2009年3月29日日曜日

映画『ニクソン』を観ました

昨日、『フロスト×ニクソン』を観たのをきっかけに
ニクソンという人物に非常に興味がわいています。

そういや、あのオリバー・ストーン監督がアンソニー・ホプキンス主演で
ニクソンを撮影していたな、ということを思い出し、
TUTAYAでDVDを借りてきました。

先に紹介した『フロスト×ニクソン』が大統領辞任後を描いたものであるのに対し、
こちらの『ニクソン』は大統領辞任までを描いたものです。

そして、どちらの作品も見ごたえ十二分でした。
特に今回みた『ニクソン』はニクソンの人となりが非常に丁寧に描かれており、
なぜ彼があそこまで盗聴にこだわったか、大統領になることにこだわったかが
あますことなく描かれています。もう凄いの一言。そしてキワドイ映画です。
オリバー・ストーン監督、こんな作品つくってよく暗殺されなかったなぁ、って感心してしまいます。
それほど危ない映画です。そしておそらくこれは半分以上真実でしょう。

政治の本質が悪であることを徹底的に描いています。
圧巻はJFK暗殺の黒幕が紹介されるところ。JFK暗殺の黒幕は、ケネディのようなハンサムでアホな若造では
これからのアメリカ帝国の国益を守っていくことができないと判断した共和党のトップや
国際企業(オイルカンパニーや金融資本)であったということ。
そりゃそうだわね。あの時はオズワルドという一人の人間が暗殺を行ったということで処理されたわけだけど、
国家の最高権力者をいち暗殺者が単独行動で暗殺するなんてありえない話だもんね。
暗殺の裏では様々な思惑と利害関係と金が動いているわけです。

政治の本質を考えようとする人間であれば、必ず観ておくべき作品だと思いました。
『フロスト×ニクソン』を観ようとしているのであれば、先にこちらを見ておくとより楽しめると思います。

三教指帰/空海

最近、”日本という方法を辿る”という自分のテーマのもと、
日本の歴史や思想史に影響を残した人物の本を少しずつ読み始めています。

私自身、日本を研究する人間でもありませんので、読むといってももっぱら
古典の口語訳なわけですが、それでもそれなりに書物が書かれた時代の
歴史を調べながら読んでいくと色々と発見があるものです。

古典を読むにあたって、最近私が気に入っているのが
角川ソフィア文庫に入っている古典シリーズです。
特に「ビギナーズ日本の思想」や「ビギナーズ・クラシックス」、「ビギナーズ中国の古典」シリーズは
私のような基礎教養の低い人間が読んでも分かるくらいよく出来ています。

今回読んだのもビギナーズシリーズに入っている『三教指帰』です。

『三教指帰』という書物は空海が24歳の時に記したといわれる『聾瞽指帰(ろうこしき)』が元になっているそうです。
24歳の時にこの本の基本的な部分をすべて書き上げ、入唐の際に中国へ持参し、
本場の学者たちの絵師絵を参考にして、内容のいくつかを改めて『三教指帰』となったのだそうです。

空海が生きた時代は西暦774~835年です。平安時代です。
インターネットはおろか、まだ印刷技術すらなかった時代です。
そんな時代に、たかが24歳足らずで、儒教、道教、仏教のエッセンスと比較・検討し、
仏教が以下に優れているかを日本最古の戯曲形式で書き上げたのですから、その凄さといったらありません。
私はこの本を読んで、空海に対する興味が一気にわいて来ました。

空海は、序文において『三教指帰』を書いた理由をこう語っています。

唯、憤懣の逸気を写せり。誰れか他家の披覧を望まん。
唯、自分のほどばしる思いを書きなぐっただけで、
別に誰かに読ませようとした本ではない、と言ってるわけですね。
一体何が、空海にこのような言葉を吐かせる原因となったのでしょう?

この本には、付録として空海の略歴が付されているのですが、
それによると空海の両親は学者だったそうで、特に空海の伯父さんは
親王の教育係をつとめた高名な儒学者だったそうです。
よって、空海は小さい頃から漢学を学び、十五歳で上京してからは
この伯父さんから熱心に漢学を学びました。
成績も優秀だったらくし、18歳で当時の官吏養成機関の最高峰である
大学寮に入学して徹底的に勉強するわけです。
いわゆるスーパーエリート街道まっしぐらなキャリアを送ってきたわけです。

ですが、そこで学べたことは基本的に訓古が主で、
その学風も、家名を掲げ富貴栄達を目的とする処世術の様相が強かったようです。
そんな学問は、人生の真の理想を追求したいと考える空海には馬鹿馬鹿しく思え、
結局は大学中退となります(なんか今の学生と似てるかもしれませんね)。

大学を中退してからは、自分の理想を追求すべく、
儒教や道教の本質を捉えなおしてみたり、
仏教を熱心に勉強していたようです。
大学を辞め、仏教を勉強するに当たっては、親戚や友人たちから
忠孝の道を外れる、などの理由で猛反対されたみたいで、
仏道と忠孝の道が相反するのかどうか真剣になやんだようです。

そしてやってきた24歳。
自分がこれまで属してきた富貴栄達の世界との決別と
仏道の歩みが忠孝に背くわけではないということの証明という
2つの動機をもとに『三教指帰』を書き上げるわけです。
この本、いわば空海のマニフェストなわけですね。
この思いが先の序文に秘められた空海の思いというわけです。

