2010年11月26日金曜日

経営者の条件/P.F.ドラッカー

ドラッカーを知ったのは大学1年生のときでした。
私の大学は新設の大学で、私は一期生。


よって初年度は先輩はおろか後輩すらいない状態です。
立花隆さんの著作に魅了されていた高校時代の影響もあり、
知的読書ライフを満喫しようと図書館なりお気に入りの教授の研究室に
好き勝手に入り浸って生意気な議論を吹っかけていた頃・・・。




ドラッカーはそんな時、ある教授(今は中央大学にいるのかな?)の
研究室で出会ったのでした。
アーノルド・トインビーの大著『歴史の研究』のとなりに
で〜んと置いてあったのが、これまたドラッカーの大著
『マネジメント』の上下巻でした。


そして、その翻訳者が当時の学長であった野田一夫先生。


おぉー学長が翻訳したのかー、なんていう話をきっかけに
研究室で「学長が翻訳してますけど、ドラッカーって凄いんですか?」
という質問からドラッカーを巡るたびがスタートしました。


後に学長の野田先生とも色々と話す機会があり
「学長、ドラッカーってどんなひとですか?」なんていう話もしたっけな。
日本で無名だった頃の話とかいろいろ面白い話がきけました。
なかでも面白かったのが登山のお話。


野田学長もドラッカーも登山がおすきなそうで。
ある時山に一緒にのぼったらドラッカーがいったそうな。
「山は登れば登るほど下の景色が一望できる。見晴らしがよくなる。
でもね、企業組織では山を登れば登るほど下が見えなくなるんだよ。」と。




社会人生活10年を越えたいまでは、当たり前に受け止められますが
当時は世間知らずの田舎者、茶坊主。
そんな話であっても新鮮に聞こえたっけ・・・。




そんなドラッカーですが、今回紹介するのは『経営者の条件』という著作。
原題は『THE EFFECTIVE EXECUTIVE』です。
直訳すれば有能な経営者とでもいえようか。




僕の持っている本の裏表紙には読んだ回数と日付が書いてあり、
それによると初読は2005年の5月24日だそうだ。


大学卒業が2001年なので、
この本は在学中に読んでなかったみたいですね。


僕にとって、この本は救いだ。
読んでいると無駄に元気が出る。


ドラッカーの著作はどれもにたような傾向があるが、
話がやや抽象的で定義不明に色々な言葉が出てきて
煙に巻かれたかのような印象をうける。
しかし、それでも一つ一つの言葉は
一種のアフォリズムのように仕事をしている人間には刺さる。


なにかビジネス上の本質をエグっている感じがするわけです。
そしてこの部分が多くの読み手に刺さる。


この刺さり方が絶妙であるため、
僕のような人間に元気を与えたり、
多くの経営者に様々なインスピレーションを与えてきたのでしょう。


『経営者の条件』はそんなドラッカーの著作の中でも
とりわけ自分に刺さることが多かった一冊です。


刺さると同時に、この本は論理構成(章構成)が
非常に明瞭で教科書的なもののお手本とも言っていいくらいです。
構成が良すぎてさすがの僕でも
簡単にこの本のエッセンスを紹介できるように作られている。


そのエッセンスとは・・・。


①知識社会に置けるビジネスパーソンは成果をあげなきゃダメよ。


②そして成果をあげる能力は習得できるんだよ。
天才だけが成果をあげられるわけじゃないから安心してね。


③どうすりゃいいかというと以下の五つをやることね。
・時間を管理しようね
・外部の世界に対する貢献に焦点を当てようね
・強みを基準に仕事をスタートさせようね
・もっとも大事なことから始めようね。
・成果が上がるように正しい意思決定をしようね


以上の5つのプラクティスが例を交えて
具体的にその重要性を解き明かすようなかたちで
説明されているのがこの本です。




上記の箇条書きを見れば、
なんかつまらないよね?


