2009年8月31日月曜日

選挙結果について

前評判どおり、圧倒的強さで民主党が勝利しました。
大敗北を喫した自民党を見ていると、なんといいますか、
自民党はいろんな意味で駄目な党になったんだなぁと思ってしまいます。

今の自民党を駄目にしてきた人たちが小選挙区で当選し、
中堅どころが軒並み落選しています。
なんで、総理の座をホッポリ出すような人たちが、当選するのか正直理解しかねます。
おまけに、敗れたはずの自民党幹部たちが比例で復活する・・・。

ひとごとながら、自民党はもう再建は無理なのではないかと心配してしまいます。

別段、民主党に期待はしませんが、これでは日本の有権者たちが
民主党にLand Slideするのもわからなくも無いですね。

今回の選挙は、自民党に対するガッカリ感の受け皿を
民主党が担ったような形になったんだと思います。

これまで良くも悪くも日本を導いてきた自民党。
敗戦以降の日本において権力の中枢を担ってきたわけですが、
その長い歴史に今幕をおろそうとしているような気がします。

自民党の皆さん、ほんとお疲れ様でした。

そして、これから与党となる民主党の皆さん、これからが本番です。
精一杯頑張ってくださいね。





2009年8月30日日曜日

ブログへのコメントについて

本日より、ブログのコメント投稿の仕組みを若干変更しました。
コメントを投稿していただく際は認証文字を入力していただく必要があります。
※最近、本ブログにスパムコメントが増えだしましたので、それに対応するためです。

お手数ではありますが、なにとぞよろしくお願いいたします。

2009年8月29日土曜日

川崎大師に行ってきました

本日、川崎大師まで車で一人旅に行ってきました。
午前中は奥さんとお洗濯やらお掃除をし、お昼を一緒にとった後で別行動に。

自宅から下道とおって1時間くらいドライブすると、川崎大師が見えてきます。
最近の私のテーマの一つに「空海」がありますので、
どうしても参拝しておきたかったんですね、この場所。
※車を購入した日に、川崎大師の駐車場でお払いをしていただきましたが、
 本体にはいけずじまいでした。


さて、この川崎大師ですが、これは通称で、正式には平間寺(へいけんじ)といいます。
Wikipediaにはこんな風に紹介されています。

ここは厄除けとして有名なところなんだそうです。
駐車場から大師にたどり着くまでに、にぎやかな出店が並んでいましたが
「咳止め」の飴とかがいっぱい売ってありました。

「えっ、出店で咳止め?なんだここは?」と思いましたが、
お寺について色々めぐってみると何となく理由がわかりました。
この辺の話を読むとそれとなくわかります。
なんといってもご本尊が厄除弘法大師ですからね。

ここのお寺は1時間くらいあればぐるっと一回りして、
色々見ることができるくらいの広さでした。

以下、写真付で簡単にご紹介しますね。


川崎大師の正面入り口です。
なんか浅草に来たような印象を受けました。
正面入り口の右側には、確か「持国天」が!!
同じく左側には「増長天」が!!
空海上人が創った(?)といわれる
いろは歌の碑です。
私、いろは歌が大好きです。
このセンスにはやられます。
平家物語のトーンとも似てますよね。


真言宗といえば、マントラ。
サンスクリット(梵語)が記されています。
漫画『孔雀王』が好きでしたので、
この辺の文字は私を魅了してくれます。

どうする!依存大国ニッポン/森川友義

国家としての日本は、もう老衰の域に達しているのかもしれない・・・

明日は衆議院選挙です。
巷では民主党が圧倒的優勢との声が聞こえてきますが、人事(政治)は水ものですから
蓋を開けるまではどうなるかわかりません。

政権交代が起きるかどうかは、たしかに見ものではあります。
しかし、それ以前に、若い人を含むなるだけ多くの人が、自分たちの生活、ひいては日本の方向性を
どうして行きたいかを考えて、投票所に足を運ぶことが重要なのではないかと思います。

