2011年4月23日土曜日

4度目のCATS



尋常じゃないくらいはまっています。
ほんと狂ってる・・・。
4月に入ってこれで3回目の鑑賞です。

最初に観たのが2010年のクリスマス。
この時の座席は真っ正面。

次が2011年の4月3日で、この時の座席は右端。
3回目が4月16日で、これは左端。

そして4回目の今日は、特別席の舞台から4列目。

この特別席のデメリットは舞台全体を視野に入れられないこと。
ステージと席が近すぎるからです。
しかし、そんな点は、ステージを所狭しと動き回るジェリクル達の
一挙種一動作がひしひしと伝わってくる、ステージの振動がそのまま
体感できる、歌声が耳ではなくソウルに響く・・・。
というチョー最高のメリットによって、すぐに打ち消されます。

いやはや、まいったまいった。
最前列で鑑賞するCATSがここまで凄いとは。

最前列の席に座る時にステージに上がることが出来るのですが、
実際あがってみると思ったほど広くは無い。
でも、観客席からみるステージは驚くほど広い。

さすがはミュージカル、総合芸術とはよくいったもんです。


鑑賞4度目の今回、最前列でジェリクル一匹一匹の表情を
目の当たりにすることで、キャッツのテーマが
自分なりに解釈できたように思えました。。
この作品は本当に深い、見れば見るほどそう思います。

これまで僕は、何ゆえちょっと哀れな境遇となってしまった
アスパラガスがジェリクルとして選ばれなかったのかが疑問でした。
まー、普通にみれば仲間がいるからいいじゃん、
みたいな感想になるんでしょうけど。
でも、僕はちょっと引っかかっていました。

でも、今回、ステージ真ん前でグリザベラの最後の「メモリー」を聴き、
歌い終わった後の表情をみて自分なりに理由が見いだせました。

歌い終わった後にあんな表情をするなんて・・・。
演じた木村智秋さんは素晴らしい。素晴らしすぎます。
過去2回、木村さんのグリザベラを観ましたが、
今日が一番歌も表情も良かったと思います。
※ちなみに初回のグリザベラは早見小夜子さんで、
この方は歌唱力、存在感ともに超絶でした・・・。

さて、今回、勝手に納得したこと。
「希望というのは自分で持つものではなく、今の自分をつくってきた
過去にケリをつけた時に、自ずと与えられるものなんだ」ということです。

なぜアスパラガスは天上に召されず、グリザベラは天上へ昇れたのか?

僕なりに納得できた理由の一つがこれでした。

”自分に対してある種の決着をつけることができない輩には、
希望という名の「新しい人生(いのち)」などやってこないのだよ。”

ミュージカル全体からそんなメッセージが聞こえてきました。
夢見て寝言ほざく前に、自分のこれまでの人生にケリつけてみろ、と。

自分にケリをつける、自分の状況を自分のものとして
勇気を振り絞って引き受ける。
これが出来た輩には、もう既にそれ以前とは別な人生(いのち)が
始まっているんだよね。

頭を殴られたような衝撃と感動を覚えました。
まぁ、僕がそういう処世哲学を持ってるからこそ、
そう見えるだけなのかもしれませんけど。
CATS凄いよ・・・ほんとに。

この衝撃と感動のまま、オールド・デュートロノミーの
「猫からのご挨拶」をきいているとなんだか色んなことを考えさせられます。

CATSを観たことのある皆さんは、どうお考えになりますか?

今日は、アスパラガスの、過去を懐かしみ執着する姿に涙ぽろりで、
グリザベラの表情を観て、声を殺して嗚咽する有様。

いやぁ〜CATSって、本当にいいですね。
それではまた。


『猫からのご挨拶』


いかがです、皆さん、猫の生き方は?

大いなる心を持ち、誇り高く、強く、生きているでしょう?

