2011年4月17日日曜日

ものぐさ精神分析/岸田秀

ここ最近、連続して「日本」ものの読書感想を行っています。
それも新しい本ではなく、全て読み直しによる感想を。

3.11以降、日本は危機的な状況におかれています。
地震、そして津波による大量の死者と行方不明者。
さらに、福島の原発問題はいつ収束するか分からない状態。
今回の地震については、実家も親も被災している関係上
どうしても他人事ではありません。

ま、いわゆる大事態です。
そんな危機的状況で問われる今後の日本。

政治含めて思う所は色々ありますが、
ここではそういう話はしません。

僕は高校、大学を通して読んで頭に刺さった考えを
今一度読み直し、整理することで
自分の視界をクリアにしたいと思うようになりました。

今回感想を述べる『ものぐさ精神分析』もそんな一冊です。
最初に手に取ったのが大学2年生の時です。

この本は、フロイト学者(精神分析者)である岸田秀さんが
「現代思想」や「ユリイカ」という雑誌に寄稿したエッセイを
1冊の本にまとめたものです。
歴史や人間、性や自己など幾つかのカテゴリーごとに
計27のエッセイによって構成されています。

このエッセイのなかの幾つかが、
もの凄く衝撃的だったのを覚えています。

特に一番記憶に残っているものが
「日本近代を精神分析する〜精神分裂病としての日本近代〜」です。

僕が高校の頃、新しい教科書を作る会なるものが発足し、
雑誌「諸君」などで従軍慰安婦はいたのいないの、
大虐殺があったのないの、と色々と議論が盛んでした。
議論を戦わせる両陣営が、なんとなく平行線をたどって
生産的な議論になっていなかったような記憶があります。
その他、戦争の非を国会議員が謝罪すると
猛烈な批判があがったりと、高校生ながらも
日本の歴史ってなんでこうも議論にならんのだろう、と思っていました。
そのような疑問に対して、一つの解釈を与えてくれたのがこのエッセイです。

簡単に内容を整理しておきたいと思います。



精神分裂を起こした日本という患者


岸田さんは言います。


はじめに結論めいたことを言えば、日本国民は精神分裂病的である。
しかし、発病の状態にまで至ったのはごく短期間であって、
たいていの期間は、発病手前の状態にとどまっている。
だが、つねに分裂病的な内的葛藤の状態にあり、
まだそれを決定的に解決しておらず、
将来、再度の発病の危険がないとは言えない。



そして、岸田さんによれば、
日本国民の精神分裂病的素質をつくったのは、
1983年のペリー来航事件なのだそうです。
日本は無理矢理に開国を強制されたことで、
外的自己と内的自己に分裂してしまったと言います。



分裂病質は外的自己と内的自己との分裂を特徴とする。
他社との関係、外界への適応はもっぱら外的自己にまかされ、
外的自己は、他社の意志に服従し、一応の適応の役目は果たすが、
当人の内的な感情、欲求、判断と切り離され、ますます無意味な、
生気のないものになってゆく。内的自己はそのような外的自己を
自分の仮の姿、偽りの自己と見なし、外的自己の行うことに
感情的に関与しなくなり、あたかも他者の行動をながめるように
距離を置いて冷静に突き放してそれを観察しようとする。
(途中略)
当人の自己同一性は失われる。不本意につき合っているだけの
外的自己にも、現実から遊離した内的自己にも、
自己同一性は見いだされない。
彼は、外的自己に従っては屈辱を感じて後悔し、
内的自己に従っては不安にかられ、両者のあいだを絶えずゆれ動く。


そして、ペリー・ショックによって引き起こされた
外的自己と内的自己への日本国民の分裂は、
まずはじめに開国論と尊王攘夷論との対立となって現れた、と。


僕はかねがね不思議で仕様がありませんでした。
何ゆえ、それまで歴史的に神の子などとされてこなかった
天皇が神の子になってしまったのか、と。
まともな精神状態であれば、誰一人受け入れるわけないだろう、と。