さて、この本のあらすじを簡単に紹介すると、こんな感じです。
兎角公(とかくこう)という人物がいて、彼には荒くれモノの甥、蛭牙公子(しつがこうし)がいます。
この甥を何とか更正させようと、儒学の先生、道教の先生、仏教の修行者が
順番にその教えを説き、最後には仏教が一番優れていることをその場に集まった全員がさとり、
心を入れ替えるというお話です。

要は儒教よりも道教よりも、いちばん仏教が素晴らしいんだぞ!!という宣言物語なわけです。
こういったお話が、先にも述べたとおり戯曲形式で進んでいきます。
今の我々が読んでも結構面白いお話だと思います。


最後に、この本を読んでいて一転気になった点を記しておきます。
私が持っている日本史の本には、飛鳥時代から聖徳太子の働きなどもあり
日本は仏教を重宝するようになったとあります。鎮護国家の思想として仏教が取り入れられたはずです。
仏教は国家的にも一番重要な教えとされたわけではなかったのでしょうか?

三教指帰には仏教と比較される宗教として儒教と道教があげられています。
儒教は孔子の思想であり道教は老子・荘子の思想をベースとした宗教です。
一体この儒教と道教はいつ日本に流れ込んできた思想なのでしょうか?
特に道教。あまり日本史の本には記載がないですが、
平安時代に空海が攻撃する対象として取り上げているくらいですから
巷では有力な宗教だったったのでしょう。
道教って一体何なんだ?

なんかの本で、「神道のルーツは道教だ」っていう主張を読んだことがあるけど、本当だったのか?
知れば知るほど分からないことがでてくる・・・。

日本人にもかかわらず日本の歴史に精通できていない自分・・・もっと勉強しないと。


映画『フロスト×ニクソン』を観ました

今年映画館で鑑賞した11本目の作品が、
この『フロスト×ニクソン』です。

本日公開でしたが、おなじみのレイトショーでの
鑑賞でしたので、お客はあまりいませんでした。
政治映画を観るには最高の状態なはずですが、
二つ隣に座った馬鹿サラリーマンが、1時間ちかく
静かな映画にも関わらず、ポップコーンを
グングン食べまくっていて集中力を殺がれたのが
玉に瑕でした・・・。



映画自体はかなりの傑作です。映画を愛する人であれば絶対観るべきです。
政治ドラマとしても人間ドラマとしても良く出来ていますし、勉強にもなります。

ストーリーは単純で、ウォーターゲート事件で失脚したニクソンに対して、
イギリスのトークショー番組のいち司会者であるデビッド・フロストが
ニクソンに対するインタビューを企画し、インタビュー契約を取り付け、実際にインタビューを行い、
ニクソンから貴重な政治発言を引き出すことで彼の政治生命を絶つ、というお話です。

書いてしまえばこれだけなのですが、大物政治家に対するインタビューの舞台裏や
政治家、または権力者という人たちがどういった人間なのかが徹底的に描き出されており
鑑賞するものを圧倒します。非常ーーーに面白い。

大物政治家に対するインタビューというのはある意味戦争なんだということが良く分かります。
本当の意味で権力を監視するジャーナリズムというのは、これほどまでにスリリングなものとは思いませんでした。
そのほか、感動した、勉強になったことが山ほどあります。

例えば・・・
・インタビューも初戦はビジネスだということ。
 「インタビューさせてくれ」、「させます」なんて話ではなく、要は大金が裏で動くということ。
・本物のインタビューは格闘技であり戦争だということ。
 本物のインタビューは膨大な調査と戦略なしには実現しえない。
・ニクソンは筋金入りの政治家であり本物のファイターであったということ。
・政治/権力の本質は悪だということ。悪だからこそ大きなことができる。
・人の行動をささえる本質とは、己のエゴ(私の言葉で言うと自分を取り巻くシステムに対しての復讐)であること。
・まともな大人は基本的にローファーのイタリア製革靴なんてはかないということ。

と、色々参考になることが多い作品でした。

最後に、この映画を観て私はニクソンに惚れました。彼は本物の政治家です。
作品の中でウォーターゲート事件について「あなたは悪いと思っているのか」と聞かれ
こんな台詞を吐くシーンがあります。

記憶が定かではないのですが、こんなことを言っていました。
「心の問題としては悪いと思っている。しかし合理的に考えると悪いとは思わない。
そもそも国家を守るという前提において政治家は国民レベルの法律に縛られる必要はないんだ」

要は、政治家の行動について、国益に適うような行動は法律に違反した行動でも許される、ということです。

我々国民は、この言葉の重さを十分にかみ締める必要があるのではないでしょうか。
本来、政治家が行うべきは清く正しい社会人としての行動であるわけがありません
国民の利益を守るためには色々な寝技を使う必要もでてくるでしょう。
私は、単純な正義感と大して考える力のない軽い頭で、頭ごなしに法律違反は絶対駄目という人には
なりたくないと思っています。
この作品を観た人には、是非ともこの点を考え抜いて欲しいと思います。
私も考え抜こうと思います。


ちなみに、田中角栄のロッキード裁判において田中角栄擁護の論陣を張ったのが
私が昔はまった政治学者の小室直樹さんです。
あの時、小室さんは「政治家は国益を守るためなら横領、人殺しをしたってかまわないんだ」みたいな事を
テレビで言ったり、本に書いたりしていた。
つまらん正義感を振りかざした弁護士には、たしか「送電線に逆さづりにしてやりたい」とも言っていたはずです。
その言動により、小室さんは学者生命を絶たれてしまったわけですが、私は小室さんの問題提起に
日本人はもっともっとこだわって議論すべきだったのではないかと思いました。