もうお分かりのはず。とても似ているあなたと、
とても似ているあの人と、とても似ている人間と。
さぁ、猫にご挨拶を。

忘れてはいけない。猫は犬に在らず。
忘れてはいけない。猫は犬に在らず。

猫には、ひとつのルールが在る。

こちらからは、話しかけない。

だから、あなたの方から、猫にまずご挨拶を。
でも、馴れ馴れしく口をきくと、退けられる。

まず、猫にであったならば、敬虔な心で「Oh! Cat!!」

これこそ、猫への正しい礼儀なのだ。
信頼受けるためには、しばし努力して欲しい。
捧げものを送るのだ。こころに語りかけて。

信じられる時をまつ。必ずその時が来る。
その時あなたは、猫を唯一の名で呼べる。

猫は求めるのだ、唯一のその名を。
猫は求めるのだ、大きな魂を。
猫は求めるのだ、大いなる心を。
猫は求めるのだ、唯一のその名を。





2011年4月19日火曜日

「幸せの姿」〜オールド デュートロノミー〜

在野の賢人ならぬ賢猫、オールド  デュートロノミーは歌う。
幸せの姿を・・・


しばし、その声に耳を傾けてみよう・・・
きこえる、彼の歌が・・・



(オールド  デュートロノミー)

幸せの姿 つかの間に消える 

永遠の幸せ望むなら 心に深く求めるのだ

そして ついに思い出をたどって甦り

新しいかたちで 生まれ変わった命こそ

本当の幸せの姿なのだ

もう永遠に変わらず 永遠に消えない




(シラバブが応える・・・)

ムーンライト 仰ぎ見て月を

思い出を辿り 歩いてゆけば

出会えるわ 幸せの姿に 新しい命に




(皆がつづく・・・

ムーンライト 仰ぎ見て月を

思い出を辿り 歩いてゆけば

出会えるわ 幸せの姿に 新しい命に




穢れたものへの救いの調べ、一条の光・・・。

ここから物語はしばし過去の回想へ。

さぁ、追憶の旅に出よう・・・。





2011年4月18日月曜日

ミュージカル「CATS」

最近僕がハマっているのがミュージカルの「CATS」です。
あることにここまでハマったのは久しぶりです。
ちょっと逝っちゃってるんじゃないか、
というくらいハマっています。

我が家で最初にハマったのはうちの嫁さん。
その嫁さんの誘いで、2010年のクリスマスに
はじめて横浜のキャッツシアターを訪問し、初鑑賞しました。
この時は、まだハマっていませんでした。

その後、「美女と野獣」を観て、
2011年4月の1週目に2回目の鑑賞を行いました。
「CATS」が観たかったというよりは、
3.11の後ということもあり、気分転換したかったのが本音でした。

2度目の鑑賞をした時、心の底からミュージカルって素晴らしいな、
と思いました。なぜかは分かりませんが、オープニングの
「ジェリクル・ソング」を観た時から涙がボロボロ出てきました。
もの凄く響いたんですね、僕の心に・・・。
グリザベラが昇天するシーンなんて号泣でした、馬鹿みたいですけど。

これがキッカケとなりCATSにハマっていくことになります。

まずは手始めに、ということで日本語約されている
T.S.エリオットの原作『キャッツ』を読んでみました。
これは可愛らしく、面白かったです。
でも、ここまでならまだ帰って来れた・・・。

帰って来れなくなったのが、最近DVDで出た
『CATS』のロンドン公演を観てからです。
これにはヤラレマシタ・・・。

リーダー猫のマンカストラップ、
気ままなダンディー猫のラム・タム・タガーを始めとする
役者さんが皆セクシーで、ほんと男惚れしました。
そして、ラム・タム・タガーとマジシャン猫のミストフェリーズが
コラボするシーンを観て完全に虜に・・・。
なんて楽しくて美しいのだろう、とため息が出るほど。
DVDでこのシーンだけでも30回くらいは観ました(2、3日で)。

ある程度見慣れた所で、全体を何回か通して観て見ると、
CATSのストーリーの奥深さを感じることが出来るようになりました。

そんな時に、うちの嫁さんが
「T.S.Elliotの原作って詩がかなり凄いらしいよ」
というではありませんか。

その時は、なにが凄いか分かりませんでしたが、
速攻でAmazonにて原作を含め絵本やら解説本やらを
売ってるだけ購入することに・・・。

あのアンドリュー・ロイド・ウェーバーが原作を読んで、
なんとかミュージカルに出来ないか?と衝撃を受けたそうなので、
私としても多いに期待していました。

その後、iTunesでCATSのCDを買って聴いたりと、
ほんとキャッツ三昧です。

そして昨日、嫁さんに無理を言ってオークションで落札してもらった
チケットを手に、いって参りました3回目!!


