2011年4月10日日曜日

天皇がわかれば日本がわかる/斎川眞

日本の政治制度のわかりにくさは、律令制度がよくわからなかった、
という事実に由来する。だから、「律令がわかれば、日本がわかる」のである。


この本をはじめて読んだのは2000年ですから、
かれこれ10年以上前です。大学生の頃です。


日本という国はどういう風にして出来上がったのかを知りたく、
それこそ沢山の本を読みました。


お陰で、個人的な「日本成り立ち論」に影響を与えてくれた
沢山の書物にもいろいろと出会うことができました。


この本は「政治システムとしての日本」を理解するのに
大きな示唆を与えてくれた1冊です。


3.11の地震で本棚から転げ落ちてきてくれたため、
久しぶりに読み返してみました。


政治システムとしての日本を考えるのであれば、
読んでおいた方がいい1冊であることを再認識しました。



経済学者の野口悠紀雄は、『1940年体制』という本の中で、
日本経済が、1940年の戦時経済=統制経済をひきずって
今日まで来ている、と書いた。
しかし、政治的には、日本は、本質的に、
千年間何も変わっていないのである。
日本が、今日、ぶつかっているような問題はすべて、
八世紀の律令時代に現れている。
だから、「律令がわかれば、日本が分かる」。




千年間何も変わらない日本。なぜ変わらないのか、
そもそも「日本」の成り立ちとはどうなっているのか。
天皇とはどのような存在だったのか。


この本でコードブレークしてみてはいかがでしょう?




目次


第1部 天皇という称号 「天皇」とは、そもそも法律用語である。
・「天皇」とは、「北極星」のことである
・君主の称号とは、臣下が献上するものである
・日本の天皇号は、臣下が献上した
・天皇は、「倭の五王」の子孫である
・天皇の統治は、高天原の神の委任である
・天皇の「姓」は、宮号である

第2部 中国と日本 「冊封体制」とは何か
・冊封体制とは、中華帝国の世界秩序のことである
・天命思想とは、王朝交替の思想である

・日本は、中華帝国に朝貢して、世界史に登場した
・遣隋使・遣唐使は、中華帝国の官職・爵号はいらないと伝えた
・日本という国名は、律令体制に伴ってあらわれる)

第3部 日本律令国家 日本は、中華帝国のような国家になりたかった
・日本は、律令を作るために、中国から律令の写本を運んできた

・日本の血統原理の正当性は王朝交替思想を排除して成立した
・律令国家は、行政指導・官僚統制型の国家である


結論 そして、国家の枠だけが残った







天皇という言葉の意味

知っていましたか?
「天皇」という言葉の意味は「天=(天)」の「輝き=(皇)」
という意味で、その指し示すところは「天皇大帝」、
つまりは「北極星」だったんです。

古代中国では北極星が天の中心、
宇宙の中心と考えられていたようです。

北極星を中心に天は運行している。そのような自然のあり方を
政治の秩序に重ね合わせていたのが東アジアの政治思想。

この考えは孔子の『論語』にもみられます。



子曰く。政を為すに徳を以てすれば、譬え場、北辰(北極星)の
其の所に居て、衆星の之を共るが如し。
『論語』巻一為政


この言葉でも分かるように、天皇というのは、この世の政治秩序の
不動の中心だということを表現しています。


天皇という称号が使われだした時期

「日本」において、天皇という言葉が使われだした時期とは
一体いつなんでしょう?

