2009年4月26日日曜日

多読術/松岡正剛

”編集仙人松岡正剛、書物の宇宙と戯れ、読書の蘊奥を一般読者に公開す”

今日は、喉から手が出るほど楽しみにしていた松岡正剛先生(勝手に私淑しているので先生と呼びます)の
『多読術』を紹介しようと思います。

今日までに3回ほど読み直しましたが、何回読んでも唸ります。
書き手の力量によって読み手の心が攫われる・・・うーん、なんて贅沢な時間なんだろう。
方法日本の提唱者セイゴオ先生が、やわらかい読書、壊れやすい読書、切ない読書、
セピア色の読書、危険な読書、力強い読書、攫われる読書について縦横無尽に語りつくします。

まだこの本を手にとっていない皆さん。
一刻も早く本屋にいって、この本で遊んでください。

『多読術』なんていうタイトルを見ると、本の読み方、いわゆるノウハウ系の馬鹿本を連想したくなりますが、
セイゴオ先生の本ですので、その辺はご心配なく。

多読術の「多(おおい)」は、本を沢山読む方法としての「多」、
本を色んな視点・観点から読んで楽しむ方法としての「多」、
そして、「多(まさる)」という読みかたもできるように、読むを超える方法としての「多」と捉えてください。
そもそも読書術の本としてこの本を読むこと必要はありません。
ある対象から情報を沢山・色んな方法で読み取るための術が書かれた本
として手に取ったほうが実りが多いと思います。

今、おそらく日本に読書の可能性をこれほどまで適切に語れる人物は
セイゴオ先生をおいて他にないでしょう。
そのくらい贅沢な1冊ですので、GW中に是非とも読んでみてください。

◆目次

第一章:多読・少読・広読・狭読
 ・セイゴオの本棚
 ・本は二度読む
 ・たまには違ったものを食べてみる
 ・生い立ちを振り返る
第二章:多様性を育てていく
 ・母からのプレゼント
 ・親友に薦められた『カラマーゾフの兄弟』
 ・文系も理系もこだわらない
第三章:読書の方法をさぐる
 ・雑誌が読めれば本は読める
 ・三割五分の打率で上々
 ・活字中毒になってみる
 ・目次をしっかり読む
 ・本と混ざってみる
 ・本にどんどん書き込む
 ・著者のモデルを見極める
第四章:読書することは編集すること
 ・著者と読者の距離
 ・編集工学をやさしく説明する
 ・ワイワイ・ガヤガヤの情報編集
 ・言葉と文字とカラダの連動
 ・マッピングで本を整理する
 ・本棚から見える本の連関
第五章:自分に合った読書スタイル
 ・お風呂で読む
 ・寝転んで読む
 ・自分の「好み」を大切にする
第六章:キーブックを選ぶ
 ・読書に危険はつきもの
 ・人に本を薦めてもらう
 ・本を買うこと
 ・キーブックとは何か
 ・読書し続けるコツ
 ・本に攫われたい
第七章:読書の未来
 ・鳥の目と足の目
 ・情報検索の長所と短所
 ・デジタルVS読書
 ・読書を仲間と分かち合う
 ・読書は傷つきやすいもの
あとがき「珈琲を手に取る前に」


◆本との接し方
「読書は大変な行為だ」とか「崇高な営みだ」などと思いすぎないことです。
それよりも、まずは日々の生活でやっていることにように、
カジュアルなものだと捉えたほうがいい。
(中略)
ジャケットを着たりジーンズを穿いたりするように、本と接したほうがいい。
                               『多読術』 P12
私の後輩にも、どうやったら読書を続けられるのかと聞いてくる人がいますが、
大抵、こういう人は本を読むと言う行為を大げさに捉えちゃっていますよね。
そういう人にこそ、この言葉をかみ締めて欲しいです。
まずは気楽に興味のありそうなジャンルの雑誌でも漫画でも小説でも新書でも
何でもいいから読んでみることが出発点ですよね。