DVDやCDでシナリオや曲順を覚えたうえでの鑑賞だったこともあり、
今回が一番楽しめました。時間も、ほんとあっという間に過ぎました。


3度目の鑑賞ということもあり、CATSというミュージカルが
何を表現したいのかが自分なりに咀嚼できるようになりました。

特に、今回は「ジェリクル・ソング」でウルっときて、
ガスの物語でボロボロ、グリザベラの昇天でうぇ〜んという感じ、
我ながら鬱陶しい観客だと思わずにいられません。


やっぱりいいわ、CATS。
劇場が横浜にあってくれてよかったぁ〜。
金が許す限り、そして横浜に劇場がある間は
定期的に通おうと誓いました。それほど素晴らしい。


そして、今日、CATSの原作(英語版)が届きました。
英語の詩と合わせてDVDを観ましたが、これまた感激です。

何に感激って、原作の詩が凄すぎることです。
韻の踏み方が半端じゃない。韻を踏みながら、
1匹1匹の猫ちゃん達を活き活きと描写しています。

こればかりは、日本語の翻訳本を読んでも分かりません。
やはり詩というものは、原作で読まないとその本当の素晴らしさを
理解できないような類いの作品なのでしょうね。


あらためて今日、CATSの凄さを認識した次第です。


極東の島国より、今は亡きT.S.Elliotに心より敬意を評したいと思った
4月18日に日が変わった夜でした。



2011年4月17日日曜日

ものぐさ精神分析/岸田秀

ここ最近、連続して「日本」ものの読書感想を行っています。
それも新しい本ではなく、全て読み直しによる感想を。

3.11以降、日本は危機的な状況におかれています。
地震、そして津波による大量の死者と行方不明者。
さらに、福島の原発問題はいつ収束するか分からない状態。
今回の地震については、実家も親も被災している関係上
どうしても他人事ではありません。

ま、いわゆる大事態です。
そんな危機的状況で問われる今後の日本。

政治含めて思う所は色々ありますが、
ここではそういう話はしません。

僕は高校、大学を通して読んで頭に刺さった考えを
今一度読み直し、整理することで
自分の視界をクリアにしたいと思うようになりました。

今回感想を述べる『ものぐさ精神分析』もそんな一冊です。
最初に手に取ったのが大学2年生の時です。

この本は、フロイト学者(精神分析者)である岸田秀さんが
「現代思想」や「ユリイカ」という雑誌に寄稿したエッセイを
1冊の本にまとめたものです。
歴史や人間、性や自己など幾つかのカテゴリーごとに
計27のエッセイによって構成されています。

このエッセイのなかの幾つかが、
もの凄く衝撃的だったのを覚えています。

特に一番記憶に残っているものが
「日本近代を精神分析する〜精神分裂病としての日本近代〜」です。

僕が高校の頃、新しい教科書を作る会なるものが発足し、
雑誌「諸君」などで従軍慰安婦はいたのいないの、
大虐殺があったのないの、と色々と議論が盛んでした。
議論を戦わせる両陣営が、なんとなく平行線をたどって
生産的な議論になっていなかったような記憶があります。
その他、戦争の非を国会議員が謝罪すると
猛烈な批判があがったりと、高校生ながらも
日本の歴史ってなんでこうも議論にならんのだろう、と思っていました。
そのような疑問に対して、一つの解釈を与えてくれたのがこのエッセイです。

簡単に内容を整理しておきたいと思います。



精神分裂を起こした日本という患者


岸田さんは言います。


はじめに結論めいたことを言えば、日本国民は精神分裂病的である。
しかし、発病の状態にまで至ったのはごく短期間であって、
たいていの期間は、発病手前の状態にとどまっている。
だが、つねに分裂病的な内的葛藤の状態にあり、
まだそれを決定的に解決しておらず、
将来、再度の発病の危険がないとは言えない。



そして、岸田さんによれば、
日本国民の精神分裂病的素質をつくったのは、
1983年のペリー来航事件なのだそうです。
日本は無理矢理に開国を強制されたことで、
外的自己と内的自己に分裂してしまったと言います。



