチンと日本の台所は、ちがう原理で働いているのです。」

◆著者の論点
加工された食品からスタートするのが西欧スタイル。
食材からスタートするのが日本スタイル。
西欧スタイルの根底にあるのは必要悪としての家事労働。
極力軽減すべき労働としての家事を減らす支援をするものとして
キッチンはデザインされている。

生活の中心は食べ事であるにもかかわらず、建築家のほとんどは
住生活から食べ事を切り離して、キッチンというスペースに押し込んでしまっている。


日本は食べる営みの場所をもともとは台所(だいどこ)と呼んできた。
※平安時代の宮殿にあった台盤所(だいばんどころ)が語源とされている。

◆よい台所とは

大事なことは何よりもまず「美味しい台所」であること。
つまり美味しい料理が作れる場所があること。

美味しい台所であるためには、台所の構えを
食べ事のシーンに応じて臨機応変に変えることが出来るようにする必要がある。

著者の不満
・キッチンの設計には食材の収納システムがほとんど考えられていない。
冷凍冷蔵庫が置けるスペースだけしか配慮されていない。

→食材を大事にする台所設計は、食材の収納システムを住まい全体の中で
体系的に考えることからやり直していくべき。


【個人的な備忘】
・マンションのキッチンってなんでこんなにせまいんだろ
2人が並んで分担作業するのが精一杯な広さ

・今のキッチンの広さだと、冷蔵庫に入らない食材加工品を
置く場所がとれない