読んでみて、まずは「あー面白かった」と言うところからはじめましょうよ。
それができたら次のステップです。

セイゴオ先生は、”注意のカーソルの動きを多様にする”ことが大事だと言っています。
要は、自分が読んで見たものについて「面白かったこと」「つまらなかったこと」「わからなかったこと」、
こういった観点を大事にしてみましょうということです。
それと、もう一つ大事なこととしてセイゴオ先生は”再読”をあげています。
先にあげた観点を踏まえ、時間を置いてもう一度読んでみる。
おそらくそこには何かしらの溝があるはずです。
「なんであの時はこんなことがおもしろかったんだろう」とか
「なんであの時はこの箇所が目に留まらなかったんだろう」といった
初読当時の感想を今日の時点からあらためて眺めてみる視線が大事だと言っています。
こういう視線って、自分をよく知るって言う意味でも非常に重要だと思います。


◆未知との遭遇としての読書

こちらが無知だからこそ読書はおもしろいわけで、それに尽きます。
無知から未知へ、それが読書の醍醐味です。

-セイゴオさんでも「無知」から「未知」へ、ですか。

そりゃそうですよ。無知があるから未知に向かえるんです。
読書は、つねに未知の箱を開けるという楽しみです。
                    『多読術』 P69
こういう視点、大好きです。
何万冊もの本を読み、何千人もの人とかたらってきたセイゴオ先生でも
無知から未知への旅を続けていらっしゃる。
私も、このような旅を死ぬまで続けたいと思います。
「無知から未知へ」・・・驕りも気負いもない、非常に素敵なフレーズだと思います。


◆自己編集としての読書
読書というのは、書いてあることと自分が感じることとが「まざる」ということなんです。
これは分離できません。

読者は著者が書いたことを理解するためにだけあるのではなく、
一種のコラボレーションなんです。
ぼくがよくつかっている編集工学の用語でいえば、読書は「自己編集」であって、
かつ「相互編集」なのです。セルフ・エディテリングとデュアル・エディテリングですね。

「読む」という行為はかなり重大な認知行為なんです。

                              『多読術』P76~77
セイゴオ先生が”読書に危険はつきもの”という理由もこの辺にあります。
自分の体験を振り返ってもこれは正しいと思います。
読書には必ず、自分の感情と本に書いてあることが混ざります。
本の内容によっては、自分の感情と書いてある内容が水と油で融合せず、分離したりもするわけですが、
読んだ内容、そしてそのときの感情や記憶は自分の五感に刻まれ、その情報をもとに
自分がリビルドされる感じがするわけです。「読む」という行為が自分の人生に刻まれるわけですから、
もうその瞬間から、さっきまでの自分とこれからの自分は違ってしまうわけです。
このあたりが読書の醍醐味でもあり、危険なところだったりするわけですよね。



◆コミュニケーション~視点の共有と意味の交換~
まず、書くのも読むのも「これはコミュニケーションのひとつなんだ」とみなすことです。
人々がコミュニケーションするために、書いたり読んだりしているということです。
このとき、著者が送り手で、読者が受け手だと考えてはいけません。
執筆も読書も「双方向的な相互コミュニケーション」だと見るんです。
                       『多読術』P95
セイゴオ先生の『知の編集工学』を読んだ方にはおなじみの視点ですが、
これは非常に重要なポイントですよね。
要はコミュニケーションの本質というのは
「相手と視点を共有し、意味を交換すること」というわけです。

だからこそ、相手に情報を伝えきるためにはモノローグ(独白)だけでは駄目で、

これは、言い換えると、本を沢山読む人は著者と
仮想的な対話のエクササイズを行っているということです。
※これはひとえに読み方次第ですが・・・。

どうです、いいことかいてあると思いませんか?
この本には、こういう大事なことがまだまだ沢山書かれています。
のこりは是非、皆さんがそれぞれ手にとって、その内容を咀嚼して頂けたらと思います。

最後に、

◆「役に立つ読書」を求める愚か者への一言

「役に立つ読書」について聞かれるのがつまらない。
それって、「役に立つ人生って何か」と聞くようなものですよ。
そんなこと、人それぞれですよ。
                      『多読術』P139





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