2009年8月10日月曜日

映画『セントアンナの奇跡』を観ました


好む好まざるとに関わらず、放り込まれた今の自分の状態を一旦全て引き受ける・・・。
批評も思考もデザインも、あらゆる創造はそこからしか生まれないのではないか。


よい映画の定義とは何か、と聞かれた時、皆さんならなんと答えるでしょうか。

泣ける映画?楽しい映画?ストーリーがしっかりしている映画?考えさせられる映画?
人によって色々な定義があると思います。

私にとってはどうなんでしょう・・・。
「その映画が発する問いを、鑑賞者に永遠に問い続ける力を持った映画」でしょうかね。

その映画を観てしまったがために、ある問題を一生共有しなければならなくなった、
なんてことありませんか?
私にとってのよい映画はそういう映画をさします。
そして、文字通りある問題を引き受け直さざるをえなくなったのが今回の作品
『セントアンナの奇跡』です。
52歳になったスパイク・リー、またとんでもない映画を作ってくれたもんです。

『ドゥ・ザ・ライト・シング』しかり、『ジャングル・フィーバー』しかり、『マルコムX』しかり・・・。
人ってどこまで成長し続けるものなんでしょうね?

今回、この作品を観終わって、今の自分には感想をうまく書くことができないと思いました。
忘れていた問い。ずーっと昔に数度考えて、その結論を留保していた問い。
これを目の前に叩きつけられたような感じがしたからです。

◆ストーリー
ある黒人の郵便局員が、窓口に切手を買いに来たしがない男を、
顔を見るなり突然射殺します。犯人の老人は、前科もなければ借金もありません。
それどころか精神状態も良好で、定年退職の3ヶ月前でした。
行動の不可解さもさることながら、この老人の部屋から、彫像の頭部が発見されます。
それは、イタリアのフィレンツェのサンタ・トリニータ橋を飾る"プリマヴェーラ"で、
歴史的に大変貴重な作品でした。
1944年にナチスが橋を爆破した時から、行方不明になっていたものだそうです。
闇市場に出せば500万ドルはするという美術品が、なぜ、しがない局員のクローゼットの中に眠っていたのか?
すべての謎を解く鍵は、彫像が消えた1944年のイタリアにありました。
封印していた記憶を、老人は少しづつ語り始めます・・・。


◆文化を引き受ける者
文化を創る者にあって、文化を壊す者にはないものとは?
歴史において進歩という概念が成り立つとすれば、それはどのような立ち位置から生まれるのか?
ヒーローという欺瞞、虫けらのように死んでいく戦士たち。誇り高き死と奴隷としての生。
大儀と称して死にたがる男と人肌を恋しがる女。
どうしようもない世界だからこそ必要な、方法としての希望・・・。
そうなんですよ、デザインには格闘がともなうんです。

美しいものを追い求めたものだけが、
美しいものを手に入れるために格闘して生き残ったものだけが
美しいものと生活することができる。

最近死んでいた自分の生に対して、永劫する問いを投げかけてくれたスパイク・リーに
惜しみない賛辞を届けたいと思います。

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