我々は国家レベルの政治に対しては、「投票」をもってしか参加する術がありません。
だったら、もう少しこの権利を大事にしたほうがいいと思うのですが、皆さんはどうお考えでしょうか。

投票もせず、「日本の政治ってレベル低いよなー」とか「今後の日本はどうなるんだ」とかって言っている人は
自分が一番レベルが低いことを自覚したほうがいい。人前でスピーチして失言している代表たちを選んだのは
私を含むみんななのだから。


さて、そんなわけで本日は以前ご紹介した『若者は、選挙に行かないせいで、4000万円も損してる!?』の
姉妹編となる『どうする!依存大国ニッポン』についてご紹介したいと思います。


まず、この本の評価ですが、20歳以上の若者は全員が読んだほうがいいと思われる必読書です。

選挙本のほうでは、日本の政治体制の仕組みが非常に簡潔にわかりやすくまとめられていました。
こちらの本では、今後日本が必ず直面するであろう以下6つのテーマについて、
データをもとにわかりやすく、何が問題なのかを説明してくれます。


◆日本が直面する6つの重要案件

①世界における日本経済
②日本国の防衛問題
③財政赤字の問題
④食料依存
⑤エネルギー依存
⑥少子化問題

上記①~⑤に共通するテーマは「依存」です。
本書を読むと国家として本当に日本は大丈夫なんでしたっけ?と首を傾げたくなるくらい
心配になるようなことがデータとして提示されています。
正直な感想、もうアメリカの51番目の州なんじゃないの?と思っちゃいます。
独立国家としての日本の現状は、非常にお寒い状況だということがよくわかります。
なんか、読んでいて「日本って完全な思考停止状態じゃないの」と疑わずにはいられませんでした。

事実として日本は1955年以降、1年と少しを除いて、
自民党がずーーーーーっと政権を担い、国家の舵取りをしてきました。
そういう意味では、戦後、国民は自民党に依存し、自民党が舵取りをする日本という国家は
いろんな意味で海外への依存を極度なまでに高めてしまったといえるようです。

もちろん、それが全て悪いなんて話ではありません。ですが、一旦、ここいらで
自分たちの足元を見直して、今後、日本をどうして行くのが望ましいのか、
現状を踏まえ今後どういう手が打てるのかを考えながら、各政党の政策を見て
一票を投じる必要があるのではないでしょうかね。

そして、最後の⑥については、テーマが「非依存」です。
著者は少子化問題は恋愛問題だと喝破します。
要は、若者が恋愛・結婚をしなくなった、お互いを必要としなくなってしまったことが
少子化問題の根本原因ではないかとといています。


本書を読んでいて面白いのは、一見、経済の問題だけ、
もしくは政治の問題だけにおもわれる事象が
どちらも根っこではつながっているということです。

政治と経済は貸借します。必ずどこかでバランスを取ります。
かたっぽだけをどうにかすればよいという問題ではないのだということがよくわかりました。

それでも政治には、まだまだやれることがある、ということもよくわかりました。
自分の政治リテラシーが低いということも、あらためて痛感させられました。

著者の森川さんがこう書いています。


ミクロのみなさんが、マクロの視点から、日本を見つめ直す。
これが、これからのテーマの支柱です。

たかだか228ページに目を通すだけで、マクロの視点で日本が見つめ直せます。
日本が抱える問題のアウトラインを知ることができます。
「知る」ということは「変わる」ということです。

キャロルの学校学習モデルでも書きましたが、その対象を意味あることとみなし
時間をかけて勉強するかどうかの選択は、皆さん(もちろん私も)に責任があります。



民主制というのは、大義名分として権力は国民にあることになっています。
それを代表である政治家にあずけ、国家の舵取りをしてもらうことになっています。
舵取りのいかんによっては、我々は大ダメージを被ります。