すくなくとも私はこだわり続け、考え続けたいと思います。





2009年3月27日金曜日

任天堂凄い

あるニュースサイトにWiiについての記事が載っていた。
記事によると、全世界でのWii出荷台数が発売2年4ヶ月で5000万台を突破したそうだ。
ニンテンドーDSは既に全世界に1億台も出荷されているらしい。

ほんと、こんな世界的大ヒットを出し続けることができる任天堂という会社は、偉大だとしか言いようがない。

任天堂のゲーム機と私の関係を振り返ると、「ファミコン」→「ディスクシステム」で私は終わってしまっている。
「スーパーファミコン」は私が中学生の時にたしか発売されたのだが、その頃は部活やらなにやらで
ゲーム熱が冷めてしまっていた。それ以降、社会人になるまでは任天堂のゲーム機には
全然触っていなかった。PCエンジンとかプレステ2とかは買って持っていたんだけど、
任天堂のゲーム機では遊ぶ気になれなかったんだよね。なんかつまらなそうなイメージが付きまとっていたせいで。
ほんと、一時はゲーム機市場がプレステ2一色になったような感じがして「任天堂大丈夫かな?」なんて
友達と話をしていたもんだ。

それが、DSとWiiのスーパーヒットであっという間に息を吹き返したのだからたいしたものだ。
もちろん、私も両方のゲーム機を持っている。どちらも本当に革新的な製品だと思う。

特にWiiはゲーム機で遊ぶ年齢層をものすごく広げたと思う。
こないだ、うちの奥さんの両親が姪っ子をつれて家に遊びに来たときなんかは、
家族みんなでWiiスポーツのボウリングに夢中になってた。
ほんと、家族で遊べるゲーム機だ。任天堂は凄い。

さきの記事を読みながらぼんやりと任天堂のことを考えていた。
単に数字だけを見るとWiiは「発売2年4ヶ月で5000万台も売れてしまうモンスター商品」となるんでしょう。
でも一体何が全世界の人たちに5000万台も買わせる理由になんだろうか?

色々な人が色んな分析をしていたりするんだけど、なんか詰まんない話ばっかりなんだよね。
あまりに理屈っぽいっていうか、結果を後から単に論理的にまとめただけというか・・・。
特に最近は、ほんと事象を論理的にまとめて判断しただけの考えって詰まんないと思うようになっている。
論理という名のもとに、潤沢な文脈の中に横たわっている情報を、綺麗さっぱり引っこ抜いてきちゃう。
そしてそれを綺麗にならべて説明してあげる。それはそれで分かりやすいんだけど、私の腹に落ちてこない。
なにかが足りないんだ。いや、もしかするとグタグダ理由を説明しすぎなのかもしれない。
自省をこめて書くけど、我々はある自称を理解しようとするために説明を求めすぎてんじゃないかな。
そしてその要望を満たそうと、説明できる力のある人が事象を分析し、論理だって説明してくれる。

最近、こういうアプローチがうっとうしくてしょうがない。
分析したり考えたりする前に、なんか、こう、もっと大事なものをどっかに忘れてきたような気がしてならない?
なんか本質に届いていないというか・・・。

そんな思いを秘めながら、今日会社で、らばQに紹介されている
Wiiの記事を見つけて涙が出そうになった。かなりジーンと来た。

任天堂でWiiを作った人たちは、戦略だのなんだのを考える前に、
ここに紹介されているような状況を作り出したかったんじゃないか?
自分たちの創意と工夫によって、みんなをびっくりさせたかったんじゃないか?
ゲーム機と人間の関係にパラダイムシフトをもたらし、
みんなで楽しめる人生の一瞬を届けたかったんじゃないか?

私は、任天堂の社長さんを含めWii開発に携わった人たちは、利益だとか、戦略だとかの前に
Wiiを使って新たなつながりを手に入れている人たちの顔を思い浮かべることが出来たんじゃないかと思う。
出来ていたと信じたい。

子供も大人も、体が不自由なひとも、老人でさえも楽しいひと時を過ごしてるんだから・・・

私もビジネスパーソンの端くれとして、買ってくれた人にこんな顔してもらえるサービスや商品を創ってみたい。





2009年3月25日水曜日

分かりやすさの陥穽

私は仕事柄、プレゼンテーションをする機会が沢山あります。
そして自分でいうのも何なんですが、私が行うプレゼンテーションは
分かりやすくて、引き込まれて、やる気になるらしく、とても受けが良い。

もちろん、入社した頃から上手だったわけではありません。
最初は一文が長い、話がくどい、論旨不明瞭などと色々問題がありました。
仕事で一番初めに行ったプレゼンテーションなんかはアンケート評価でいくと
同期20名中、下から3番目くらいでしたし・・・。
そんな自分が今高い評価をもらえるようになったのは、ひとえに努力の賜物です。

努力の結果身についた、私の強みである「分かりやすい」プレゼンテーション術なのですが、
ここ1年くらい、この分かりやすさというやつが曲者であることについて考えを巡らせています。