分裂病質は外的自己と内的自己との分裂を特徴とする。
他社との関係、外界への適応はもっぱら外的自己にまかされ、
外的自己は、他社の意志に服従し、一応の適応の役目は果たすが、
当人の内的な感情、欲求、判断と切り離され、ますます無意味な、
生気のないものになってゆく。内的自己はそのような外的自己を
自分の仮の姿、偽りの自己と見なし、外的自己の行うことに
感情的に関与しなくなり、あたかも他者の行動をながめるように
距離を置いて冷静に突き放してそれを観察しようとする。
(途中略)
当人の自己同一性は失われる。不本意につき合っているだけの
外的自己にも、現実から遊離した内的自己にも、
自己同一性は見いだされない。
彼は、外的自己に従っては屈辱を感じて後悔し、
内的自己に従っては不安にかられ、両者のあいだを絶えずゆれ動く。


そして、ペリー・ショックによって引き起こされた
外的自己と内的自己への日本国民の分裂は、
まずはじめに開国論と尊王攘夷論との対立となって現れた、と。


僕はかねがね不思議で仕様がありませんでした。
何ゆえ、それまで歴史的に神の子などとされてこなかった
天皇が神の子になってしまったのか、と。
まともな精神状態であれば、誰一人受け入れるわけないだろう、と。

岸田さんは言います。


自己喪失の危険にさらされた日本国民は、その恐怖か逃れるための
つっかえ棒を必要としたのであり、天皇制はまさにそのための
好都合なつっかえ棒に向いていた。
つまり、支配者の側から押し付けられなくても、
天皇制を受け容れる心理的基盤は国民の側にもあったと思う。



内的自己の独自性を支えるためであれば、どれだけ不合理に見えても
妄想体系は維持されるのが分裂病患者の症状なんだそうです。
また、この指摘もなるほどと思いました。


和魂洋才とは外面と内面とを使い分けるということである。
これこそまさに精神分裂病者が試みることである。
あるいはこういった方がよければ、ある危機的状況にあって、
外面と内面との使い分けというこの防衛機制を用いることが、
精神の分裂をもたらすのである。



その他、昭和の日本において不思議だったことに
何ゆえ征韓論なんかが出てきたのか、というものがあります。
僕は在日韓国人の友人や知り合いが高校生の頃からいたために、
どーしてもこの辺の歴史的事情が気になって仕様がありませんでした。
歴史的に中国や韓国というのは、日本にとって文化的な恩人だったはず・・・。


欧米諸国に屈従する外的自己は、その存在を否認しなければならない。
それは、いやが上にも純化された内的自己の自尊心に突き刺さった棘である。
外的自己は非自己化され、投影される。その投影の対象に選ばれた
不運な国が朝鮮であった。征韓論の心理的基盤はここにある。
(途中略)
つまり、朝鮮人は日本人にとって劣等な自己だったのである。
欧米諸国に屈従する自己の劣等な部分を朝鮮人に投影し、
本来は自己軽蔑であるところのものをふりむけたのである。
それは、本来は自己軽蔑であるがゆえに、公然とは容認できなかった。
うしろめたいものであった。
そして、その対象である朝鮮人は日本人でなければならなかった。


これが、皇民化政策の心理的背景なのだそうです。
外と内への分裂。外の自己は欧米に屈している自己。
内の自己は何とか自尊心を持ち続けたい。
だから外の自己を「非」自己化して、朝鮮に投影したと。
さらに投影された外の自己を制圧し、挙げ句の果てに
日本化させることで改めて自分のナカに取り込み同一化する、と。
正直、僕は心理学のプロでも何でもないので、
この説が正しいかどうかを証明することはできません。
ですが、僕にとっては岸田さんの説がこれまで読んだ
どの日本分析本よりも論理的に納得いくことが多かった。
ほんと、哀しい限りです。


外的自己と内的自己に分裂していた日本ですが、
岸田さんによるとペリー・ショック以来引き裂かれていた
日本国民の人格は対米開戦によってはじめて一応の統一を見たそうです。

確かにそうですよね。アメリカによって分裂させられた自己な訳ですから、
アメリカと開戦し「勝つ」ことによって精神的な統一が回復出来る。
岸田さんは、ここでも鋭い指摘をしています。

必勝の信念や敵愾心や大和魂などの精神主義が強調された。
日米の戦いは精神対物質の戦いであると言われた。
日本の本当の戦争目的が、現実的、合理的打算よりはむしろ、
危うくされた自己同一性の回復という精神的なものにあったのだから、
精神主義は必然のなりゆきであった。


