2009年9月15日火曜日

岡本太郎/平野暁臣

ぼくはきみの心のかなに実在している。疑う必要はいっさいないさ。そうだろ。
                            
                                       岡本太郎


こんなに強烈なのに、とってもダンディでジェントルマンな男というのは
そう滅多に出会えるものではないのでしょうね。

情熱に溢れた人物はよくお目にかけますが、
存在そのものが情熱であり、愛であり、格闘であるという人は稀です。
そういう人のことを私は天才と呼びたいと思います。

そう、その人こそが岡本太郎です。
私を魅了してやまない数少ない人物のうちの一人です。

岡本太郎氏のパートナーであった岡本敏子さんが
こんなことを言っている・・・。

闘うことに、彼は運命を賭けてしまった。
もっと、ほかの生き方もあったかもしれないのに。
闘うことが面白かったからだろうか。

そう。岡本太郎は常に何かと闘っていたのだとおもいます。
何かと闘いながら彼ならではの芸術を生み出していきました。

そんな彼の芸術作品のなかでも、ひときわ異彩を放っているのが
皆さんよくご存知の「太陽の塔」ではないでしょうか。

わたしは、このオブジェを写真で一目見たときから魅了されました。

岡本太郎さんじゃないですが一目見たときから「なんだこれは!!」でした。
私にとって「太陽の塔」とは理解不能で忘却不能な不滅の塔だったわけです。

どでかい牛乳瓶のお化けに、羽が生え、てっぺんには金ぴかの鳥(?)のような顔、
おなかの部分にはあたかも「フン、くだらん」とでもいいたげな口をとんがらせた顔・・・。
これを観て忘れられるわけがないでしょうに。

一体全体、岡本太郎という人はこのオブジェにどのようなメッセージをこめたのだろう?
このオブジェに秘められているはずのテーマがこれまで全然わからずじまいでした。

しかし、今回ご紹介する書籍『岡本太郎 「太陽の塔」と最後の闘い』を読んで、
これまで抱いてきた疑問が氷解しました。

そして改めて岡本太郎というベラボーマンに心を奪われました。
この本は基本的には大阪万博をベースに岡本太郎の人物を紹介するという
いわゆる人物伝の体裁になっていますが、人物伝を読んで泣けてきたのはこれが初めてです。

岡本太郎という人物もいいが、著者の平野さんの書きっぷりももの凄くいいです。

平野さんはこういう感じで本書のスタートを切ります。


太陽の塔は、モニュメントをつくって欲しいなどとは一言も頼まれていないのに、
太郎さんが勝手に構想し、力ずくで突き立てたものなのである。
会場のド真ん中にあれが出現することになって、いちばん驚いたのは
発注者である万博協会の人たちだったのではないかと思う。
なぜ太郎さんはあんなものをつくったのだろう?
なにが彼をそこまで駆り立てたのだろう?
そもそも太陽の塔とはなんなのか?
このシンプルな疑問が気になって仕方がなかった。
単純に太陽の塔が好きだからなのだが、それだけではない。
その答えを探すことこそが岡本芸術を実感する一番の近道だと思うからだ。
太陽の塔は芸術家・岡本太郎の集大成である。
太陽の塔を考えることは岡本太郎を考えることとほとんど同義だと思う。
だが残念ながら太郎さんはその答えを残してはくれなかった。
だから一人ひとりが自分で見つけるしかない。
ぼくも自分なりの答えを探してみたい。これが本書のテーマだ。

このエントリーを読まれた皆さんが、本書を読みおえたとき、
本文の最初に紹介した岡本太郎さんの言葉を噛み締めることになるでしょう。

みなさんはもうひとりじゃない。皆さんの中には岡本太郎が存在している。
疑う必要なんてないさ。そうでしょ、みなさん。


本エントリーでは、余計な内容紹介は一切行いません。
本書自体が、「太陽の塔」に秘められた岡本太郎のメッセージをコードブレーキングしていく
展開手法をとっていますので、下手な紹介は推理小説の種明かし同然になってしまうからです。

迷う必要はありません。
早く本屋に行って、本書を買って、読んで、感動してください。

内容を紹介する代わりに、この本の帯に紹介されている磯崎新さんの
紹介文を抜粋して終わりにしたいと思います。


岡本太郎を日本の思想史における20世紀の重要事件としてとりあげること。
政治、社会、文化、芸術、のすべてが、この男、タローのそんざいによってうかびあがる。
日本の21世紀は、はたしてこの男を超えることができるだろうか。

世界的文化人類学者&民俗学者であるマルセル・モースの弟子にして、
世界的な芸術家、岡本太郎。
この人を知らずして皆さんの人生を終えるなかれ。



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