でもね、実際読むとものすごく納得するし
かなりの言葉が自分に刺さるんだよ。


ちなみに僕の本には刺さった箇所が
マーキングされており、それを数えると
合計93カ所ありました。




さて、皆さんはどれくらい刺さるんでしょう?
読んでみてのお楽しみです。


P.S
僕に刺さった言葉を幾つか・・・。

・組織の内部にあるのは努力とコストだけである。
・成果を上げるためには時間を
かなり大きなまとまりとして使わなければならない。
・繰り返し起こる危機はずさんさと怠慢の症候の一つである。
・どのような貢献が出来るかを自問するのは、
自らの職務の可能性を追求するということである。











2010年11月8日月曜日

恋愛論/竹田青嗣

恋愛こそは人間の生の秘密を解き明かす「鍵」である・・・。




自分を深く知るために、他者とほんとうに関わるために哲学する
ユニークな思想家といわれる竹田青嗣さん。
新しいフッサール解釈を引っさげ、現象学のパワーを
強烈に教えてくれた読書上の大先生が、
恋愛という不思議な現象を現象学的に解明する・・・。


そんな本が今回紹介する『恋愛論』です。




面白かった。本当に面白かった。
そして今回もそのしなやかで強い視線に多いに刺激を受けました。




少し目をつぶって、皆さんの「初恋」や
「はじめての恋愛」体験を思い出してみてください。






恋愛は人世の秘薬なり、恋愛ありて後人世あり、
恋愛をぬきさりたらむには人世何の色味かあらむ
      北村透谷「厭世詩家と女性」






恋愛を知って人生の光景がそれまでとは一変する言葉にしがたいあの感情・・・。
この本はそんな「恋愛という出来事の本質」を探る冒険なんです。




ですから、この本に恋愛上手になるテクニックなどを求めても
そんな記述は一行もでてきません。
私たちの「生」における恋愛の意味やその本質を哲学している本です。
そこを誤解なきように。




私がこの本を手に取った理由はいくつかあります。
・大学時代から影響をうけていた著者が恋愛を哲学した本だから
・結婚して依頼、恋愛などとう感情とはご無沙汰だったから
・恋愛ピーク時に見ている世界と今見ている世界の極端なまでのギャップが謎だから
・仕事において真に生き生きしている人は恋愛しているように見えるから
・仕事を楽しむことと恋愛がなにかしら関係してるのではないかという直観


などなど。
このような問題意識を踏まえて読み始めたわけです。
結果、目からウロコがポロポロ、そして考えるヒントがワンサカ・・・。
期待を裏切らない良書です。自信を持ってお勧めします。






◆目次


− 恋愛の謎
− 結晶作用
− 「美」について
− 恋人
− プラトニズムとエロティシズム
− 絶対感情
− エロティックな欲望
− 恋愛の背理



これで約300ページ。








「謎」としての恋愛


竹田さんは、本書で恋愛にまつわる謎をこんなふうに表現しています。



恋愛は、それを生きているときはどんな不思議もない一つの体験だが、
その本質を言い当てようとすると際立った謎として現れるのだ。




みなさんにとってはいかがでしょう?
謎ではありませんか?


竹田さんはこの謎をコードブレークしていく際に、
一つの直観、仮説を提示してくれます。




私たちのうちには二つの生が存在する。
ひとはこの二つの生を同じ場所で同時にいきることができない。
しかし、双方の生は無関係なのではなく、むしろ双方が互いに
もう一方の生の根拠であるような性格を持つ。
私たちは深いところで、この双方の生を
同時に同じ場所で生きたいという
欲望を持つのだが、しかし、ある理由で二つの生は
決して一つに重なることが出来ない。
そしてまた何らかの理由で、まさしくそのことを
自覚することが私たちには困難なのである。
このきわめて逆説的な性格、これこそ、人間の生というものの
最も深い本質だとしたらどうだろうか?






きわめて逆説的な性格として、あげられていることがらが以下の3つです。
・恋愛感情と生活感情
・狂気性と日常性
・恋愛のプラトニズムとエロティシズム








ロマン的な物語を消費し続ける人間




結婚した大人であっても人は恋愛感情を持つのが当たり前のはずですが、
世の中一般的なルールとして、結婚して普通の社会生活を送っている人間にとって、
恋愛はひとつの逸脱、迷い、踏み外しであると捉えられちゃいますよね。


