2009年6月4日木曜日

「あるべき姿」という言葉に対する違和感

不況のせいもあってか、「今こそあるべき姿の実現にむけて計画を立てよう」
などという言葉が雑誌やプロジェクトの企画の場で出てくる機会が少なくありません。

もちろん私の周りにも、存在します。
システム開発などを行う際に、キラビヤカな肩書きを持っている人に限って
「as is」分析とか「to be」モデルなどという言葉を断りなしで平気で使っていたりします。

プレゼンなんか見てたりすると「我々の現状は○○で、あるべき姿の実現にむけてXXしていかなければならない」
なんて威勢のいいことを言っていたりする。

先日もこういう説明を受ける機会があったので、いい加減頭にきて説明者に聞いてみました。
「あなたがおっしゃる”あるべき姿”というのはMust to beなんですか、それともWant to beなんですか」と。
説明者はポカンとしていました。

あーあ、やっちゃったよ。わかってはいましたが、確信犯的に質問した私はKY扱いです。
説明を聞いていた私が認めている数人だけが「ウム」といって頷いてくれていた。

そうなんですよ。
私が頭に来たのはよくよく説明の内容と文脈も考えずに
ある「べき」姿なんて言葉を使うもんじゃないよということです。

日本語において「べき」とは助動詞で、意味は以下の通りです。
(1)当然のなりゆき、あるいは、そうなるはずの事柄を述べる
(2)〔「べきだ」「べきである」などの形で〕義務づける意味を表す

我々がチーム一丸となってビジネスの方向性を決め、目標を定め、その実現方法の洗い出しと、
アクションプランの策定をしなければいけない状況で一方的に「あるべき姿」なんて言われても困るわけです。

この文脈であれば、せいぜい「(自分が考える、もしくはみなで考えた)ありたい姿」のはずです。
現状認識を共有し、それを踏まえてみなと一緒に将来こうありたい、とヴィジョンを打ち立てるときに
「将来的に○○するのが義務だ」とでもいいたげなあるべき姿論が出てくると
正直私はウンザリする。私だけではなく私の周りの優秀な人も苦笑している。
「あいつセンスねーなー」と。

もし何かのリーダーを任された場合、リーダーは自分が使う言葉に自覚的でいなければいけません。
皆を巻き込む必要があるときは、巻き込むために必要な言葉をつかうべきなのです。
何事もTPOで、時と場所に応じた言葉を使い分けるほどの教養もないのであれば悪いことは言わない。
いますぐリーダーの地位を他の誰かに御譲りなさい。

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