いい加減なことをする代表、無責任な代表には我々の権力である投票という行為を通じて
責任を取ってもらいましょう。退場してもらいましょう。

個人が国に頼らない生き方をすることと、国が国民を幸せにしない政策にNOを突きつけることは
相反することではないはずですから。

最後に、森川先生のお言葉を拝借しておしまいにします。

海外に対してわが国の意見を毅然として言うためには、海外からの依存率を下げるとともに、
政権についてはしっかりとした国民の支持が必要です。
総理大臣が脆弱な支持基盤しかもっていなかったり、数ヶ月で辞めてしまうような状況では、
首尾一貫した政策をとるのはむずかしい。官僚に任せておくと、うまくいかなくなると
責任逃れをされてしまいますから、国会議員と国会議員が選出する総理大臣が、
責任を持ってこの国の舵取りをしていかなければなりません。
その意味で、考えなければならないことは山積みしています。



2009年8月26日水曜日

ある程度大きな組織で働くということ

今朝、友人から以下のエントリーの主はお前じゃないのか?というメールをもらいました。



残念ながら(?)、このエントリーは私のものではありません。
しかし、友人が直接メールで聞いてくるくらい書いている内容は
私が実体験として知っている内容と近いものがあります。
年も31歳と私と同年齢ですし、口語のトーンも似ているかもしれません。
多分、組織におけるポジションも近いものがあると思います。
※私の同期は22名でしたが・・・。

同期が90人となると、ある程度の規模の会社ですね。
おそらく従業員2000人以上の会社なのではないでしょうか。

さて、このエントリー。
ある程度の規模をもつ組織で働く上での暗黙的な前提なのではないかと思います。

私は28歳くらいで、明示的/暗黙的にこういったことを学びました。
リーダーとしての振る舞いを求められるようになったのがきっかけでした。

色々学ばせてもらいましたが、概ね結論は同じです。

ただ、1点だけ気をつけたほうがいいと思うのは、
周りが馬鹿に見えてしょうがないと思った時こそ
自分の身を冷静に振り返ったほうがいいということ。

意外とこういう状況というのは危険です。
確かに、自分のことしか考えていなかったり、文句ばっかり言っていたりと、
一緒に働きたくない、一般的には馬鹿と見える社員は沢山います。
でも、相手を馬鹿と見た瞬間から、自分の態度は変わります。
本人が意識していなくても、必ず変わります。
そして、その姿勢は相手に絶対に伝わってしまいます。
あなた自身がグチっぽくなって、信頼しているメンバーの前では
常に無意識で「あいつ馬鹿だから、もう相手するの疲れる」なんて
口走ったりするかもしれません。

で、冷静に考えてほしいのですが、そんなことを口走るリーダーと
一緒に仕事したいですか?たまにだったらグチの一つや二つ問題ないかもしれませんが、
意外と「あいつは馬鹿だ」という意識でリーダーやっている人というのは、
その振る舞いの端々に、自分はまともで回りは馬鹿、というオーラをまといだすものです。
はっきりいって、こういうリーダーはそのうち信頼していたメンバーから
「あいつどうしようもないよね」とか「あいつ優秀だけど一緒に仕事すると意味も無く疲れる」
なんていうふうに疎まれだします。

この辺は上手くできていて、人を馬鹿扱いすると、まわりまわって自分が馬鹿扱いされるものなのです。
さきのエントリーを書いた人が別にどうという話ではありませんが、一応参考までに書いておくことにしました。


私の場合、チームメンバーには最初にチームルールというか行動指針を提示しちゃうかな。
プロジェクトとして編成され、お客様を持ち、成果物に責任をとる立場にある人間として、
最低限こういう行動を取って欲しいと。それができなきゃ、叱るし、場合によっては仕事振りませんよと。
企業組織はデモクラシーでなんか運営されておらず、軍隊式であり独裁君主制ですと。
義務を果たしてから権利を主張しろと。それができなきゃ去ってくれと。

あらかじめこういうことを指針として出していると、案外チームは上手く回るもんです。


キャロルの学校学習モデル

誰かがあなたに教えようとすることを、必要な時間をかけて学ぶかどうかを選択するのは、あなたです


たまには自分の仕事に関係するエントリーを・・・。
ということで、本日は学校学習のあり方に大きな影響を与えたJ.B.Carrollという学者さんの
「学校学習モデル」というものをご紹介しようと思います。



◆生徒の成績の差はなんで生まれるの?

