2011年8月30日火曜日

わかりやすいはわかりにくい?/鷲田清一

生きてゆくうえでほんとうに大事なことには、たいてい答えがない。



ここのところ劇団四季オタクと化してきたこのブログではありますが、
たまには読書の感想も・・・ということで久しぶりの読書感想エントリー。


鷲田さんの感性は前から気になっていました。
何かの雑誌、もしくは新聞に掲載されていたエッセイを読んだとき、
もの凄くしなやかで柔軟だけど、ちゃんと軸のある思考をされる方なんだなぁ、
というのが第一印象です。大学時代でしょうか・・・。

そういう好印象を持ちつつも、著書を読むのは今回が初めてです。
松岡正剛ことセイゴオ先生の『フラジャイル』を読んでいて、
ふと「弱さ」を取り上げていた鷲田さんをまとめ読みしたくなったんですね。

本屋に行って5、6冊まとめ買いした中で、一番最初に手に取ったのが
今回ご紹介する『分かりやすいはわかりにくい? −−臨床哲学講座−−』です。

本書のもとになったのはNHKラジオの連続講義です。
もとは『シニアのための哲学 −−時代の忘れもの』と題されたテキストでしたが、
これに加筆訂正したのが本書です。

ですから、書いている内容は大人(シニア)向けです。
中学、高校生が読んでも本書で取り上げられている
問題意識が共有できないかもしれません。


そしてたとえ大人であっても、問いに対して答えが用意されていないことに
耐えられない人が読むと「つまらない」で終ってしまうかもしれません。

本エントリーの冒頭にあげた言葉。
そう、この本に出てくる問いには答えなんかない。
あるのはヒトを考える上で本質となる「問い」と
「問いに対するアプローチの仕方」だけです。

でもこれでいいんです。これがいいのです。
哲学するというのは「問いを共有すること」なのですから。

本書では以下、13の問いが用意されています。

第1章:問いについて問う―意味について
第2章:こころは見える?―ふるまいについて
第3章:顔は見えない?―人格について
第4章:ひとは観念を食べる?―生理について
第5章:時は流れない?―時間について
第6章:待つことなく待つ?―ホスピタリティについて
第7章:しなければならないことがしたいこと?―責任について
第8章:所有できないものしか所有できない?―自由について
第9章:同じになるよりすれ違いが大事?―コミュニケーションについて
第10章:できなくなってはじめてできること?―弱さについて
第11章:憧れつつ憎む?―家族について
第12章:未熟であるための成熟?―市民性について
第13章:わかりやすいはわかりにくい?―知性について



これらの問いはよくよく考えると哲学や心理学や
文化人類学などの歴史において数多の学者が共有してきた、
そして考え続けてきた問いなんですね。
なので本気で系統だって考えようとすると、問いごとに
数多くの書籍にハイパーリンクすることができます。

時がたってもヒトが生きるうえで向き合わなければいけない問いというのは
あまり変わらないのだなぁ、と感じることもあるでしょう。
また、ヒトによって、うまく問いを共有することができれば、
己という存在が歴史的な存在であるというこを感じることができるでしょう。


ヒトという生き物はなぜか「自我」を持ってしまいました。
「意識」をもってしまいました。「理性」をもってしまいました。

これにより”なぜ”から離れられなくなりました。
生きる目的、生きる意味・・・こういうある意味でフィクションを
作らないと不安に苛まれてしまいます。

でもそんなものは最初から与えられてなんかいません。
ヒトは最初から「欠けた存在」なのでしょう。

「欠けた」ものを補償したかったのでしょうか・・・
色々な物語や観念や思想体系、沢山の物理的なモノを作って所有してきました。
猪突猛進してきました。

でもそんな考えが壁にぶつかっているような気がするこのごろです。


豊かなのか貧しいのかよくわからない時代・・・。
たまには本書を手に、様々な問いに対して
多様なまなざしを向けてみてはいかがでしょうか?


問いを共有できさえすれば、何かが見えてくるはずです。



0 件のコメント: