2010年11月8日月曜日

恋愛論/竹田青嗣

恋愛こそは人間の生の秘密を解き明かす「鍵」である・・・。




自分を深く知るために、他者とほんとうに関わるために哲学する
ユニークな思想家といわれる竹田青嗣さん。
新しいフッサール解釈を引っさげ、現象学のパワーを
強烈に教えてくれた読書上の大先生が、
恋愛という不思議な現象を現象学的に解明する・・・。


そんな本が今回紹介する『恋愛論』です。




面白かった。本当に面白かった。
そして今回もそのしなやかで強い視線に多いに刺激を受けました。




少し目をつぶって、皆さんの「初恋」や
「はじめての恋愛」体験を思い出してみてください。






恋愛は人世の秘薬なり、恋愛ありて後人世あり、
恋愛をぬきさりたらむには人世何の色味かあらむ
      北村透谷「厭世詩家と女性」






恋愛を知って人生の光景がそれまでとは一変する言葉にしがたいあの感情・・・。
この本はそんな「恋愛という出来事の本質」を探る冒険なんです。




ですから、この本に恋愛上手になるテクニックなどを求めても
そんな記述は一行もでてきません。
私たちの「生」における恋愛の意味やその本質を哲学している本です。
そこを誤解なきように。




私がこの本を手に取った理由はいくつかあります。
・大学時代から影響をうけていた著者が恋愛を哲学した本だから
・結婚して依頼、恋愛などとう感情とはご無沙汰だったから
・恋愛ピーク時に見ている世界と今見ている世界の極端なまでのギャップが謎だから
・仕事において真に生き生きしている人は恋愛しているように見えるから
・仕事を楽しむことと恋愛がなにかしら関係してるのではないかという直観


などなど。
このような問題意識を踏まえて読み始めたわけです。
結果、目からウロコがポロポロ、そして考えるヒントがワンサカ・・・。
期待を裏切らない良書です。自信を持ってお勧めします。






◆目次


− 恋愛の謎
− 結晶作用
− 「美」について
− 恋人
− プラトニズムとエロティシズム
− 絶対感情
− エロティックな欲望
− 恋愛の背理



これで約300ページ。








「謎」としての恋愛


竹田さんは、本書で恋愛にまつわる謎をこんなふうに表現しています。



恋愛は、それを生きているときはどんな不思議もない一つの体験だが、
その本質を言い当てようとすると際立った謎として現れるのだ。




みなさんにとってはいかがでしょう?
謎ではありませんか?


竹田さんはこの謎をコードブレークしていく際に、
一つの直観、仮説を提示してくれます。




私たちのうちには二つの生が存在する。
ひとはこの二つの生を同じ場所で同時にいきることができない。
しかし、双方の生は無関係なのではなく、むしろ双方が互いに
もう一方の生の根拠であるような性格を持つ。
私たちは深いところで、この双方の生を
同時に同じ場所で生きたいという
欲望を持つのだが、しかし、ある理由で二つの生は
決して一つに重なることが出来ない。
そしてまた何らかの理由で、まさしくそのことを
自覚することが私たちには困難なのである。
このきわめて逆説的な性格、これこそ、人間の生というものの
最も深い本質だとしたらどうだろうか?






きわめて逆説的な性格として、あげられていることがらが以下の3つです。
・恋愛感情と生活感情
・狂気性と日常性
・恋愛のプラトニズムとエロティシズム








ロマン的な物語を消費し続ける人間




結婚した大人であっても人は恋愛感情を持つのが当たり前のはずですが、
世の中一般的なルールとして、結婚して普通の社会生活を送っている人間にとって、
恋愛はひとつの逸脱、迷い、踏み外しであると捉えられちゃいますよね。


決してそんなことはないのですが、
ある意味結婚は男性にとっての
男廃業宣言ですもんね。
※奥様だけを愛します宣言という意味で。




おそらく女性にとっても似たようなものかと。




つまり、恋愛は若者が大人の階段をのぼる際に必要な
一種の通過儀礼のように見なされているのかもしれません。


竹田さんはこの点について面白いことを言っています。




なぜスキャンダル雑誌は有名人たちの情話を”スキャンダル”として
人々に提供することをやめないのだろうか。
おそらく”夢から醒めた”生活の感情には、他人のロマンやエロスの夢を
つねに嫌悪し妬む理由がどこかにあるからだ。