もう、言葉無いです。


大日本帝国は崩壊した。大東亜共栄圏は幻想に終った。
狂気の発作からさめた分裂病質者と同じように、
日本人はついさっきまでの自分の行動をえらく恥じ入り、
後悔する態度を示し、もう二度とこのようなことはしないと誓うのだった。
それまで表面に出していた内的自己を抑圧し、抑圧していた外的自己を
表面に出す決心をしたのである。
外的自己と内的自己との分裂は従来のままである。



今に続く極端な外国崇拝の風潮などみても、岸田さんの説には
一定以上の説得力があると思わざるをえません。
建設的な将来をつくるためにも、
自分たちの足元を見直す必要があるのでしょうね。


ちなみに、僕はこのエッセイを読んで、
日本が精神分裂病的になったのは何もペリー・ショックではなく、
すでに日本という国が出来たときからではないか?
という勝手な妄想すら抱いています。


最近ブログで紹介した本を読み直して
なおさらその意を強くしてたりもします。


2011年4月16日土曜日

日本流/松岡正剛

フラジャイル・カントリーが生んだ
一途であって多様な方法、それが日本流


日本の文化について様々な角度から斬新な提言を続ける
セイゴオ先生こと松岡正剛さんの『日本流』を読み直しました。

この本については、以前、別のブログに感想を書きました。
しかし、そのブログはもう存在しませんので、
改めて読み直した感想をここに残しておこうと思った次第です。
※セイゴオ先生の別の本についての感想はこちら

改めて読み直して思った結論としては、多様で一途な日本を
「方法の観点」から浮き上がらせている傑作だということです。


以下に目次を掲載してありますが、ご覧頂ければお分かりのように
1章から7章まで「日本に対する見方」を
「が→を→も→で→へ→に→と→は」と助詞や前置詞を動かすことで、
もの凄く多様にしてくれています。
もちろん章それぞれに多様な日本を紹介してくれています。
そこから浮かび上がってくるのは、一途で多様な日本であり、
そのような日本を日本たらしめた方法の数々です。


なぜに一途で多様な方法がでてきたのか?
セイゴオ先生は本書の最後で、傷つきやすい国、つまりは
日本がフラジャイル・カントリーだからだ、といいます。


不安定であるからこそ、
一つものから異なる二つのものがでてくるという
デュアルスタンダードな日本というのが、
視点としては非常に刺激的でした。


それでは目次の紹介です。


目次

序章 日本が思う
歌を忘れたカナリヤ
第一章 日本を語る
多様で一途な国
第二章 日本も動く
職人とネットワーカー
第三章 日本で装う
仕組みと趣向がはずむ
第四章 日本へ移す
見立てとアナロジー
第五章 日本に祭る
おもかげの国・うつろいの国
第六章 日本と遊ぶ
わび・さび・あはせ
第七章 日本は歌う
間と型から流れてくる
図版出展・所蔵先一覧 
あとがき 
文庫本あとがき 
解説(田中優子) 
人名索引 



歌を忘れたカナリヤ

序章は日本の童謡から始まります。
ちなみに『かなりや』というのは、
日本で最初に唄われた童謡だそうです。
「唄を忘れたかなりやは〜、後ろの山に棄てましょか〜」
と、子供向けの唄とは思えない衝撃的な歌詞です。
YouTubeで聴けます


セイゴオ先生は言います。

さて、なぜ本書の冒頭にこんな話をしているかというと、
私は最近の日本が「歌を忘れたカナリヤ」に
なっているような気がするのです。
どんな歌を忘れたのかということ、
どんな歌を思い出すべきかということ、
なぜ忘れたと思っているかということは、
これからおいおい話します。
それはあとの話として、ともかくもわれわれは
ちょっとおかしくなっている。
このままでは後ろの山に捨てられても、
背戸の小藪に埋められてもしょうがない、
そういう気さえしかねません。
しかし、歌を忘れたカナリヤをあきらめて、
これを雄々しい鷹とか鷲にしようというのは
もっとおかしな話です。鳩ばかりでも困る。
むしろ、カナリヤならばカナリヤであることを
自身を知ったうえで、かつカナリヤとしての
多様な歌を唄いだすであるような気がするのです。



仕組みとしての日本流

このような問題意識のもと、1章から7章まで一途で多様な日本流、
つまりは方法としての日本が紹介されていきます。

主なキーワードだけ取り出してみても、

「見立て」「あわせ」「きそい」「そろい」
「稽古」「際(キワ)」「端(ハシ)」「案配」「間」
「コードとモード」「歌枕」「花鳥風月」「趣向」「当と分」
「擬死再生」「モドキ」「フリ」「わび」「さび」
※実際にはもっとあります。

