2009年4月7日火曜日

仏教信仰の原点/山折哲雄

日本の歴史を自分なりに腑に落ちる形で理解しようとすれば、
日本の政治と経済、そして宗教の歴史を紐解かなければいけないと思っています。
この三つが形成されてきたところに日本を日本たらしめている原型があると思うからです。

このような問題意識で色々と本を読んでいるところですが、
今回読んだ山折哲雄さんの『仏教信仰の原点』はそんな問題意識にたいして
一つの道筋を与えてくれる好著だと思いました。

全6章立てのうち、最初の1,2章にはこれまで知らなかったことが沢山紹介されており、
その内容とあわせて読んでいて震えました。

それでは、順次、目次から紹介していきます。


◆目次
まえがき
1.仏教信仰の原点
 1-1.奈良時代の遊離魂信仰
 1-2.平安時代の怨霊信仰と鎮魂儀礼
 1-3.鎌倉時代の成仏・往生思想

2.密教儀礼と空海
 2-1.真言院の建立と「物の怪」の時代
 2-2.大嘗祭と密教儀礼
 2-3.玉体加持の儀礼
 2-4.道鏡から空海へ

3.都市と心霊信仰
 3-1.神秘的なものへの関心の高まり
 3-2.現代物理学者の宇宙感覚
 3-3.人間の原初的な霊性体験
 3-4.都市の中の死角と新宗教

4.東北元始のこころ
 4-1.中央経由で受容された文化
 4-2.坂上田村麻呂と慈覚大師
 4-3.東北独自の宗教的現象
 4-4.東北における「山」

5.死との交わり
 5-1.再生への確信
 5-2.インド人の祖先崇拝
 5-3.インド人の人生観
 5-4.自然や現実との断絶
 5-5.霊山に集まる死者の魂
 5-6.高野山と納骨信仰

6.親鸞と道元
 6-1.体で示す文化の型
 6-2.容貌に見る人間の大きさ
 6-3.比叡山における修行体験
 6-4.師にたいする態度
 6-5.弟子にたいする態度
 6-6.人間と思想の比較 
 6-7.『正法眼蔵随門記』と『歎異抄』

◆本書のつくり
本書は、著者が講演やシンポジウムで話したものに大幅な加筆訂正を加えたもので、
あるテーマで書き下ろしたものではありません。よって、各章を読んでいると、微妙にトーンが違っていたりします。
ま、その辺は本書のつくりの問題ですからご愛嬌としておきましょう。

◆本書のテーマ
本書のテーマを私なりにまとめると、以下の2つかと思います。
1.日本人の宗教信仰の核心をなしているものは何か
2.日本人の仏教とは一体なんであったのか

◆話の展開
日本人の宗教信仰の特徴を歴史的に振り返り、それが中世になってどのように変化したか、
あるいは道元・日蓮・親鸞などの宗教の中にどのような形で吸収、あるいは否定されていったかを
整理するといったストーリー展開になっています。


◆感想
本書で私が一番震えたのは、先にも書いたとおり、1,2章です。
内容のアウトラインを簡単に示しながら、気になる箇所を抜粋します。

1章では、日本の宗教信仰の変遷を、奈良、平安、鎌倉の三時代に分けて、追いかけていきます。

まず、奈良時代の宗教信仰の特徴ですが、これは人間の霊魂が何らかの折に肉体から遊離していく
というのがその信仰の基層にあったそうです。人が亡くなると、その霊魂はだいたい上のほうに、高いところに
上っていくと古代日本人は思っていたようです。万葉集に挽歌というものがあり、その殆どが
亡くなった霊魂が山や岩、そして雲や霧、高い樹木などのほうに上昇していくという内容なんだそうです。
松岡正剛さんが『花鳥風月の科学』でも書いていた通り、日本人の古代信仰の起源は山にあるんでしょうね。
ちなみにこの霊魂は何かの拍子に人間に憑依したりするそうで、これを昔は「タタル」と読んでいたそうです。
「タタリ」という言葉の本来の意味は「神が示現する」ことにあったそうで、
「危害を加える」という意味の「祟り」ではなかったようです。

日本には「タタリ」のように、言葉本来の意味が転化するということがよく起こります。
イワウ(斎う)→イム(忌む)
ノル(宣る)→ノロウ(呪う)

なんでこんな転化が起きるんだろうと思っていたら、それを解明する仮説が本書に提示されていました。

仏教が一定の社会的役割を果たすようになった段階で、
神の示現という問題が仏教的に再解釈をほどこされた。
つまり、神やさまざまな神霊が、ある対象物に危害を加えて
その怨念をはらすために降霊するのだという
観念を第一につくりあげる。そうしておいて、
こんどはそういうスティグマを付与された祟りを排除し、
儀礼的に駆除するためにこそ仏教の儀礼が必要なのだ、という解釈をおこなった。
こういう関係にあったのではないかと私は思っているのです。
                               『仏教信仰の原点』 P19 より
古代日本人が持っていた原始的な宗教観が中国からわたってきた仏教により一度コンパイルされた、
ということですね。仮説とはいえ、私にとって目から鱗でした。
当時の人々にとって仏教の伝来は、よほど衝撃的な文化的インパクトを持っていたのでしょうね。

続いて、平安時代です。
先の奈良時代と比較して、この時代の特徴には「怨霊信仰」とそれを沈めるための
「鎮魂儀礼」があげられます。

著者の山折さんは、平安時代の基礎を築いた桓武天皇の辺りから、
「タタリ」が「祟り」へ急速に進行したと見ています。
桓武天皇は権力を握るために、ライバルたちをどんどん非業の死に追いやっています。
そうやって権力を取得した後、平安京に様々な不幸や事件、自然災害が起こります。
これらの事象を桓武天皇の政治的対立者たちが、その怨嗟や恨みの気持ちを込めて
流言蜚語を飛ばしたのが「祟り霊」の誕生だと結論付けます。