なぜこんなことを考え始めたかというと、それにはあるきっかけがあります。
会社の重役相手にプレゼンをした時のことです。
いつものように高い評価をもらいました。
ですが、後から本部長に「お前の説明は分かりやすくて、熱がこもっていて、皆圧倒されるから駄目だ」
と言われてしまったのです。
私は本部長からこのような指摘をされて、すぐにピンときました。

つまりこういうことです。
私のプレゼンテーションは、伝えるべきことが明確で分かりやすく、丁寧で、熱意がある。
だから聞き手は、話を聞いていて非常に心地が良い。そして、聞き手が知りたいであろうことを、
プレゼンの中で落語的に一人でQ&Aをやったりするので、大抵、説明を聞き終えた人たちは満足してしまう。
まるで良質の落語でも聴いたあとのごとく・・・。

もちろん、プレゼンにより危機感を共有してもらったり、ある行動を促したりしているので
単なるプレゼン鑑賞で終わっているわけではないのですが、それでも聞いている人たちは満足してしまっている。
これが私のプレゼンが駄目だと言われた理由です。

今となっては良く分かります。
プレゼンテーションは相手に何かを伝えて、
特定の行動をとってもらうためのコミュニケーション手段なんですよね。
決して自分の話を聞いてもらい、話に満足してもらうためのものではありません。
仮に、自分がそのような意図がなかったとしても、相手が話し自体に満足しちゃって
特定の行動をとるための最善の状態になっていないのであれば、そのプレゼン自体、失敗です。
私は説明の分かりやすさを追求しているうちに、
プレゼン効果の最大化に頭が回らなくなっていたようです。

このブログをお読みになられている聡明な皆様は大丈夫ですか?
分かりやすさには罠がありますよ。
何かを説明する時、分かりやすさを追求しすぎていませんか?
極端なまでのわかりやすさというのは、往々にして物事の理解で終わってしまいがちです。
行動にまでつなげるには、分かりやすさだけでは駄目ですよ。


なんてかくと、だったらどうしたらいいんだ?って話になりますよね。
実際にどうやったら分かりやすい説明とプレゼン効果の最大化を実現できるのか。
私自身、この方法を自分の中でモノに出来ずにいました。
ですが、ここ最近、この問題の解決の糸口が見つかったような気がします。

書いてしまえば大したことはないのですが、その糸口は
説明としてもプレゼンテーションと対話としてのダイアローグのブレンドにあるような気がしています。

仮に、相手に対して、ある物事を伝え、納得してもらい、行動して欲しいとします。
自分が使える時間が60分あるとしましょう。
これまでの私は、50分を説明、10分をQAに割り当てていましたが、
最近では説明を30分、対話を30分行うように工夫しています。

結構、後半の「対話」がコミュニケーションを円滑にする糸口なのかなぁなんて思っています。
実際、一方的な説明の時間を短くし、逆に対話の時間を導入することで
相手がどのような知識レベル、価値観、考え、感情で自分の話を理解しているかが
よーーーくわかるようになりました。結果として、行動も早くなりました。

最近は、このプレゼン&ダイアローグのハイブリッドメソッドを極めるべく
色々と工夫をしているところであります。
そして、そもそも対話って何なんだろうとぼんやり思索にふけってたりもします。







2009年3月24日火曜日

漢字/白川静

皆さん白川静という名前をご存知ですか?
今日は日本人、さらには漢字文化圏に生まれた人間には是非とも読んでおいてほしい
白川静先生の『漢字』をご紹介したいと思います。

私が白川静という名前を知ったのは、2008年の5月でした。
尊敬する松岡正剛さんのWebサイト『セイゴオちゃんねる』にて
松岡正剛がNHKの知るを楽しむに出演し白川静を語る、
という情報を得たのがきっかけでした。

さっそくNHKのテキストを買ってきて、番組を見ようとしたのですが、
番組をすべて見逃してしまいました。
がっかりしていたのですが、YouTubeで検索したら全番組がUpされており
全4回分を一気に拝見しました。番組だけでは情報が十分ではなく、
その時の印象は「本格的な学者さんだなぁ」というレベルで、
本気で凄いとはまだ分かりませんでした。

そこで、本でも読んでみるかと思い、白川さんの名が売れるきっかけとなった
『漢字』を購入しに本屋に行ってみるも、全然見つからず・・・。
何せ、この本、初版が1970年の4月25日ですから相当古い。
見つからなくて当然か、とあきらめていました。
しかし、いつもいく本屋の新書コーナーをぶらついていたら
なんと2008年5月7日付けで『漢字』の32刷が販売されているではありませんか!!

これぞとばかりに購入し、家に帰ってすぐ読み出しました。
結果、”しくじった”と思いましたねー。
大学時代に出会えなかっことを恨めしく思えるほどの衝撃的な本でした。
これまで色んな本を読んできたつもりですが、読んで全身が震えた本は
そう多くありません。ですが、これはまさに全身が震えた一冊です!!
なんと言えば良いのか分かりませんが、漢字文化圏で生活している
我々の思考、文化のルーツを解明する魔法の鍵を手に入れた気分になりました。
できれば漢字を覚えるのを嫌がっていた小学生の自分に、
この本で語られている内容を教えてあげたかった。
それが可能であったのなら、漢字が持っている豊潤な世界に
少しでも早く浸れたであろうに・・・。