と、沢山の視点や観点、流儀や方法が出てきます。

一つ一つのキーワード自体、凄く示唆に富むものなのですが、
さすがと思わせてくれるのが、それらの方法を
「しくみ」として捉えられていることです。
セイゴオ先生は言います。


仕組みという言葉は、なかなかいいものです。
大約すればシステムという意味ですが、
システムというよりはずっと柔らかい。
システムは体系ですが、仕組みは体系ではありません。
歌舞伎や日本建築の例で見たように、
日本の仕組みは全体と部分を切り分けない。
全体と部分はどこかでつながっている。さらには
全体を構成している要素と部分を構成している要素が
たいに寄り添い、あるいは連れ立って、しだいに中間的な
モジュールをつくっていくという特徴があります。
また、そういうふうに部分を工夫し、道具をつくっていく。
これは仕組みと仕事が分ちがたく結びついているからで、
日本においては仕組みと仕事が、二つで一対なのです。
この仕組みと仕事の一対の関係性が、
日本における全体と部分の関係を動かしている。
そこでは部分は全体の構成要素というよりも、
いわば「全体を変えようとしている部分」
というようなものなのです。


「超部分」などというキーワードも出てきますが、
一見説明しづらい日本の方法についての観点をシステムとして
捉え解説してくれる様は、ほんとうにさすがとしか言いようがありません。

その他、日本の宗教については時間を
「延長する」「促進する」「停止する」
という3つの観点で大まかに分かれていくことを指摘するなど、
改めて凄いな、と思わされる所が沢山出てきます。



フラジャイル・カントリー

7章の最後でセイゴオ先生は、なぜ日本は一途で多様なのかを
端的に答えています。

一言で言えば、日本がずっと不安定な国であるからです。


再読して、この言葉を目にしたときに、個人的に眼からウロコが落ちました。
分からなかった色々なことが、なんとなく腑に落ちた気がしました。

なぜなら、2011年の3月11日を経験したからです。


日本にはいつ地震がくるか分からないし、
いつ台風や大雪がくるか分からない。
日本史の大半は旱魃と飢饉の歴史です。
(途中略)
それくらい小さな国なのです。しかも資源にはかなり限界がある。
季節も変化する。これが不安定でなくて、なんでしょう。
こういう国では一事が万事です。もともと日本は危険な情報や動向を
感じやすい国土の上に成り立っているのです。
フラジャイル・カントリー(傷つきやすい国)、
これが日本の真の姿です。

セイゴオ先生は、上のように述べた上で、
こういう国には二つの工夫が生まれると言います。

一つが、やむを得ずあきらめるという観念を維持するという立場で、
もうひとつが、講や座や連などといった、小さなネットワークで
経済や文化を組み立てるという工夫だそうです。
不安定を宿命としてみて、小さめのモジュールを超部分とし、
その組み合わせで切り抜けていくという世界観。
昔の日本は色々と知恵を持っていたんでしょうか・・・。

しかし、明治維新以降、近代化を標榜して
宿命としての不安定を打破しようとしてきた、
とセイゴオ先生は言います。

小さい国にも関わらず「経済大国」を標榜したり
「生活大国」と言い出したりと、日本はこれまでとは「違った歌」を
唄い始め、そしてなにもかもがオカシクなってきた、と。

