2009年4月2日木曜日

<対話>のない社会/中島義道

昨日のエントリーで紹介した本の中には、
対話型のコミュニケーションが組織変革の鍵であるということが記されていました。
そして、その主張に対しては私も全面的に賛成します。

しかし、自分の組織や身の回りの関係を考えると、「対話」を促すのは一筋縄ではいかないことに気づきます。
ほんと、この「対話」というコミュニケーション手段は我々には曲者です。
なぜなのでしょうか?

昨日紹介した本には、「対話」という言葉が以下のように定義されています。

「対話」とは、「客観的事実」と「意味づけ」の関係に焦点を当てる
社会構成主義的な視点をもちつつ、相互理解を深めていくコミュニケーションの形態
                         『ダイアローグ ~対話する組織~』 P87より
上記の定義を参考にすると、対話をしていく時には、まず相手の考え、要はある事実を相手がどのように
意味づけしているのかをじっくり聴く。そして、相手の考えを尊重した上で、自分の物の見方や考え方をぶつけ、
物事に対する合意を取り付け、理解を深めていくのが重要であると。

だれでもこのようなアプローチを”文字として”読んで異を唱える人物はいないでしょう。
しかし、これを実際のビジネスの場に移して”実行する”と、なかなか上手くいきません。

こんな事例がありました・・・。

会社の中で改善活動を行おうという話になり、日頃の活動でできるところから改善が始まりました。
若手から幹部まで幅広いメンバーが参加し、和気藹々と改善について話し合い、アクションアイテムを掲げます。
しかし、よーーーくアクションアイテムを精査していくと、あがっているものの殆どは
私たちのミッション実現になんら貢献しないものばかりなのです。
要は、何のための改善なのかという基軸がないため、自分の周りの作業で各自が無駄と考えるものしか
アクションアイテムにあがってこないわけです。

話し合いの方向性に違和感を感じた私は、メンバーに対してこのように問いかけました。

「そもそも改善は、自分たちの本業のボトルネックを見つけ、それを解決するために
現状のムリ・ムダ・ムラを一つずつ取り除いていく作業ですよね?これまであがったアクションアイテムは、
これはこれで重要かもしれませんが、我々の本業やミッションと照らし合わせると視点がずれているような
印象をうけるのですが、皆さんはどのようなお考えで、アクションアイテムを提示されたのですか?」

軽蔑した発言でもなんでもないのですが、この発言によりその場の空気が凍りつきました(笑)。
あたかも「なんでお前、俺たちのやる気に水をかけるような発言をするんだ?」とでも言わんとする雰囲気でした。

この体験を思い出した時に、中原先生や長岡先生の提案する対話ベースのコミュニケーションは
はてさて日本の会社にうまく取り入れられるのだろうかと、ふと疑問がわきました。

そんな疑問を胸に、今回読み返したのが、
戦う哲学者である中島義道さんが書いた『<対話>のない社会』です。
※イントロ長すぎだな・・・

この本には、なぜ日本人が個人同士、正面から向き合うことを要請する<対話>を避けるのかが、
様々な事例をもとに解説されています。
著者の見解では、日本的思いやりや優しさこそが、<対話>を妨げているそうです。

この本に出てくる話を振り返ると、自分の所属する会社でも似たような光景を多々存在することに気づきました。
日本の組織風土に「対話」という文化を取り入れるには、それを取り入れるリーダークラスが
腹をくくって率先して対話を始めるしかないのだろうなぁ、とぼんやり考えてしまいました。

ちなみに、私が率いるチームは1年くらいかけて対話になじんで来た次第です。

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