この本には、本当に衝撃的な話が沢山載っている。
この本を知らずに日本人でいるのは勿体なさ過ぎると思います。

この本と邂逅をきっかけに、私は白川漢字学の学徒となることに決めました。
前回のボーナスでは白川先生の著作を集められるだけ集めました。
いま、少しずつその贅沢な世界を堪能しているところです。

Conさん、まだこのブログを読んでくださってますか?
白川静とまだ出会っていないのであれば、是非、書物の中で出会ってください。
日本文化に対するものの見方や考え方に良い意味で大きな影響を受けるはずです。


『漢字』より、いくつか私が衝撃を受けた点を抜粋しておきます。
神話は、このようにしてつねに現実と重なり合うがゆえに、そこには時間がなかった。
語り部たちのもつ伝承は、過去を語ることを目的とするものではなく、いま、
かくあることの根拠として、それを示すためのものであった。
しかし古代王朝が成立して、王の権威が現実の秩序の根拠となり、
おうが現実の秩序者としての地位を占めるようになると、事情は異なってくる。
王の権威は、もとより神の媒介者としてのそれであったとしても、
権威を築きあげるには、その根拠となるべき事実の証明であった。


文字はもと神と交渉し、神をあらわすためのものであった。
そしてそれは同時に、神の代位者である王の権威の確立を、助けるものであった。


神話にささえられていた王朝の権威が、
現実の王の神聖性の上にその比重を移したとき、文字が必要とされたのであった。

このように、権力者としての王がその権力の正当性を証明するための手段として
創られたのが”文字”だったわけです。

中国では、人間性の最も完成された状態を”聖”という。

神の声を聞きうるものを、聖とよんで尊んだのである。

そもそも古代中国の王の由来は神の声を聞ける人物だったんです。

王が神聖とされるのは、必ずしもその権力に由来するものではない。
権力は、その神聖性の結果として生まれたのである。
王の神聖性は、王が神と人との媒介者として、
いわばその通路であったことにもとづいている。

王は自然の秩序を人間の生活に適応させるために、
神につかえるものとして選ばれた。
未開社会では、王はしばしば山腹の小屋に孤独な生活をして、
神に祈りをつづけ、もし自然がその秩序を失って、
大旱や大雨がつづくと、神意にかなわぬものとして殺されたり、追放されたりした。

そう。古代の王というのは基本的にはシャーマンなんですね。
本書では、このような王が神の声を聞き、その呪力を、そして
神の影響力を留めておくために創られたものが漢字であるということを
徹底的に紹介してくれます。一つ一つの漢字にこめられた意味を解読しながら・・・。

特にサイの発見は感動です。普段我々が使っている漢字が
実は神との交信を行うための文字だったことが分かります。
えっ、サイって何だって?
それは本書を読んでのお楽しみです。




2009年3月21日土曜日

ブログのご紹介『棚橋 弘季さんとの知的お稽古』

このブログのお気に入りに、新しくブログを追加しました。

棚橋弘季さんの『DESIGN IT! w/LOVE』です。

ここで紹介される書籍は、私が既に読んでいたり、興味を持っていたりするものが多く、
エントリーされる内容をに対して、私は勝手に知的お稽古だと思って空想対話をするようにしています。

将来的に、このブログも、棚橋さんのような知的レベルの高いものにしたいと思っています。
一度お会いしてみたい人でもあります。

近況

皆さん、こんにちは。

私にとって3月は内省の季節のようです。
いろんな外的刺激によって、己の能力のヘボさを痛感させられられます。
自分の能力を冷静に棚卸すると、
お金をつけて売れるものが殆どない(ゼロでもないけど)ことに気づきます。
「大したことねーな、自分」とちょっとガッカリします。
もうすぐ31歳になるのに、このレベルかと思うと少々情けなくもあります。

もちろん、世の中の大半の人はお金をつけて売れる能力なんてありません。
組織に雇われ、与えられたタスクをこなすことすら満足に出来ず、
常にヒィヒィしながら、影で愚痴をこぼしたりするのが大半です。
私もこのレベルですが、周りを見回すと、
40代、50代のオッサンがこのレベルだったりもします。
そういう意味では、そんなに自分にがっかりする必要はないのかもしれません。

しかし、自分の気持ちに素直になろうとすればするほど
「こんなレベルでは絶対に終わりたくない」という気持ちが浮かび上がってきます。
私は、己の成長が止まった状態に甘んじていられるほど自分に寛容ではないようです。
良くも悪くも、シーシュポス的な人生観に染まっているからでしょう。
もちろん、一生懸命あがいてみたところで、常に良い結果が出るとは限りません。
しかし、自分は取るに足らない能力ながらも、使える武器を総動員して自分の運命と戦った、
という納得は得られるはずです。
要は、自分が対峙しなければならない世界を、自分のうちに引き受けることが出来るわけです。
翻弄される自分から、立ち向かう自分へと立ち位置を転換できます。
少なくても私は、自分の人生を後者の立ち位置に置き続けたいと思っています。

だってねー、自分が大した努力もせず翻弄されて、
それに対して呪詛している人ほど醜い人はいないですよ。

そうならないためにも、これまで以上に自分は成長しないとなぁと思う今日この頃です。
そもそも成長し続けるためには、いい悪いは別にして、
成長するために何かを犠牲にしなければなりません。
睡眠時間、遊びに使うお金、犠牲にするものは人それぞれです。
そして、そこまでして成長したいという自分の中の欲望というか業(ごう)に向き合う必要があります。
これに向き合わない努力は、往々にして醜悪なものとなりがちです。