五世紀初めから六世紀初めには、まだ天皇という称号は
日本においてでてはこないようです。

そもそも六世紀初めにおいて、日本の君主の号は「王」や「大王」でした。
天皇という言葉どころか「日本」というものもありませんでした。
当時は倭の五王とよばれる讃、珍、済、興、武の時代です。
日本の王が中国皇帝から「倭王」とか「倭国王」として
任命されていた時代ですから、そりゃ当然、秩序の中心を意味する
「天皇」などという称号はでてきようもありません。

では、いつ「日本」が成立し、「天皇」という称号が使われだしたのか・・・。
著者は歴史学のメソドロジーに忠実に従い、以下のように結論づけます。


「天皇」号が日本の王に献上されたのは
六世紀の終わりから七世紀初めにかけてである。
理由は次の二つである。
①日本が、中国の政治秩序から離れて、
 この日本列島に立て籠るようになったこと。
②同時に、大和王権の氏姓制度という旧体制から、
 中国のような国家、つまり「小中華帝国としての日本」
 の形成を目指すようになったこと。



著者は、なぜ日本がそのような方向に舵を切ったかという理由に、
任邦の滅亡をあげます。

それ以降の日本は、中国から王として任命されるような道
(いわゆる属国)を歩むのではなく、小中華帝国として
国の名前や法制度、君主の称号も変えていきます。


668年には最初の律令である近江朝廷之令ができ、
689年の飛鳥浄御原令、そして701年の大宝律令にかけて
天皇という制度を確立していきます。
ちなみに天皇や陛下というのは全て文書に書くときに使う称号で、
ことばで口にするときは「すめみまのみこと」や「すめらみこと」と
区別するなんていうことも法の注釈書に書かれたりもしています。


また、720年には日本の政治の正当性を保証するために、
正史として『日本書紀』を編纂します。
ここでは以下3つの前提で歴史が書かれています。


・天皇は日本の正当な君主であること。
・天皇は、初代を神武天皇として、初めからこの国を治めてきたこと。
・天皇家の血統は、其のときから連綿と続いて今に至っていること。
 (中国のような王朝交替はなかったということ)


こうして倭から日本というものを作っていったわけですね。




律令国家日本


こうして日本は中華帝国のような国を独自に作るために、
遣唐使などを派遣し律令を中国から持ってくるわけですね。
そしてようやく天皇を国の長とした律令体制を作り上げます。


政治制度として中国から律令制を取り入れますが、
取り入れる際に中国にあった「易姓革命」に関係する思想を
外します。天命思想や王朝交代思想を防がないと、
日本の血統原理は、正当性を持たなくなるからだ
というのが著者の主張です。


ちなみに律令制では、
国民と経済を国家の統制のもとに置くために
官が民にたいしてあーしろ、こーしろと指導をするそうです。
律令ではそういった指導のことを「観農」と言いました。
さしずめ、いまでいう行政指導だそうです。
要は、長である天皇の任命を受けた官僚が
行政指導をすることで政治をまわしていくわけですね。




変わらない日本


ご存知の通り、この律令制という制度自体は時代とともに変容します。
しかし、ここで著者は重要な指摘をします。


律令国家の枠組みについては
最初の正当性を失うことはなかった。
律令国家の長である天皇は
存在の正当性を疑われることも失うこともなかった。
律令体制の正当性は失われなかったけれども、
実際の権力は臣下のほうである武家に移っていった。
これは制度上の、すなわち形式的な権力の所在と、
実際の権力の所在がくいちがったということである。




そして、さらに重要な指摘をします。


日本は部族性をベースとする混合政体の国柄である。
もとは倭の五王を長としていた部族性。
この部族が内戦を勝ち抜いて倭国を平定した。
途中、中国から律令体制を導入し、
部族性と律令制の混合体制になった。

これは、倭国の王は、王の称号を捨てて日本の天皇になった。
そして、それまでの王の家来は、律令官僚に転身したということです。


日本では政治家というのは部族性の昔からずっと、
王の臣下である官僚達のことだったからだ。
長らく日本では、国会議員などではなくて、
官僚そのものが政治家だったのである。


そしてこの混合体制が幕末まで続いた、と著者は言います。

他にも色々と大事な指摘をしてくれていますが、
もうこの辺で止めておきましょう。

このように、律令制というキーワードをもとに天皇をひもとき
日本を理解するための補助線を引いてくれるのがこの本の醍醐味です。

後は実際に本を読まれたし。


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