キャロルの学校学習モデルというものは、学校学習における生徒の成績の差は
なんでうまれるのだろうか、思うように成績のあがらない生徒を立ち直らせる方法を提供するには
なにをすればよいのかを模索した結果として生まれたものです。

キャロルの出した結論を先に言ってしまうとこういうことです。

できない生徒は、よい成績をおさめるために必要な時間を使わなかっただけである

これは実はもの凄い視点の転換だったわけです。
だって先の結論を言い換えると
大抵の生徒は、その子に必要な時間を掛けさえすれば、大抵の学習課題はクリア可能だ
といってるんですから。

できない生徒とできる生徒の差は何か?
もしこれが「個人の資質だ」となると、もう教育というものは打つ手がほとんどなくなるわけです。
なにをどうやったって、あいつには資質が無いからムダだ、
なんてなったら教える側には工夫の余地がないわけですもんね。

キャロルの学習モデルが提示される(1963年)までは、現場の教師もさぞ悩んだことでしょう。
ですが、このモデルが提示されたことにより、現場の教師たちは
できない生徒に対する工夫の余地があることに気づき、対策を立てることができるようになったわけです。




◆学習率の算出式

キャロルは、課題達成の度合いは、ある生徒がその課題を達成するために必要な時間に対して、
実際にどれだけ時間を使ったかの割合で表現できるとして、以下のようなモデル式をつくりました。


学習率 = 学習に掛けた時間 ÷ 学習に必要な時間


ある課題を解くのに必要な学習時間に対して、
どれだけ勉強したかによって学習率を求めるというシンプルな式です。
シンプルですが強力です。だって、課題達成まで、あとどんくらい勉強すればいいのかが
数値で把握できる土台ができたわけですから。
何をやっても無理、全ては資質やIQの問題だ、なんていわれるよりも
ずーっと学習者を励ますモデルだと思いませんか。




◆学習に必要な時間に影響を与える変数とは?

先に、学習率の算出式を紹介しましたが、疑問が浮かびませんでしたか?
そもそも学習に必要な時間ってどう決まるの?人によって同じなの?違うの?って。

キャロルは学習に必要な時間を左右する変数を3つ、それから
学習に費やされる時間を左右する変数2つを紹介しています。

【学習時間を左右する変数】
①課題への適性
②授業の質
③授業の理解力

【費やされる時間を左右する変数】
④学習する機会(学習にさける時間)
⑤学習を持続させる力

これらの詳細は割愛しますが、教師は生徒に対してこれら5つの変数を考慮して
授業を工夫し、接する時間や対応方法を考えることができるようになります。

一人一人の生徒の個人差を考えた、教授戦略が立てられるわけです。




◆最後に

キャロルの学校学習モデルは教える側の人間に非常に大きな示唆をもたらします。
私もこの理論を大学時代の教育工学の時間に習って、ほっとした記憶があります。
馬鹿な自分でも時間掛ければそれなりに理解できるんだ、
ということに理論的な保証を与えてくれたからです。
さらに、今現在、私は社会人学習(ITのインストラクター)というジャンルで仕事をしていますが、
そこでもこの理論は教える際に工夫を欠かしてはならないことを教えてくれます。

ですが、一番この理論で大事なのはこういうことなのではないかと最近思うようになりました。

誰もが皆、必要な時間を学習対象に掛けることができれば、それなりに習得はできる。
だがね君、人生で与えられた時間は有限なのだよ。
だから、なにを学習するかを選択することこそが、
あなたの人生で一番大事なことなのだよ・・・と


時間を掛ければ大抵のものはモノにできるわけですが、一回こっきりの人生、
ここいらで何に時間を掛けて習得すべきかを振り返ってはいかがでしょうか?