成長の前に己の欲望を見つめよ
論理の前に己の欲望を見つめよ
戦略の前に己の欲望を見つめよ

すべてはここから始まるのかなぁ、なんて最近ぼんやり思っている次第です。




2009年3月17日火曜日

映画『ランボー 最後の戦場』を観ました

DVDにて『ランボー 最後の戦場』を観ました。

一般的にランボーシリーズは、その名の響きもあり、
乱暴者の戦争ドンパチ映画として
捉えられている嫌いがあるが、それは誤解です。

私は、このランボーシリーズを、
戦争において国家から使い捨ての部品のように
扱われた兵士たちの悲しみ、そして
戦争という名の救いのない現実を表現した傑作だと
思っています。

1作目では、ベトナム帰還兵のランボーが
警察からいわれのないひどい扱いをされ
怒りの限界を超え、ドンパチを繰り広げる話でした。
しかし、最後の最後で単なるドンパチ映画を超えた
素晴らしい展開に持っていってくれた。
ラスト30分が1作目の本質でしょう。

2作目は、ベトナムにとらわれた捕虜を救うべく、敵地に赴くが、やはりここでも国に裏切られ、見捨てられ
孤軍奮闘する羽目に・・・。1作目同様に、全体としてはドンパチ系の戦争ドラマに見えるが、
ポイントはランボーが吐くラストの台詞。
「俺たちが国を愛したように、国も俺たちを愛してほしい」
ベトナム戦争という泥沼の戦いの中で、使い捨ての駒として捨てられた兵士たちの痛切な叫びが
1作目同様、2作目のテーマでもありました。

いわゆるベトナム戦争によるアメリカの傷をギューっと圧縮した作品だったわけです。

3作目は、戦場が変わってアフガンでした。
アフガンの戦士たちと協力し、ソ連と戦う映画でした。
個人的には一番メッセージ性が弱く、アクションドンパチ系だったかなと思った作品でした。

で、今回の4作目。
正直、まだやるのかよ、と思った作品でした。
しかし、前作のランボー3から20年たった今、スタローンは何ゆえまたランボーなんか撮影したのかに
興味がわき、DVDで観ることに。
観る前は、落ち目になったスタローンの小遣い稼ぎかと思っていたのですが、
良い意味で裏切られることに。

個人的にはシリーズ最高傑作です。場所はミャンマー。
虐殺する側とされる側が淡々とした事実として描かれています。
頭の数分は、ミャンマーで起こった事件の本当の映像を使っているようでした。
本当に衝撃的。人間ここまで狂えるのかを描きつくした、
これぞアクション映画ではない戦争映画といった感じです。
『ブラック・ホークダウン』以上に衝撃的でした。言葉を失います。

戦争は、人が人を殺すという残虐行為以外のなにものでもない。 
そんな戦争という行為、戦争が行われる戦場には愛や道徳、倫理など存在する余地がない。 
戦争には物語もドラマも無い。あるのは殺す側と殺される側の人間だけだ。

そこに登場する人間は家畜同然で、そいつらがひたすら殺しあうのが戦争だ。
そこから目をそむけるな。無価値のために生きるのか、価値のために死ぬのか腹をくくれ。

このようなメッセージを正面から投げかけてくる傑作です。
もう、ほんと死ぬシーンの連続です。それも非常なまでに残酷で、淡々としている。
でてくる人間には理性も何もありません。
おそらくこれが戦争なんでしょうね。



2009年3月16日月曜日

映画『パッセンジャーズ』を観ました

アン・ハサウェイ主演『パッセンジャーズ』を観てきました。
今年10本目にして、『ドラゴンボール EVOLUTION』に引けをとらない馬鹿映画でした。

アン・ハサウェイの白い肌くらいしか見所はないです。
でもねー、彼女の役もかなり馬鹿女役なので、観ていてイライラすんのよね。
で、あまりに頭にくるので、イラつく原因を冷静に考えたら、映画の結末がわかってしまった・・・。

今となってはありきたりの展開ですよ、この作品のオチは。
『シックス・センス』と『アザーズ』といえばお分かりかな?

2009年3月15日日曜日

映画『チェンジリング』を観ました

今年9本目となる作品が
アンジェリーナ・ジョリー主演、
クリント・イーストウッド監督作品の『チェンジリング』です。

この作品は良かった!!
素晴らしい作品です。
是非とも映画館でご覧あれ。

個人的には、主演を演じたアンジーに
アカデミー主演女優賞を贈りたい。
それほど、アンジーの演技は素晴らしかった。

話は1920年代の実話をベースに作られたものだそうです。
ある日、シングルマザーであるアンジーが仕事から自宅に帰ると、最愛の息子が行方不明になります。
数ヵ月後、警察により息子が見つかったと連絡を受け、実際にあってみるとそこにいるのは
見ず知らずの子供でした。この子は一体誰なのでしょう?本当の息子は何処にいったのでしょうか?
子を愛する母として当たり前の行動をとればとるほど、国家権力に楯突く狂人とみなされ
その行動を妨害されていく。挙句の果てには強制的に精神病院に収監されることに・・・。
横暴な国家権力の前でなすすべのない個人。
そんな理不尽な状況においても希望を失わず、勇気を持って行動する人たちが団結して
真相解明に乗り出していく・・・そして明かされる衝撃の結末。

