2009年5月24日日曜日

神仏習合/義江彰夫

なぜ日本には基層信仰としての神道と
普遍宗教としての仏教が神仏習合という形で共存できたのか。
「仏になろうとする神々」という謎をコードブレークしていく中で、
日本の基層思想が浮かび上がる・・・。


この一冊は、自分の頭で日本の歴史、
あるいは日本の思想史を理解したいと願う人の必読文献となるのではないでしょうか。
以前、山折哲雄さんの著書について感想を述べましたが、あの本で得た基本的な
日本思想史の見取り図を補強してくれるのが今回の一冊です。

読んでみて思うのですが、この手の本は我々日本人が無意識に受け取っている
日本的な考えや風習の根幹やその成り立ちを解明します。
読んでいて、なるほど、と楽しめる反面、自分のルーツを赤裸々にされるため
その事実に戦慄を覚える瞬間さえあります。まぁ、これも読書の愉悦なんでしょうけれど・・・。

無知とは目の前に広がる広大な世界の存在に気づいていない状態。
未知とは目の前に広がる広大な世界に気づき、恐れ・慄きながらも知らずにはいられない状態。


本書の詳しい紹介に入る前に、今月の私を取り巻く状況をまとめておこうと思います。
このブログは純粋な書評を目的にしていない関係上、本の内容以外に、
本を読んでいたときの私の状況や体調などもあわせて記しておきたいと思うからです。
このブログはインターネット上に公開しているので誰でも読めるわけですが、
読者として想定しているのは自分です。それも将来の自分、明日以降の自分です。

本と私とそれを取り巻く状況を簡単に編集してまとめておき、
後から振り返ったときに、なにかしらのヒントとなるものを残しておきたいと最近思うようになりました。
要は自分のモノの見方や考え方を自覚的にしておこうということです。

それでは、簡単にこの本を読んだ状況をまとめておきます。
2009年5月は珍しく仕事が忙しい月でした。
会社の中で新しいシステム開発基盤を作るプロジェクトが発足し、
11名のメンバーが私の所属する部署にやってきました。
私が所属している部署の開発ソリューションを使って、
新しいシステム開発基盤を作るためにこういう状況になったわけです。
今月はそのメンバー全員の技術力底上げを行うための月で、その担当に私が選ばれたというわけです。
選抜メンバーなので技術力は問題ないだろうと思いきや、結構大変だったりしました。
開発未経験のベテランエンジニアや鬱病のエンジニア・・・。
なんなんだこの会社は・・・と思いつつ11名に対してできる限りの指導をする毎日。
んでもって、定時後には自分の仕事が山積みですし・・・。
というわけで5月は今日まで1日も休みが取れない状況でした。

こんな状況になると、疲れがたまって本を読むにもその内容が頭に入ってこなくなります。
こういう経験は久しぶりです。ブログすら書く気がおきず、今月のエントリーがこれまで5本と少なかったのは
そういう事情があったからです。

面白かったのが、ようやく取れた土日だったので、ゆっくり本でも読もうと、ページを一枚一枚めくるのですが、
頭に何も入ってこない・・・。まるで脳が思考を拒否しているような感じです。
そんな状況でムリして昨日読み終えたのが今回の『神仏習合』だったわけです。
砂をかむような読書でした。

で、今日になってブログを書こうと、改めて読み直してみたら印象がまるで違う。
昨日はたっぷり寝たので、今朝は体調もよく気力も充実しています。
そんな状況で改めて本を読むと理解度が段違い、思考スピードも段違いなことに気づきました。
これは面白い経験でした。