当時は貴族でなければ人でない時代なわけですし、権力者の気まぐれで
平城京や長岡京、平安京へと遷都させられまくっているわけですから、
一般庶民の恨みも募っていたんでしょうね。

一方の権力者たちも、おちおち呪われて死ぬわけにはいきませんから、その対抗策として
怨霊や物の怪への対抗儀礼として空海を代表とする密教者たちを権力の中枢に招きいれ
様々な鎮護儀礼を体系化します。これが平安時代の特徴です。

ひとつ面白いと思ったのが、加持祈祷を行って悪霊や物の怪を退散させようとする際、
祟るものが物の怪や悪霊だった場合は、仏教の御修法や密教層の加持祈祷を行うのに対し、
祟るものが「神の気」(要は神の霊)の場合は、神道の御祓いでこれを撃退していたという事実です。

この事実からも、権力の中枢ではあくまで仏教を信仰の対象というよりは、怨霊への対抗手段くらいにしか
見ていなかったことが想像できますよね。

そして最後に鎌倉時代ですが、この時代も基本的には怨霊信仰という基本的なトーンは変わりません。
変わってきたのは怨霊の正体が個人から集団になってきたことだ、と山折さんは述べています。
この時代の政治記録文書である『吾妻鏡』の下巻などは、
その殆どが死者の供養についての話なんだそうです。
しかし、この時代にはこれまでの伝統的な怨霊信仰や遊離魂信仰に対する反省を促すかのように
2人の宗教改革者が登場します。それが親鸞と道元です。
この二人の思想においては、基本的に霊魂の存在を認めません。
よって、この二人の思想は日本の伝統的な宗教感情に対する大きな挑戦だったわけですね。

ですが、その後の歴史を、そして今の我々の宗教感情を振り返ればおのずと理解できるように
敗れたのはおそらく親鸞と道元のほうだったわけですよね。
現代人にとって仏教なんていうものは、葬式と結婚式を初めとするイベントの企画日が
仏滅じゃないかどうかくらいしか関心がないでしょうから・・・。


これが1章のアウトラインです。

ちょっと力尽きかけなので、2章で終わりにしますが、この章には私にとって
ひっくり返りそうになる話が紹介されています。

この章のポイントは個人的に大嘗祭の意義だと思っています。
本書においてこの話は折口信夫さんの説を採用していますが、私にとっては
本当に驚愕の事実でした。

天皇はふつう「スメラミコト」というそうですが、そのほかに「スメミマノミコト」ともいうそうです。
この「スメミマ」という言葉は「スメ」と「ミマ」でそれぞれ意味があるそうで、
「スメ」は「神聖な」、「ミマ」は「肉体」という意味だそうです。
つまり天皇をあらわす「スメミマノミコト」とは「神聖な肉体を持ったミコト」と言う意味になります。
これだけだと、天皇は単なる肉体的存在にしか過ぎません。
私も本書を読むまで天皇というのは、万世一系の唯の人くらいにしか思っていませんでした。

ですが、実は違うんです!!

天皇が真に天皇であるのは、このような神聖な肉体をもっているからではなくて、
その肉体の中に天皇霊が宿っているからです。神武天皇以来継承されてきた
天皇の御霊が内蔵されているからです。この天皇の御霊が万世一系なんだというわけです。
そういう点では、神武天皇の御霊も今上天皇の御霊も、まったく同一のものなのです。
つまり、その天皇の霊を継承する祭儀が即位式のときの大嘗祭であるというわけです。
あとから申しますが、大嘗祭は、古くは死んだ先帝といっしょに添い寝をして、
その肉体から天皇霊を自分の体に移して継承する。そして起き上がってから、
天照大神とともにその年にできた新穀で炊いたご飯を食べて高御座に昇る。
そこで即位式が完結する、という考え方です。
                 『仏教信仰の原点』 P64より


神武天皇以来の歴代の天皇霊を体に引き受けし神聖な体を持つシャーマン、これが天皇だったんだ!!!!
これじゃ戦前に天皇が「現人神」だっていっても、簡単に馬鹿にしたりはできませんよね。

そして、同じくらい衝撃的だったのが

大嘗祭とは、歴代の天皇の肉体をつぎつぎと通過してきた神武天皇以来の天皇霊を、
次代の天皇の体に付着させるための儀礼、すなわち天皇霊の付着ということが、
その最大の眼目であった。同様に新嘗祭にも、毎年暮れになると衰えてくる天皇の霊を
強化するという意味がこめられていた。
それがタマシズメの儀礼であった、というのが折口信夫さんの見方でした。
それにたいして、密教による翌年の正月の御七日御修法のばあいは、
明らかに外部から人間にとりつく邪霊や物の怪を排除するための儀礼として考えられていた。
いわば天皇の玉体を中心として、その内部霊を強化し、そして外部霊を駆除するという
対応の形式が、大嘗祭(新嘗祭)と御七日御修法によってつくり出されていたと
いえるのではないでしょうか。
                『仏教信仰の原点』 P81-82より

山本七平じゃないけど、日本には日本教しかなかったのね・・・。

ちょっと真面目に折口信夫、柳田國男、山折哲雄、山本七平を読まないと駄目みたいね。
なんか知ってはいけない日本の秘部をしってしまったかのような衝撃を受けました。



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