2009年8月19日水曜日

TOEICの結果

この間受験したTOEICの結果が返ってきました。

・・・705点でした。
何も勉強してないのですが、TOEIC馴れしたせいか過去最高得点です。

2008年12月:550点
2009年2月:630点
2009年8月:705点

8ヶ月で150点くらいスコアが伸びました。
この間、英語の勉強はまーーーったくやっておりません。

ただ、継続的にTOEICを受けていたので、試験なれしただけです。

今回試験を受けてみて、馴れで得点アップはこれ以上見込めなそうだということです。
やってみてわかりましたが、これ以上は基礎知識を蓄えないとどうしようもないなというのが実感です。

ようやく英語の勉強をしようかという気になりました。
当面の目標は、英語でBlogを書けるようになることです。

2009年8月18日火曜日

古代から来た未来人 折口信夫/中沢新一

現在に身を置きつつ古代と未来に生きたひとりの天才、それが折口信夫なのかもしれない


さて、私の人生において再び折口信夫を読む端緒がやってきました。

折口信夫・・・過去に読もうと思って2度も挫折させられましたが、
古代日本を読み解くには外せない人物です。

最初の挫折は大学の時です。
調子に乗っていきなり『古代研究』に手を出したら大やけどを負いました。

2度目の挫折は社会人4年目の時です。
これならいけるだろうと『死者の書』に手を出しましたが、脳に「した した した」と
静かな雷をくらい、「こう こう こう」という風の音とともに読み続ける気力を吹き飛ばされた思い出があります。

別に読まなくてもいいや、と思いたくもなりましたが、どうしても引っかかっていました。
特に以前ご紹介した『仏教信仰の原点』を読んでからは、なんとしてでも読まなければと
意を新たにもしました。でもなかなか敷居が高くて容易には手が出せません。

そんな時に見つけたのが今回ご紹介する1冊です。

『チベットのモーツァルト』などで有名な中沢新一さんによる”折口信夫論”。
それがこの『古代から来た未来人 折口信夫』です。


中沢さんが折口さんをどれほど敬われているかは、次の引用をお読みいただければお分かりでしょう。

かれこれもう三十数年にもわたって、わたしは折口信夫を読み続けている。

(途中略)

折口信夫の文章のない世界など、わたしにはどうてい考えられない。
そんな世界に生きていても、おそらくわたしは日本語を読んだり語ったり書いたりすることに、
今ほどの喜びと充実を感じることができないだろう。
『古代から来た未来人 折口信夫』 序文~奇跡のような学問~より抜粋

もの凄い影響の受けようです。
そんな著者が書いた本ですもの、くだらないわけがありません。

全137ページに折口信夫の凄さが非常にわかりやすく、簡潔にまとめられています。
「ああ、なるほど。こういう視点で読んでみればいいのか!!」と気づきもいくつか得ることができました。

キーワードの一つが、この本で紹介されている「類化性能」というものです。
「類化性能」とは、一見するとまるで違っているように見えるもののあいだに、
類似性や共通性を発見する能力のことです。
中沢さん曰く、折口信夫はこの能力がずば抜けて高かったようです。

そして、折口信夫が考えた「古代人」は、このような「類化性能」、言い換えれば「比喩」や「アナロジー」的な
ものの見方を駆使して、森羅万象を切り取ろうと考えたようです。


現代の考古学は、そういう「比喩」が獲得されることによって、
わたしたちホモサピエンスが出現したと考えている。
つまり、折口の言う「類化性能」こそが、
現在の人類の心を生みだしたものであり、
その「類化性能」によって世界を捉える能力を
発達させていたのが「古代人」であったとすると、
折口信夫の「古代」という概念は、じつはおそろしいほどに
深い時間の深度をもっていることがわかる。
『古代から来た未来人 折口信夫』 第一章「古代人」の心を知る より

中沢さんも書いているとおり、折口信夫という天才が創った学問というのは、
いまだに新しく、いまだに未来的であり、そこの見えない深遠さを備えているようです。

私は、ここまでよんで、すっかり折口信夫という人の学問に魅入られてしまいました。
なんか凄そう・・・。

もうひとつしびれたのが次の話です。

宗教体験の根底には、異質な世界との強烈な出会いがなければならない、
というのが折口信夫の実感であった。
その出会いがなければ、宗教も文学も発生しえない。

全てのデザインはすべからく己の中の飢餓感に気づいたところから生み出されるはず、
というのが私の持論なのですが、表現こそ違いますが本質は同じではないのだろうかと・・・。