これを読んだときに、僕個人としては、3月11日というのは
あるいみトドメみたいなもんだったのかなぁ、と感じざるを得ませんでした。

あたらしい方向性はまだ見えません。
僕たちは一度セイゴオ先生の本を読み直し、
唄うべき歌をすこし考え直してみる必要があるのかもしれません。

2011年4月10日日曜日

天皇がわかれば日本がわかる/斎川眞

日本の政治制度のわかりにくさは、律令制度がよくわからなかった、
という事実に由来する。だから、「律令がわかれば、日本がわかる」のである。


この本をはじめて読んだのは2000年ですから、
かれこれ10年以上前です。大学生の頃です。


日本という国はどういう風にして出来上がったのかを知りたく、
それこそ沢山の本を読みました。


お陰で、個人的な「日本成り立ち論」に影響を与えてくれた
沢山の書物にもいろいろと出会うことができました。


この本は「政治システムとしての日本」を理解するのに
大きな示唆を与えてくれた1冊です。


3.11の地震で本棚から転げ落ちてきてくれたため、
久しぶりに読み返してみました。


政治システムとしての日本を考えるのであれば、
読んでおいた方がいい1冊であることを再認識しました。



経済学者の野口悠紀雄は、『1940年体制』という本の中で、
日本経済が、1940年の戦時経済=統制経済をひきずって
今日まで来ている、と書いた。
しかし、政治的には、日本は、本質的に、
千年間何も変わっていないのである。
日本が、今日、ぶつかっているような問題はすべて、
八世紀の律令時代に現れている。
だから、「律令がわかれば、日本が分かる」。




千年間何も変わらない日本。なぜ変わらないのか、
そもそも「日本」の成り立ちとはどうなっているのか。
天皇とはどのような存在だったのか。


この本でコードブレークしてみてはいかがでしょう?




目次


第1部 天皇という称号 「天皇」とは、そもそも法律用語である。
・「天皇」とは、「北極星」のことである
・君主の称号とは、臣下が献上するものである
・日本の天皇号は、臣下が献上した
・天皇は、「倭の五王」の子孫である
・天皇の統治は、高天原の神の委任である
・天皇の「姓」は、宮号である

第2部 中国と日本 「冊封体制」とは何か
・冊封体制とは、中華帝国の世界秩序のことである
・天命思想とは、王朝交替の思想である

・日本は、中華帝国に朝貢して、世界史に登場した
・遣隋使・遣唐使は、中華帝国の官職・爵号はいらないと伝えた
・日本という国名は、律令体制に伴ってあらわれる)

第3部 日本律令国家 日本は、中華帝国のような国家になりたかった
・日本は、律令を作るために、中国から律令の写本を運んできた

・日本の血統原理の正当性は王朝交替思想を排除して成立した
・律令国家は、行政指導・官僚統制型の国家である


結論 そして、国家の枠だけが残った







天皇という言葉の意味

知っていましたか?
「天皇」という言葉の意味は「天=(天)」の「輝き=(皇)」
という意味で、その指し示すところは「天皇大帝」、
つまりは「北極星」だったんです。

古代中国では北極星が天の中心、
宇宙の中心と考えられていたようです。

北極星を中心に天は運行している。そのような自然のあり方を
政治の秩序に重ね合わせていたのが東アジアの政治思想。

この考えは孔子の『論語』にもみられます。



子曰く。政を為すに徳を以てすれば、譬え場、北辰(北極星)の
其の所に居て、衆星の之を共るが如し。
『論語』巻一為政


この言葉でも分かるように、天皇というのは、この世の政治秩序の
不動の中心だということを表現しています。


天皇という称号が使われだした時期

「日本」において、天皇という言葉が使われだした時期とは
一体いつなんでしょう?

五世紀初めから六世紀初めには、まだ天皇という称号は
日本においてでてはこないようです。

そもそも六世紀初めにおいて、日本の君主の号は「王」や「大王」でした。
天皇という言葉どころか「日本」というものもありませんでした。
当時は倭の五王とよばれる讃、珍、済、興、武の時代です。
日本の王が中国皇帝から「倭王」とか「倭国王」として
任命されていた時代ですから、そりゃ当然、秩序の中心を意味する
「天皇」などという称号はでてきようもありません。

では、いつ「日本」が成立し、「天皇」という称号が使われだしたのか・・・。
著者は歴史学のメソドロジーに忠実に従い、以下のように結論づけます。


「天皇」号が日本の王に献上されたのは
六世紀の終わりから七世紀初めにかけてである。
理由は次の二つである。
①日本が、中国の政治秩序から離れて、
 この日本列島に立て籠るようになったこと。
②同時に、大和王権の氏姓制度という旧体制から、
 中国のような国家、つまり「小中華帝国としての日本」
 の形成を目指すようになったこと。



著者は、なぜ日本がそのような方向に舵を切ったかという理由に、
任邦の滅亡をあげます。

それ以降の日本は、中国から王として任命されるような道
(いわゆる属国)を歩むのではなく、小中華帝国として
国の名前や法制度、君主の称号も変えていきます。


668年には最初の律令である近江朝廷之令ができ、
689年の飛鳥浄御原令、そして701年の大宝律令にかけて
天皇という制度を確立していきます。
ちなみに天皇や陛下というのは全て文書に書くときに使う称号で、
ことばで口にするときは「すめみまのみこと」や「すめらみこと」と
区別するなんていうことも法の注釈書に書かれたりもしています。


