2009年7月12日日曜日

とはいってもねぇ・・・

仕事をしていると色々な人と出会います。

人それぞれ色々な考え方があると思いますが、
最近特にこういうタイプの人とは仕事したくないなぁというのが顕著になってきました。

こういうタイプとはどういうタイプかというと、
本人の悩みや課題に対して何かしらのアドバイスをしても
常に「とはいってもねぇ・・・」とか「確かにそうなんですけど・・・」と
決断できないタイプです。

アドバイスされても結局それを実行する気がないなら、
そもそも相談しになんか来なければいいのに・・・と思ってしまいます。

そんな矢先、最近その教えに大変な感銘をうけた
アルボムッレ・スマナサーラ長老の対談本の中に
こんな一説を見つけてすこし気が晴れました。

何かにつけて「とはいっても」と言う人には、自分を変える勇気がないのです。
無知で気が弱くて、しっかりしていない。そういう人に言いたいのは、
「自己改良をする気持ちがないなら、初めから人に意見を求めるな」ということです。
こういう人々はだいたい「こういうことで困っています。どうすればいいですか」と
いろいろ疑問を持ってきます。ところが「だったらこうしなさい」と答えると、
「とはいっても」で全部終わってしまいます。
それなら最初から、自分の状況で満足していればいいのですよ。
それができなくて訊くわけですから、
少しは頑張って階段一つくらいは上がらないといけません。

ほんとそう思います。
仕事という文脈であれば、何かしらの成果をあげることを我々は求められます。
成果をあげるための問題が自分にあるのであれば、自分を変える。
自分を変えることも含めて、仕事なんです。

こういう基本的なことがわかっていない
ビーエーケーエーな人が沢山いて困ってしまいます。

変えてはまずいほど自分って大事ですか?
変えていいものってなんですか?
変えてはまずいものってなんですか?

結局、何も考えていないだけなんじゃないかと思ったりしてしまいます。


ちなみに、スマナサーラ長老のこの本には、
もう一つ「いいねぇーこの考え!!」という箇所がありました。


満たされた死に方という章にこういうくだりがあります。

そうですね。充分正しく、しっかり、文句なく、自己嫌悪にならないような生き方をしたから、
次のステップは死ぬことしかないというのが理想です。
ですからベストな死は「では、さよなら」といって死ねることなのです。
息子に会いたいとか、死ぬ前にウナギを食べたいとか、
それはもうすごい執着をもっているのですから、
仏教教理学的には駄目ですね。
「もう充分食べてきたから食べ物なんかいらん。
息子にはさんざん苦労させられたから放っておこう。
私は穏やかにいたい。さよなら」というのが完全に満たされた死に方です。

このように言い切って死ぬためには、
よほど瞬間瞬間を後悔しないように生き切る必要がありますね。

岡倉天心の言葉を思い出しました。
美しいものとともに生きたものだけが、美しく死ぬことができる。
わたしもそうありたいと切に願います。



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