岸田さんは言います。


自己喪失の危険にさらされた日本国民は、その恐怖か逃れるための
つっかえ棒を必要としたのであり、天皇制はまさにそのための
好都合なつっかえ棒に向いていた。
つまり、支配者の側から押し付けられなくても、
天皇制を受け容れる心理的基盤は国民の側にもあったと思う。



内的自己の独自性を支えるためであれば、どれだけ不合理に見えても
妄想体系は維持されるのが分裂病患者の症状なんだそうです。
また、この指摘もなるほどと思いました。


和魂洋才とは外面と内面とを使い分けるということである。
これこそまさに精神分裂病者が試みることである。
あるいはこういった方がよければ、ある危機的状況にあって、
外面と内面との使い分けというこの防衛機制を用いることが、
精神の分裂をもたらすのである。



その他、昭和の日本において不思議だったことに
何ゆえ征韓論なんかが出てきたのか、というものがあります。
僕は在日韓国人の友人や知り合いが高校生の頃からいたために、
どーしてもこの辺の歴史的事情が気になって仕様がありませんでした。
歴史的に中国や韓国というのは、日本にとって文化的な恩人だったはず・・・。


欧米諸国に屈従する外的自己は、その存在を否認しなければならない。
それは、いやが上にも純化された内的自己の自尊心に突き刺さった棘である。
外的自己は非自己化され、投影される。その投影の対象に選ばれた
不運な国が朝鮮であった。征韓論の心理的基盤はここにある。
(途中略)
つまり、朝鮮人は日本人にとって劣等な自己だったのである。
欧米諸国に屈従する自己の劣等な部分を朝鮮人に投影し、
本来は自己軽蔑であるところのものをふりむけたのである。
それは、本来は自己軽蔑であるがゆえに、公然とは容認できなかった。
うしろめたいものであった。
そして、その対象である朝鮮人は日本人でなければならなかった。


これが、皇民化政策の心理的背景なのだそうです。
外と内への分裂。外の自己は欧米に屈している自己。
内の自己は何とか自尊心を持ち続けたい。
だから外の自己を「非」自己化して、朝鮮に投影したと。
さらに投影された外の自己を制圧し、挙げ句の果てに
日本化させることで改めて自分のナカに取り込み同一化する、と。
正直、僕は心理学のプロでも何でもないので、
この説が正しいかどうかを証明することはできません。
ですが、僕にとっては岸田さんの説がこれまで読んだ
どの日本分析本よりも論理的に納得いくことが多かった。
ほんと、哀しい限りです。


外的自己と内的自己に分裂していた日本ですが、
岸田さんによるとペリー・ショック以来引き裂かれていた
日本国民の人格は対米開戦によってはじめて一応の統一を見たそうです。

確かにそうですよね。アメリカによって分裂させられた自己な訳ですから、
アメリカと開戦し「勝つ」ことによって精神的な統一が回復出来る。
岸田さんは、ここでも鋭い指摘をしています。

必勝の信念や敵愾心や大和魂などの精神主義が強調された。
日米の戦いは精神対物質の戦いであると言われた。
日本の本当の戦争目的が、現実的、合理的打算よりはむしろ、
危うくされた自己同一性の回復という精神的なものにあったのだから、
精神主義は必然のなりゆきであった。


もう、言葉無いです。


大日本帝国は崩壊した。大東亜共栄圏は幻想に終った。
狂気の発作からさめた分裂病質者と同じように、
日本人はついさっきまでの自分の行動をえらく恥じ入り、
後悔する態度を示し、もう二度とこのようなことはしないと誓うのだった。
それまで表面に出していた内的自己を抑圧し、抑圧していた外的自己を
表面に出す決心をしたのである。
外的自己と内的自己との分裂は従来のままである。



今に続く極端な外国崇拝の風潮などみても、岸田さんの説には
一定以上の説得力があると思わざるをえません。
建設的な将来をつくるためにも、
自分たちの足元を見直す必要があるのでしょうね。


ちなみに、僕はこのエッセイを読んで、
日本が精神分裂病的になったのは何もペリー・ショックではなく、
すでに日本という国が出来たときからではないか?
という勝手な妄想すら抱いています。


最近ブログで紹介した本を読み直して
なおさらその意を強くしてたりもします。


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