クリント・イーストウッドは本当に良い作品を作りますね。
心のそこから敬意を表します。

彼の作品を振り返ると、アメリカの正統保守主義者としての真骨頂が見れます。
どの作品においても、その時代時代にながれる、うそ臭いとは分かっていても、
皆が抗えない何かに鋭く切り込んでいます。

映画『許されざるもの』では、偽善を振りまく権力者をいち市民の視点からメッタギリしていたし。
「売春婦を大事にしろ」という台詞がすべてを物語っていましたよね。

映画『ミリオダラー・ベイビー』は、エセ・ヒューマニズムに真っ向から切り込んでいった作品でした。
尊厳死というテーマを通して、時代を上手に切り取って見せてくれました。

そしてこの作品。
シングルマザー VS 国家権力。

夫のいないか弱いひとりの女という立場と、
最愛の息子のためなら命すらいとわないという強い母というアンビバレントな像を
上手く国家権力と対比させることで、より物事の本質を明確に浮き上がらせていました。
本当にクリント・イーストウッドは上手い!!
その思想は筋金入りだ。

あえてキーワードを2つに絞ると「勇気」と「希望」だろうか。

あなたなら、この作品から何を読み取りますか?
よかったらお教え願えませんか?


映画『ドラゴンボール EVOLUTION』を観ました

皆さん、こんばんわ。

前回のエントリーに書いたとおり、今週末は大いに馬鹿になろうと決意し、
行って来ましたよ!!実写版のドラゴンボールを観に!!

今年8本目の作品にして、上映30秒で失笑させて頂きました。
おなか一杯です。

はっきり言って観るに値しません。でも、どうしても観たいというのであれば、
もう、日本人が知っているドラゴンボールとは切り離して鑑賞した方がいいです。

実写の限界の前にストーリーそのものが限界です。

ピッコロの部下が実はゴクウ(大猿)だったり・・・
田村エリコが厚化粧かつブス過ぎていたり・・・
英語なのに「Ki(気)」とか「Ohzaru(大猿)」とかを連発していたり・・・
おまけに、続編がでそうな終わり方をしていたり・・・

鳥山明も失神寸前だったのではないか・・・。

私の中の赤い炎は、一瞬にして消えてなくなった・・・。
そういう意味では破壊力のあるスゴイ作品でした。

2009年3月14日土曜日

久しぶりのエントリー

みなさんこんにちは。

前回のエントリーが3月3日ですので、久しぶりのエントリーになります。
先々週は仕事がドタバタしていたのと、
先週は丸一週間、会社が企画した合宿形式のビジネス研修に参加していました。

この研修、場所は都会から外れた山の中で行われ、私のiPhoneは電波が圏外状態でした・・・。
周りにはお店も何にもなく、完全に隔離された状態でした。
ですので、ここ1週間、世の中で起きたことはまったくわかりません。

いわゆる浦島太郎です・・・。

研修の内容は、「会社の理念」に始まり「リーダーシップ」、「職場の改善プラン作成」、
それから「チームワーク」や「自己成長」と、これでもかというくらい考え、
議論し、発表させられる機会を得てきました。

研修を終えた正直な感想は、「もうあるべき姿や問題解決のための議論はウンザリ」です。
研修3日目くらいから吐き気けを覚えました。

なんといえばいいのでしょうか・・・。
自分であるべき姿を考え、明文化し、発表を行い、フィードバックをもらう。
これを隔離された場所で徹底的に繰り返し続けると、一種のマインドコントロール状態になります。
ただし、自分が自分に対してかけるマインドコントロールですが・・・自己催眠と言ってもいいかもしれません。

朝、8時30分から夕方18時過ぎまで、1週間近くこんなことをやっていると、
飯を食っている時も、就寝前に目をつぶっている時も頭の中は、
理想像→現状→ギャップ把握→課題抽出→施策立案→実行→監査
を考え始めてしまいます。

おそらく研修の狙いはこの思考方法の習慣づけなのでしょうが、
正直、四六時中こんなことを考えている自分にほとほとウンザリしちゃいました。

はっきり言って、私は「こんなに覚醒している自分」が好きじゃありません。
間違いなく、この状態で仕事に取り組めばこれまで以上の成果が出るに決まっています。
今まで以上に周りから信頼され、頼りにされ、評価もされるでしょう。
でも心のある部分から私に語りかけてくるもう一人の自分がいます。
「これはお前じゃないだろ」ってね。

そうなんですよ。こんなのウソッパチの自分なんです。
そもそも私は覚醒するような柄じゃない。
そんなのは外から影響を受けすぎた、取り繕った自分なのさ。

全然関係ありませんが、最近、仕事人としての更なる成長に向けて
MBAでもとろうかなぁとぼんやり考えていましたが、年中覚醒してなきゃならなそうなので、
今回の研修をきっかけにやめようと思いました(笑)。

私はですね、淡々と仕事に取り組みたいのですよ。
永遠に消えない青白い炎を内に宿しながらね。

自分が覚醒した時に出る真っ赤な炎は品がなくて嫌いだ。

ここまで書いてみて、よーーーく分かった。
私にとって、真っ赤な炎は本当の意味での覚醒ではないのだよ。
私にとって、これはいわば、焚きつけられた炎であり、下品な炎だ。