異質と出会い、己のなかに存在しないものを見つめざるをえなかった・・・。
強烈な憧れを抱かざるを得なかった・・・。
宗教も文学も、あらゆる芸術はそのような点が出発点なのではないでしょうか。

そのほか、この本の後半では私が想像すらしなかった折口学の底力というか可能性が
丁寧に描き出されています。

折口は「日本」を超え「人類」を見る眼をもっていたと・・・。

どこまで深いんだろう折口信夫。

これは、襟を正して彼の著作に当たらざるをえませんね。



2009年8月16日日曜日

我が家に車がやってきた

本日、7末に契約した車が本日納車されました。
ディーラー都合によりETCを始め3点ほどオプションが間に合いませんでしたが、
とりあえずは納車してもらうことにしました。

午前中に車を受け取り、昼を食べてから、川崎大師に安全祈願のお払いをしに行きました。
運転については馴れるまでちょっと怖かったですが、馴れてからは快適ですねー。

お払いの帰りに、オートバックスでいくつかお掃除用具を購入し、飯を食って今帰宅です。
で、帰ってきたらなんと、我が家の契約駐車場に知らない奴の車が(怒)!!

本音としては、鉄パイプでスクラップにしてやりたいところですが、
ここはとりあえず大人の対応を・・・。

P.S
チャー君。これが兄貴が購入した車です。
何かわかりますか?


ひらめきの導火線/茂木健一郎

私たちは外国と比較してすぐに自信喪失せず、等身大の自分たちを説明する努力をすべきなのだろう


前回のエントリーで、エジソンの言葉を引き合いに出しつつ
「ひらめき」について雑感を述べました。
その続きとして、本日は、ひらめきについての
書物を読んだ感想をまとめておこうと思います。

大分前に購入してはいましたが、机の上に積読状態になっていた
茂木健一郎さんの『ひらめきの導火線 ~トヨタと~ノーベル賞』
が今回の感想の対象となります。

正直申し上げますと、この本、わざわざブログでエントリーを
起こす必要はないのかもしれません。
結論から先に言ってしまうと、茂木さんの面白い着想を軸に、
ご自身が感じた、もしくは最近考えていることを
思いつきのように列挙されているだけという観がするからです。

ひらめきについての科学的な、もしくは論理だった説明は皆無です。
最近の茂木さんは、本を濫造しすぎて、
1冊1冊の中身が非常に薄い内容になっている気がします。
茂木さんの初期の本にあった情熱と科学者バリバリの冴え渡った論理展開が
最近では薄れつつあるような気がして個人的には残念に思っています。

それでもあえてエントリーを書く理由は、
気に留めておきたいアイディアがいくつか散見されることと、
読書感想エントリーのリハビリのためです。

ですので、このエントリーを読んでくださった皆様には、
「この本買いですよ!!」とまでは言いません。


◆目次
第1章 ひらめきはだれもが持っている
―「点火」を妨げるものはなにか(ひらめきはみんなのもの
・「日本人には創造力がない」というフィクション
・「日本人には個性がない」というフィクション
・「日本人には独創性がない」というフィクション)
第2章 ひらめきのネットワークを広げる

