2009年8月18日火曜日

古代から来た未来人 折口信夫/中沢新一

現在に身を置きつつ古代と未来に生きたひとりの天才、それが折口信夫なのかもしれない


さて、私の人生において再び折口信夫を読む端緒がやってきました。

折口信夫・・・過去に読もうと思って2度も挫折させられましたが、
古代日本を読み解くには外せない人物です。

最初の挫折は大学の時です。
調子に乗っていきなり『古代研究』に手を出したら大やけどを負いました。

2度目の挫折は社会人4年目の時です。
これならいけるだろうと『死者の書』に手を出しましたが、脳に「した した した」と
静かな雷をくらい、「こう こう こう」という風の音とともに読み続ける気力を吹き飛ばされた思い出があります。

別に読まなくてもいいや、と思いたくもなりましたが、どうしても引っかかっていました。
特に以前ご紹介した『仏教信仰の原点』を読んでからは、なんとしてでも読まなければと
意を新たにもしました。でもなかなか敷居が高くて容易には手が出せません。

そんな時に見つけたのが今回ご紹介する1冊です。

『チベットのモーツァルト』などで有名な中沢新一さんによる”折口信夫論”。
それがこの『古代から来た未来人 折口信夫』です。


中沢さんが折口さんをどれほど敬われているかは、次の引用をお読みいただければお分かりでしょう。

かれこれもう三十数年にもわたって、わたしは折口信夫を読み続けている。

(途中略)

折口信夫の文章のない世界など、わたしにはどうてい考えられない。
そんな世界に生きていても、おそらくわたしは日本語を読んだり語ったり書いたりすることに、
今ほどの喜びと充実を感じることができないだろう。
『古代から来た未来人 折口信夫』 序文~奇跡のような学問~より抜粋

もの凄い影響の受けようです。
そんな著者が書いた本ですもの、くだらないわけがありません。

全137ページに折口信夫の凄さが非常にわかりやすく、簡潔にまとめられています。
「ああ、なるほど。こういう視点で読んでみればいいのか!!」と気づきもいくつか得ることができました。

キーワードの一つが、この本で紹介されている「類化性能」というものです。
「類化性能」とは、一見するとまるで違っているように見えるもののあいだに、
類似性や共通性を発見する能力のことです。
中沢さん曰く、折口信夫はこの能力がずば抜けて高かったようです。

そして、折口信夫が考えた「古代人」は、このような「類化性能」、言い換えれば「比喩」や「アナロジー」的な
ものの見方を駆使して、森羅万象を切り取ろうと考えたようです。


現代の考古学は、そういう「比喩」が獲得されることによって、
わたしたちホモサピエンスが出現したと考えている。
つまり、折口の言う「類化性能」こそが、
現在の人類の心を生みだしたものであり、
その「類化性能」によって世界を捉える能力を
発達させていたのが「古代人」であったとすると、
折口信夫の「古代」という概念は、じつはおそろしいほどに
深い時間の深度をもっていることがわかる。
『古代から来た未来人 折口信夫』 第一章「古代人」の心を知る より

中沢さんも書いているとおり、折口信夫という天才が創った学問というのは、
いまだに新しく、いまだに未来的であり、そこの見えない深遠さを備えているようです。

私は、ここまでよんで、すっかり折口信夫という人の学問に魅入られてしまいました。
なんか凄そう・・・。

もうひとつしびれたのが次の話です。

宗教体験の根底には、異質な世界との強烈な出会いがなければならない、
というのが折口信夫の実感であった。
その出会いがなければ、宗教も文学も発生しえない。

全てのデザインはすべからく己の中の飢餓感に気づいたところから生み出されるはず、
というのが私の持論なのですが、表現こそ違いますが本質は同じではないのだろうかと・・・。

異質と出会い、己のなかに存在しないものを見つめざるをえなかった・・・。
強烈な憧れを抱かざるを得なかった・・・。
宗教も文学も、あらゆる芸術はそのような点が出発点なのではないでしょうか。

そのほか、この本の後半では私が想像すらしなかった折口学の底力というか可能性が
丁寧に描き出されています。

折口は「日本」を超え「人類」を見る眼をもっていたと・・・。

どこまで深いんだろう折口信夫。

これは、襟を正して彼の著作に当たらざるをえませんね。



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