決してそんなことはないのですが、
ある意味結婚は男性にとっての
男廃業宣言ですもんね。
※奥様だけを愛します宣言という意味で。




おそらく女性にとっても似たようなものかと。




つまり、恋愛は若者が大人の階段をのぼる際に必要な
一種の通過儀礼のように見なされているのかもしれません。


竹田さんはこの点について面白いことを言っています。




なぜスキャンダル雑誌は有名人たちの情話を”スキャンダル”として
人々に提供することをやめないのだろうか。
おそらく”夢から醒めた”生活の感情には、他人のロマンやエロスの夢を
つねに嫌悪し妬む理由がどこかにあるからだ。






確かにそうなんでしょうね。
芸能人の誰かと誰かがくっついた、とか
社内の誰と誰があやしいなどという話になると
大抵が下世話な話になりますからね・・・。


全部が全部そうではないにせよ、
他人が浸っているであろうロマンチックな世界を
自分が住む魑魅魍魎の世界に引きずりおろしたくなる
心性がどこかにあるのかもしれません。




大人たちは若いときに「生け垣の向こう側」に予感したものが
実は何もなかったことを知っている。
ここには、悔しさと認識上の優越が入り交じった複雑な感慨がある。
はじめ存在するように思えた魅惑に満ちた世界はそこにはなかった。
わたしは一切を見てきた。
だがそれとは違ったみすぼらしい現実が存在していただけだったと。
この苦々しい認識が大人のリアリズム、現実生活のリアリズムなのである。



いやはや、それをいっちゃーおしめーよー、という感じもしますが
確かにそうかもしれません。私の周りにもいますからね、結構たくさん・・・。


そんな一方で、あたりまえのように我々の日常生活には
歌や小説、映画やTVドラマといったかたちで恋愛の「物語」が
生み出され氾濫し、もの凄い勢いで消費されていることを竹田さんは指摘しています。
そしてその理由をこう言っています。






人は日常生活の中では(つまり醒めているときには)、
恋愛感情をそれ自体として理解することが出来ない。
それはただ「恋愛物語」というかたちにおいてはじめて”消費”されるものとなる。
(途中略)
現実世界の中では、恋愛感情はそのままのかたちでは生き延びることができない。





物語であれば消費できるけれども、現実世界では生き延びられない恋愛感情・・・。
一体これはなんなんでしょうね?




この本の前半20ページくらいに、さすがは竹田さんだなぁと思うような記述があります。
ちょっと長いですが、見てみましょうか。






ロマン的世界は、人が自分自身に付け加える美しい幻想によって成り立っている。
ロマン的世界の中では、人は自分が思い描く理想の姿をしている。
しかし現実においては、自分の存在は他人の中で
自分が持っている立場と役割に一致する。
現実の中で人間は、自分が何であるかを他人の視線の中で知るのだ。
人間の「内面」は、この現実の関係の中での「自分」に反抗し、
自分自身についての物語を作り上げる。・・・略
ところが現実はこの幻想に対して無数の”否”で報いる。
生の中で人間の様々な試みは、ようするに「本当の自分」たろうとする
絶望的な試みといえるかもしれない。
だが成功はいつもはるかに慎ましいかたちでしかやってこない。
その代わりに、挫折、断念、後悔、痛恨、失望、哀惜
といったものにぶつかることになる。
そしてそれらの体験が私たちに「現実」
という言葉の意味を思い知らせるのである。
(途中略)
個々人の実存から見れば、現実とはむしろ、
自分が自分に付け加えようとしたロマン的幻想が、
他人との関係の中で剥ぎ取られる不断のプロセスであり、
そこで人間が思い知ってゆく、かなうことのない
動かしがたい秩序のことなのだ。
(途中略)
生活感情のリアリズムとはいわば無数の心の傷の記憶の堆積だといえる。
それは火傷した動物の記憶のように根強い。
生活感情が現に生きられる恋愛を嫌悪し侮蔑したがるのは、
おそらくそのためだ。しかしまた、
そこには実現しなかった自分のロマン性に対する
微量の郷愁が含まれている。