―「みんなでやる」が燃やす炎(ひらめきのロングテール
・ひらめきはみんなで共有する
・ひらめきは平等である)
第3章 ひらめきのルートを鍛える

―炎を灯す「ものの考え方」(総合のフィールドで闘う
・「すごいチーム」のつくり方
・独自の強みを発揮する)
第4章 ひらめきのパフォーマンスを高める

―「意欲」が照らし出す先(脳が活性化する環境とは
・プレッシャーが喜びに変わるとき
・終わりなき探求)
終章 日本を新時代へ導くために

―可能性に火をつける(十一歳の敗戦
・敗戦者の系譜
・明るくさわやかに負ける
・インテリよ、外に出よ!
・新文明への胎動
・日本の可能性の中心を見きわめる


◆茂木さんの主張
「日本人には創造性が乏しい」、
もしくは「日本人は真似ばかり上手くてオリジナルを生み出せない」などという
意見が通説としてまかり通っています。
それに対して茂木さんは「それは悪しきフィクションだ」といいます。
創造性に富んでいて、なおかつ個性豊かで
独創も上手なのが日本人だと主張されています。
先にあげたような日本人評がでるのは、
自分たちの特徴をきちんと把握せず、外国に向かって発言せず、
逆に外国の視点で自分たちを捉えるからだ、と分析されています。

この本では、その主張を訴えるべくして、
ノーベル賞とトヨタを比較対照ついて取り上げ
おのおのの「ひらめき」の本質を探っていく
・・・そんな章構成になっています。


◆日本的なひらめき・創造の原理
「みんなでやる」、「チームワークで物事を進める」、
「平等に知恵を出し合う」ことが
日本的な創造をささえている原理だということが述べられています。

たしかに、外国のスーパーサイエンティストなどの
取り上げられ方と比べると地味ですし、
個々人が見えにくくなるのかもしれません。

ですが、実際に海外のノーベル賞クラスの研究者にしても、
実は先人の知恵をたたき台にしていたり、
仲間とのディスカッションからとっぴな
アイディアの種がうまれたりと、決して一人の天才が
孤独にウンウン考えて独創的なアイディアを
ひらめいたわけではないことが例として挙げられています。


◆アイディアの生まれるところ
どんなに頭の切れる人であっても、
思考の対象がなければその切れ味は披露できません。
「思考する」とは述語です。
よって目的や対象となるものが必要ですよね。

どんなに頑張っても、思考の対象となるものが
存在しないところでは思考に切れは生まれません。
必ず他者を必要とするはずです。
もちろん他者には、今生きている人のほかに過去の先人、
先人の考えも含まれます。

ですから、ゼロから何かを生み出せる人というのは
ほとんどフィクションなんですよね。
知的生産という意味では、
必ずある対象(インプット)に対して編集を行い、
新しいアウトプットを生み出すしかないわけです。

ですので、日本人が別段独創に乏しいわけではないことがわかるはずです。

違いがあるとすると、モノ単体にしか考えが
及ばないのが日本人のたりないところで、
モノとモノを組み合わせてコトガラを作り出すのに長けているのが
ヨーロッパやアメリカの人たちということになるのでしょう。

この本を読んで、私は
生態系をデザインするということに我々は意識を向ける必要がある
のだろうなと強く考えるきっかけとなりました。





2009年8月14日金曜日

1%のひらめきと99%の努力

"Genius is one percent inspiration and 99 percent perspiration."

「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」という言葉は、
かの有名なトーマス・アルバ・エジソンの名言として知られています。

この言葉に対して、おそらく一般の人は
「努力が大事である」、または「継続することこそが天才のゆえんである」
といったような解釈をしてしまうのではないでしょうか。

実は私も、今日までは「いくらひらめきがあっても、それをものにするための努力がなければどうしようもない」
程度の認識でいました。

ですが、本日、私の上司から教えていただいたところによると、
先の言葉によってエジソンが云わんとしていた意図は全く逆だったようです。

なんでも、エジソン本人が述懐したところによると
あの発言は”少しもひらめかないような人は、いくら努力をしても無駄だ”という意味だったとのことです。
要は、ひらめくことの重要性を伝えたかったがゆえに、先の発言に及んだということです。

なんか、あれれれれ・・・と思うかもしれませんが、
心のどこかで確かにそうだよねと納得している自分がいたりしませんか?

私のような凡人は、エジソンの言葉をつぎのように解釈する必要があるのかな、なんて思った一日でした。

1%の天才的なひらめきを得るために、99%の地道な努力を惜しむなかれ」と・・・。