確かにそうなんでしょうね。
芸能人の誰かと誰かがくっついた、とか
社内の誰と誰があやしいなどという話になると
大抵が下世話な話になりますからね・・・。


全部が全部そうではないにせよ、
他人が浸っているであろうロマンチックな世界を
自分が住む魑魅魍魎の世界に引きずりおろしたくなる
心性がどこかにあるのかもしれません。




大人たちは若いときに「生け垣の向こう側」に予感したものが
実は何もなかったことを知っている。
ここには、悔しさと認識上の優越が入り交じった複雑な感慨がある。
はじめ存在するように思えた魅惑に満ちた世界はそこにはなかった。
わたしは一切を見てきた。
だがそれとは違ったみすぼらしい現実が存在していただけだったと。
この苦々しい認識が大人のリアリズム、現実生活のリアリズムなのである。



いやはや、それをいっちゃーおしめーよー、という感じもしますが
確かにそうかもしれません。私の周りにもいますからね、結構たくさん・・・。


そんな一方で、あたりまえのように我々の日常生活には
歌や小説、映画やTVドラマといったかたちで恋愛の「物語」が
生み出され氾濫し、もの凄い勢いで消費されていることを竹田さんは指摘しています。
そしてその理由をこう言っています。






人は日常生活の中では(つまり醒めているときには)、
恋愛感情をそれ自体として理解することが出来ない。
それはただ「恋愛物語」というかたちにおいてはじめて”消費”されるものとなる。
(途中略)
現実世界の中では、恋愛感情はそのままのかたちでは生き延びることができない。





物語であれば消費できるけれども、現実世界では生き延びられない恋愛感情・・・。
一体これはなんなんでしょうね?




この本の前半20ページくらいに、さすがは竹田さんだなぁと思うような記述があります。
ちょっと長いですが、見てみましょうか。






ロマン的世界は、人が自分自身に付け加える美しい幻想によって成り立っている。
ロマン的世界の中では、人は自分が思い描く理想の姿をしている。
しかし現実においては、自分の存在は他人の中で
自分が持っている立場と役割に一致する。
現実の中で人間は、自分が何であるかを他人の視線の中で知るのだ。
人間の「内面」は、この現実の関係の中での「自分」に反抗し、
自分自身についての物語を作り上げる。・・・略
ところが現実はこの幻想に対して無数の”否”で報いる。
生の中で人間の様々な試みは、ようするに「本当の自分」たろうとする
絶望的な試みといえるかもしれない。
だが成功はいつもはるかに慎ましいかたちでしかやってこない。
その代わりに、挫折、断念、後悔、痛恨、失望、哀惜
といったものにぶつかることになる。
そしてそれらの体験が私たちに「現実」
という言葉の意味を思い知らせるのである。
(途中略)
個々人の実存から見れば、現実とはむしろ、
自分が自分に付け加えようとしたロマン的幻想が、
他人との関係の中で剥ぎ取られる不断のプロセスであり、
そこで人間が思い知ってゆく、かなうことのない
動かしがたい秩序のことなのだ。
(途中略)
生活感情のリアリズムとはいわば無数の心の傷の記憶の堆積だといえる。
それは火傷した動物の記憶のように根強い。
生活感情が現に生きられる恋愛を嫌悪し侮蔑したがるのは、
おそらくそのためだ。しかしまた、
そこには実現しなかった自分のロマン性に対する
微量の郷愁が含まれている。





このように他者との関わりの中で、ある意味ボロボロになる幻想的な自己。
そんな現実に敗れ去った自己が息を吹き返すタイミング、
それが恋愛の瞬間なのかもしれません。


普段は決して満たされることのないであろう幻想的な欲望が
満たされるかもしれないという予感、可能性を与えてくれる恋愛。




この恋愛に対して竹田流現象学が冴え渡るのがこの本の醍醐味です。
ほんと、読んでいて目からウロコです。
先に引用したのは本論に入るためにいわば前戯です。


本論の醍醐味は、実際本を手に取ってご堪能あれ。

















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