このように他者との関わりの中で、ある意味ボロボロになる幻想的な自己。
そんな現実に敗れ去った自己が息を吹き返すタイミング、
それが恋愛の瞬間なのかもしれません。


普段は決して満たされることのないであろう幻想的な欲望が
満たされるかもしれないという予感、可能性を与えてくれる恋愛。




この恋愛に対して竹田流現象学が冴え渡るのがこの本の醍醐味です。
ほんと、読んでいて目からウロコです。
先に引用したのは本論に入るためにいわば前戯です。


本論の醍醐味は、実際本を手に取ってご堪能あれ。

















2010年11月5日金曜日

文字と音と

今日の呟きを振り返っておもしろかった事を記しておきます。


以下の呟きにもある通り、
他人との会話のなかで、会話が音と文字に分離して
自分に伝わってくるという変な感覚を経験しました。


最初はお互いに共有・交換したいメッセージを
色々と話していたんですけど、あるタイミングから
相手が話す内容が文字と音とに
分離されて自分の中に届くような感覚を味わいました。


口をパクパク、身体をユラユラさせて相手が話してくれているコトが
音にのって文字として伝わってくる。
音が自分に届いた後で、文字というか何かのカタチが浮き上がってくる。
そんな感覚です。


普段はそのような感覚がまったくないので、
話し合うという行為が言葉を交換していることだと
思ってしまいがちですが、
実際には音の交換ないしはリズムの交換をしているんですね、たぶん。






言霊は神鳥や神樹にうごめいて漢字にのせて運ばれる
 『NARASIA』より







なるほど。僕にとってのTwitterはつぶやきというよりは
リズムメイクという感じなんだな。だから共振が起きないとレスなんてしないし、
自分のリズムに合わないとTLにあらわれるツイートは全無視してるもんなぁ。
posted at 23:14:23


そういう意味では、会話って言葉の交換というよりはリズムの交換なのかな。
振り返ればこれまで自分は相手に対して「共感」したという感じはない。
共振したという感覚のほうが強い。
posted at 23:10:11


帰り際に新しく課長になる先輩とフリートーク。
話が興に乗り30分以上立ち話してたけど、当たり前の再発見。
「話し」って音なんですよね。会話の中のメッセージと
それを伝える音が分離して聞こえるという面白い経験をした。
posted at 23:06:02



「分析」という言葉の本質に届かないもどかしさ。
奥が深いですね。色々クビ突っ込みすぎて
身動き取れなくなるときのほうが思考がシャープになりますね。
人って余裕のあるときは頭を働かせなくなるんでしょうかね?
posted at 22:56:52


2010年11月4日木曜日

今日の呟き

その日考えたことを整理するという意味で、
一日の呟きを一覧にしていこうと思います。


今日を振り返ってみて、
情報や知識といったものに対する創出プロセスについて
もういちど勉強し直さなければならないなと
痛感できたことが大きな収穫でした。






◆今日呟いたこと

いままで雑多に取り組んできたことが、このテーマに結実しそうだ・・・。そんな予感。ちょっと一人で盛り上がってきた!!



posted at 23:26:46



コンセプトに対する深い理解が正しい行動を生み出してくれるようです。コンセプトの言葉読み上げて分かった気になるのは完全な思考停止だね。



posted at 23:20:13



おまえはもう死んでいる・・・というより、最初から生きていなかったみたいな。



posted at 23:17:34



SECIモデルもこれよくよく考えるとDesign Thinkingじゃないのか?っーか自分ほんと何も分かってない。マジ自決すべし。あべし・・・。



posted at 23:16:54



「ここ問題だよね、ここダメだよね」というのは建設的な代替案の提示に比べると感覚的に100倍くらい簡単。



posted at 23:13:29



我愚也。SECIモデルの意図するところが読み切れてなかった・・・。



posted at 23:09:46



あっそっかー。IDで言うところの宣言的知識と手続き的知識。そのスパイラルと考えればいいんだ。なるほどー。



posted at 23:04:39



@smzksts 学びに先輩後輩はないので、どんどん伝播していってくださいね。



posted at 23:03:38



おくとこなくて平積み2 http://moby.to/72wwv1




posted at 22:59:39



おくとこなくて平積み1 http://moby.to/fdrf8g




posted at 22:59:33



読み返したい!!と思ったときに、その本が何処にあるか分からないという我が部屋の情けなさ・・・。ちゃんと整理しないとな。



posted at 22:58:16



ちょっとマイケル・ポランニーを読み直さないといけないな。というか、大学時代に読んで分かった気になり、粋がっていた自分が情けない・・・。自決だこりゃ(爆)。何も分かってはいなかった・・・。



