2009年11月6日金曜日

映画『SAW6』を観ました


今年もあと2ヶ月あまりでお終いですね。
早いものです・・・。
今年見た映画を数えてみると、今のところ25本を映画館で鑑賞しています。

あと2ヶ月で終わりではありますが、観たい映画は沢山あります。
・スペル(「死霊のはらわた」に負けるなサムライミ!!)
・アバター(ジェームズキャメロンの傑作なるか?)
・2012(頑張れジョンキューザック)
・SOUL RED(なんじゃこりゃー、永遠なれ)
・ムーンウォーカー(ポォーーー、は永遠に)
・クリスマスキャロル(原作大好き!!)
・ニュームーン(ベタベタ純愛もたまにゃいい)
・宇宙戦艦大和/復活編(沖田館長とともに真っ二つのはず?)
・THE 4TH KIND(ミラかっちょええー!!)

予定通りいくと、今年は30本を越えそうですね。

さて、まくらはこの辺で御終いにして本題へ。
本日のエントリーは今年の鑑賞26本目となる『SAW6』についてです。

2004年に衝撃的に世に送り出されてやは5年・・・。
なんとまぁ・・・シリーズ化され、おまけに6作にもなるとは思いもしませんでした。
そんでもって、今回のエンディングを見る限りでは7作目もできそうですし。
どこまでいくのでしょう、このシリーズ!?


1作目は正真正銘の傑作サスペンス・ホラーだと思っているのですが、
回を重ねるごとに段々とホラーの部分がエスカレート。
そして、今回の6作目ははっきり言って
「ショッキング・スプラッター」といっても大げさではないような作品に仕上がっています。

いつもそうですが、凄いよ今回も。
オープニングから凄惨です(苦笑)。

もうね、はっきり言って猟奇殺人ですよコレは・・・。
徹底的に救いがない。ただ悲惨に人が死んでいく。

ちょっと考えてみた。

◆なぜジグソウは人を死に向き合わせるのか?それも残酷なやり方で?
◆なぜ人は残酷な映画(ホラーやスプラッター)を作るのか?そして鑑賞するのか?

思うに「残酷」というのは、人間の歴史が始まった時から続く、祝祭における歓喜なんじゃなかろうかと。
人ってそもそもの性質に残酷さを持っているものなんだと思います。
まぁ、普段は表に出すようなものじゃありませんけど。
しかし、一部の人間や権力者などの抑制のタガが外れた人間は
歴史に名を残すような残酷な刑というものを行ったりした事実があるわけですよね。

じゃ、なぜこんな性質があるんだろう?
この問いに対して真剣に考えると、私は「残酷」(の果ての死)というのは
「生の歓喜」の裏返しなんじゃないかと思うわけです。


哲学において言われてきた(特にニーチェ)ように、
人間という生き物は性欲、陶酔、残酷という要素において生の充実を知る傾向があります。

特に、残酷という要素には苦痛というものが付きまといます。
人は苦痛に打ちひしがれる人間に何を見るんでしょうか?
「生きている」ということの充実感を観るのではないか、というのが今のところの私の考えです。

残酷というのは、それによって我々を「生の自覚」に強制的に向き合わせる力を持つ。
だから、ジグソウは映画の中で真剣に命というものの重みを考えない奴らに
死を与えるし、クリエーターは漫然と生きている我々に残酷な作品を提示するのではないか?

SAWがシリーズとして6作も作られた理由は、私にはこれ以外考えられない。


あらら・・・映画の感想が一転して変な思想表明みたいになっちゃったぞ。
まぁ、いいか。
ということで、失礼します。



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