また、720年には日本の政治の正当性を保証するために、
正史として『日本書紀』を編纂します。
ここでは以下3つの前提で歴史が書かれています。


・天皇は日本の正当な君主であること。
・天皇は、初代を神武天皇として、初めからこの国を治めてきたこと。
・天皇家の血統は、其のときから連綿と続いて今に至っていること。
 (中国のような王朝交替はなかったということ)


こうして倭から日本というものを作っていったわけですね。




律令国家日本


こうして日本は中華帝国のような国を独自に作るために、
遣唐使などを派遣し律令を中国から持ってくるわけですね。
そしてようやく天皇を国の長とした律令体制を作り上げます。


政治制度として中国から律令制を取り入れますが、
取り入れる際に中国にあった「易姓革命」に関係する思想を
外します。天命思想や王朝交代思想を防がないと、
日本の血統原理は、正当性を持たなくなるからだ
というのが著者の主張です。


ちなみに律令制では、
国民と経済を国家の統制のもとに置くために
官が民にたいしてあーしろ、こーしろと指導をするそうです。
律令ではそういった指導のことを「観農」と言いました。
さしずめ、いまでいう行政指導だそうです。
要は、長である天皇の任命を受けた官僚が
行政指導をすることで政治をまわしていくわけですね。




変わらない日本


ご存知の通り、この律令制という制度自体は時代とともに変容します。
しかし、ここで著者は重要な指摘をします。


律令国家の枠組みについては
最初の正当性を失うことはなかった。
律令国家の長である天皇は
存在の正当性を疑われることも失うこともなかった。
律令体制の正当性は失われなかったけれども、
実際の権力は臣下のほうである武家に移っていった。
これは制度上の、すなわち形式的な権力の所在と、
実際の権力の所在がくいちがったということである。




そして、さらに重要な指摘をします。


日本は部族性をベースとする混合政体の国柄である。
もとは倭の五王を長としていた部族性。
この部族が内戦を勝ち抜いて倭国を平定した。
途中、中国から律令体制を導入し、
部族性と律令制の混合体制になった。

これは、倭国の王は、王の称号を捨てて日本の天皇になった。
そして、それまでの王の家来は、律令官僚に転身したということです。


日本では政治家というのは部族性の昔からずっと、
王の臣下である官僚達のことだったからだ。
長らく日本では、国会議員などではなくて、
官僚そのものが政治家だったのである。


そしてこの混合体制が幕末まで続いた、と著者は言います。

他にも色々と大事な指摘をしてくれていますが、
もうこの辺で止めておきましょう。

このように、律令制というキーワードをもとに天皇をひもとき
日本を理解するための補助線を引いてくれるのがこの本の醍醐味です。

後は実際に本を読まれたし。


2011年4月9日土曜日

東北地方太平洋沖地震(その二)

4月7日の夜23時過ぎに宮城県沖地震(?)が起きました。
TVでは先の地震の余震とのことですが、
東北関東大震災の傷が癒えもしないうちに
震度6近くの地震に宮城県が襲われました。

我が家は怪我人こそ出なかったものの、
先の地震以上に家が滅茶苦茶になってしまったようです。

本当に、こうも色々と起こると生活スタイルについても
考えさせられてしまいます。
タンス含めて家に色々とモノがあるのがいいのかどうかとか・・・。


3月11日の震災以降、仕事をしながら自分の中に起きた変化を
少しずつ整理しようとしています。

これまで経験のないことが起きたわけなので、
自分の中で壊れたりしたものがあるのではないかと思ったわけです。

地震から1ヶ月くらい経過しますが、
段々と自分に起きた出来事を整理できるようになりました。

ここでは細かいことは省きますが、
結論としては今日つぶやいた通り・・・


震災以後、自分の中の色んなものが変わったと思ってたけど、
本質的に変わったりはしないんだということがわかってきた。
逆に、本質的な立ち位置以外は気にしなくなった、
迷わなくなった、躊躇わなくなった。



改めて思いますが、「あたりまえ」
なんてことは世の中ありませんね。



我々が疑いもしない「あたりまえ」。
これの反対語って皆さんわかりますか?
よく考えてみてください。