posted at 22:54:03



クビという方法が無理でも、もっとフレキシブルに降格という方法を取り入れた方がいいよなぁ・・・。とか言ってると自分が降格させられそうだけど(苦笑)。



posted at 21:55:11



実存主義者は世界を知るためには目的を持って行動せよ、という。とくにサルトルなんかは「意図とは目的の選択であるから、そして世界は我々の行動を通して見えてくるから、目的の意図的な選択が世界を見せるのである。」と言っている。目的無く生きてる人は世界の何も見えないのかな?



posted at 20:56:10



昨日話を聞いてひっくり返りそうになったのが、リーダー層を集めて研修を行う中で出てきた要望です。曰く「自分たちのチームにリーダーが欲しい」んだとさ。リーダー層を集めてるにもかかわらず・・・。社長が激怒するのも無理はない。経営陣は30を越えて寝言を言っている奴は正直首にしたいんだろう



posted at 20:47:06



自分の所属する会社の長が提示したビジネスコンセプトを支えるキーブックって皆読んでるものなんでしょうか?会社の現状やこれからの話を経営者としようとするのであれば、最低限は頭に入れておいたほうがいいのは当然だよね。



posted at 20:42:14



見た映画の感想はブログに http://hidehirotakeda.blogspot.com/2010/11/saw-3d.html



posted at 20:36:20



というのは自分への戒めなんですけどね。



posted at 18:16:24



語るためには語る対象を知っていなければいけません。何も語れないということは、何も知らないということに他なりません。ややもすると、語っているつもりでも詰まらない感想を一言二言述べているだけ、ということが往々にして起こりがちです。ちゃんとモノを考えたいなら、定期的に棚卸ししましょう。



posted at 18:13:46



異なる価値観を持っている人に対して話を聞くこともせず排除しようとする姿勢・・・。嫌な人たちだ。



posted at 17:58:19



SAWは本当にきりがないね。



posted at 16:31:15



気分転換に映画館へ。SAWザ・ファイナルを観る。



posted at 14:29:06






モバイル端末が貸与されてから、休日出勤しようとしてもする気が出なくて困る(笑)。 資料作成のラフスケッチは家で書けるし、資料は会社のアドレスにメール添付でおくってしまえばそれまで。勿論漏れちゃまずい情報はのっけませんが。今日も出社しようと思ったけどやめた。



posted at 10:15:09






洗濯機回しておきながら、嫁爆睡。仕方が無いので干してるナウだが、干し方がよくわからん。適当に干すと起こられるんだよなー。



posted at 00:59:36



見た目は中身に比例する、ということ。



posted at 00:24:29



あるお客様がおっしゃっていた。「面白い仕事したいなら、自分の顔に責任持て」と。研修をとおして年間数百人と出会ってみると、そのことがよくわかる。



posted at 00:22:23



本当にチャレンジングで大変な仕事は、やる気があって頼りになり、間違いなく成果を出してくれそうな人に集中するもんです。というかこういう人は自分から面白い仕事を創っちゃうよね。



posted at 00:18:50

2010年11月3日水曜日

映画『SAW ザ・ファイナル3D』を観ました


今年は昨年に比べると映画館に足を運ぶ機会が少なくなりました。
年末に掛けて少し見ておくか、ということで
映画館にて『SAW』の最新版を観てきました。
今回でシリーズ7作目になります。
タイトル的にはこれでエンディングっぽいですけど
実際はこれからいくらでも続きそうな感じで終りました。


今回、シリーズ初の3D作品でしたが、やはり個人的に3Dは不要ですね。
特にメガネ使用者の私にはメガネ×2は邪魔でしょうがありません。




3Dで一点面白かったのが、いつものごとく理不尽な殺戮ゲームで
人がやたらと死んでいきますが、
ハラワタがスクリーンを飛び出してでてくるのは結構迫力がありました。


まぁ、観ていて気持ちのいいものではありませんけど・・・。






いずれにせよ、今回でひとまずジグソーの意志が一巡された感じです。
そういう意味では、ファンは映画館に足を運んでもいいかもしれません。