そんなこんなで読み直した『神仏習合』。
さっそく目次からご紹介してまいりましょう。

◆目次

序 巫女の託宣 -誰が平将門に新皇位を授けたか

第一章 仏になろうとする神々
1.伊勢・多度大神の告白
2.神宮寺確立の過程
3.社会的背景を探る
4.律令国家の神社編成のゆきづまり

第二章 雑密から大乗密教へ
1.空海は何をもたらしたのか
2.仏教受容と密教による再編成
3.地方社会への広がり
4.王権側の論理と大寺院の対応

第三章 怨霊信仰の意味するもの
1.御霊会とは何か
2.道真の怨霊をめぐる説話
3.反王権のシンボルから王権守護神へ
4.怨霊信仰をもたらした社会的背景

第四章 ケガレ忌避観念と浄土信仰
1.王権神話が伝えるもの
2.ケガレ忌避観念の肥大化と物忌み
3.日本的浄土信仰=『往生要集』の論理
4.極楽往生を願う人びと

第五章 本地垂迹説と中世日本紀
1.仏教の論理に包摂・統合された神々
2.王権神話の読みかえと創造
3.王朝国家の危機のなかで

結 普遍宗教と基層信仰の関係をめぐって


◆物語のことはじめ

日本における神仏習合の意味を解き明かすに当たり、
著者は仏になろうとする神の告白から入ります。この物語展開は素晴らしい。
さながらコードブレーク型の推理小説のようです。

我は多度の神なり。吾れ久劫を経て、重き罪業をなし、神道の報いを受く。
いま冀ば永く神の身を離れんがために、三宝に帰依せんと欲す。

ここにでてくる多度の神は、古来、豊饒を約束する神として、伊勢、そして美濃・尾張の人々の
信仰の対象となっていた神です。そんな神様が奈良時代も後半の763年に、人にのりうつって
先のような託宣を下しました。冷静に考えると聞き捨てならないセリフですよね。
村や集落の守護神が、「もう神なんて堪忍してくれー、仏教に帰依したいよー
なんて言っているわけですから。ただ事ではありません。

神の切実な訴え、この背景を解明することが即ち日本の神仏習合を解明する鍵となります。
詳細は本書に譲るとして、以下、簡単に神仏習合解明の骨子をまとめていくことにします。

(1)まず、古代日本(まだ日本とは自覚されてはいなかった)の支配体制は
  中央の王権と地方豪族によって統治されていた。

(2)地方豪族はその配下の人々から収穫物を集め、皇祖神への捧げものという名目で
  中央に贈っていた。中央は祭りを催し、地方豪族の神社の代表を集め、
  皇祖神から与えられたという名目の稲穂を持ち帰ることで、地元の神々やその年の生産に
  新たな霊力が宿り、豊かな収穫が出来ると考えられていた。
  ※中央の王権を頂点とする分権体制の確立である

(3)中国・朝鮮経由で日本に儒教思想が入り、王権はみずからを大和の国すべてを支配し、所有する
  世俗的な王権であると徐々に認識をあらためる

(4)王権に、所有と支配の欲望と、そこから生まれる罪業意識が芽生え始める
   ※いったん手に入れた所有と支配の欲望はそう簡単に手放せるものではない

(5)法華経をはじめとする大乗仏教の諸経典に、王者を含めた在俗のものは、在俗者の代わりに
  出家して苦業を重ねて悟りを求める僧たちに供養し布施を行えば、
  悟りへの縁を結ぶことが出来ると説く仏教に個人救済を求めだす。

(6)王権と官僚貴族から、徐々に神々の名をかたって罪業の数々を告白し、神々を仏教に帰依させて
  菩薩にさせ、そのための伽藍、つまりは神宮寺(神社と寺のハイブリッド)を建てる方向に動き出す

(7)中央から始まった神々の仏教帰依は、やがて地方の権力者となった地方豪族にも伝播され、
  地方においても神々の仏教帰依と神宮寺の建立という方向に動き出す

(8)当初日本で普及していた仏教は南都六宗に代表される大乗仏教で、これは普遍性を追求したあまり
  一般の庶民には全く理解不能な教義となっていた。王権、官僚貴族、地方豪族、一般庶民すべてが理解でき、
  その欲望を否定せず、かつ悟りへつながる道を確立すべく、宗教的天才「空海」が
  大乗仏教にかわり密教を体系化し、国家の中枢に打ち立てた。

物凄く乱暴にまとめると、自分たちの民を従わせるためのロジックとして古代宗教を用い、
自分たちの救済ロジックとして普遍宗教である仏教を採用したというわけです。
統治するものとしての神のロジックと自己救済としての仏のロジックのハイブリッドの成果。
それこそが神仏習合を可能にした理由なのでしょう。

なかでも、自分たちの欲望を肯定してくれる密教を国家の中枢に組み込む。
んーーーん、宗教というのは政治に利用されるものなんですね。

ちょっと感慨深いものがありました。


本書は、上記の乱暴なまとめ以上に丁寧に歴史的、文化的、政治的背景を解きほぐしながら
論をすすめてくれています。是非ともつづきは本書をお読みになってください。




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