さーて、週末二日をかけて、この品のない炎を鎮火するとしますかね。





2009年3月3日火曜日

藤井清孝著『グローバル・マインド 超一流の思考原理』

皆さんこんばんわ

本を紹介するエントリーは久しぶりですね。
さて、本日は藤井清孝さんが上梓された
『グローバル・マインド 超一流の思考原理』を紹介しようと思います。

こんな書き方をすると、いかにも私が著者と面識でもあるかのように感じられるかもしれませんが、
面識は全然ありません。というより、この方、ビジネスの点では私にとって雲の上の存在です。

そのキャリアを簡単にまとめると・・・。
1957年、神戸生まれ
1981年、マッキンゼー入社
1986年、ハーバード大学経営大学院(MBA)卒業
同年、ファースト・ボストン投資銀行に勤務
1997年、ケイデンス・デザイン・システムズ日本法人社長就任
2000年、SAPジャパン代表取締役社長就任
2006年、ルイ・ヴィトン・ジャパンカンパニーCEO就任
2008年、ベタープレイス・ジャパン代表取締役社長兼アジアパシフィック代表

と、まぁいわゆるツワモノなわけです。
一体、同じ日本人であるにもかかわらず、世界の超一流企業でCEOを勤められる人間というのは
どのような考え方で人生を歩んできたのかが知りたくなって購入にいたった次第です。

さて、読んだ感想を一言でまとめるとすると「感服」のひとこと。
ウォールストリートのM&A会社、ERPパッケージの最強ベンダーSAP、
日本人がトチ狂う最強ブランドであるヴィトンでの経験を踏まえ
日本に対して、そして日本人に対して骨太な提案をいくつもされている。
さすが、世界を渡り歩く人間は器量が大きいなと、本当に感服しました。

キャリアについて述べている箇所では、
特にSAPジャパンの建て直しについての話が興味深かったです。

SAPはドイツの会社なのですが、世界においても日本においてもERPパッケージ分野のデファクトです。
そして、日本においてデファクトの地位を築いたのは
この人が土台をつくったからなんだなぁというのが分かりました。
非常ーーーーに戦略的です。

我々の作戦はまず業界トップ企業に売り込みをかけ、
その際にその業界独特のビジネス慣行で
不足しているソフトウェア機能の共同開発を提案する。
そしてトップ企業導入例と業界別ソリューションを武器に、
下位企業へ攻勢をかけ、上位10社全部のSAP化を目指すという具合だ。
一業種に参入企業の多い、日本の業界構造を逆手に取った戦略であった。
                                          (P125より)
そりゃー、横並びの好きな日本の企業ですもん。
「ライバルのA社が既に導入していて、効果をあげていますよ。お宅も同じSAPを導入しませんか?」
なんて言われればコロっといくだろうに・・・。ま、実際こんなバカな台詞は吐かないでしょうけど。


それ以外にも、色々と勉強になるところがあります。
たとえばこんなのがそうです。

私は、最初の六ヶ月は徹底的に半導体の技術を勉強した。
本社のエンジニアをつかまえて、
半導体設計プロセスの詳細の理解にも努めた。
マッキンゼーやハーバードで、土地勘のない産業でも
早く経営課題を抽出する訓練はかなり受けていたが、
深く技術に根ざした産業では、
かなりの技術的な基礎知識がないと、
自信を持って方向性を打ち出すことは不可能だ。
法学部出身の私にとってこれらは非常に困難な作業であったが、
六ヶ月くらい経つとようやくなんとなく
技術的な課題のポイントもわかるようになってきた。
                              (P96より)

これは海外企業のCEO全般に言えることらしいのですが、みな死ぬほど勉強して自社の業界動向や
技術動向を把握した上で、会社の方向性を決めているそうです。うちのボスが言っていました。
私がシリコンバレーで出遭ったCEOもそういうタイプでしたので、たぶん皆そうなのでしょう。
日本の社長さんたちはどうなのでしょう?太刀打ちできるのでしょうか・・・私が知る限りでは心もとないです。
S○○Yの経営陣なんて、以前、新ウォークマンのプレスリリースをした際に、堂々と自社製品を上下さかさまにして
記者の人たちにアピールしてましたからね・・・。


それから、わが意を得たり!!と共感したのがこういうところ

「会社は誰のものか」を議論しているのは日本人だけ
コーポレート・ガバナンスを論じるとき、
日本人は「いったい会社は誰のものか」という話をしたがるが、
こんな議論を延々としているのは世界でも日本人だけだ。
この議論が無意味なのは、その答えによって
現実的には何も変わらないし、
本当の答えは個々の会社によって微妙に違うからだ。
あえて言うと、答えは「株主のもの」である。
しかしそれは、「国の主権は誰にあるか」との質問に対しては、
「国民にある」としか答えようがないのとおなじである。
                               (P181より)
ですよね、ほんと。
これは社会人として普通に企業に勤めてみれば肌で感じることだ。議論するだけ意味がない。
よく評論家や大学の先生がこのテーマで本を1冊書いていたりするけど、まったく意味ないよ。
何か気に入らなければ、自分で会社作って理想を追求しなさい。ただそれだけ。
お客様からみても、そんなのどうでもいいはず。自分を満足させてくれるものを提供してくれというに違いない。
社員のものでなんかあるわけないし、経営者は企業を正しくカジ取りする人たちってだけでしょ。
だったらおのずと論理的な答えは「株主」ですよね。自営業とかになると話は別でしょうが・・・。


最後に、この本の中でなるほど!!と思った箇所について。

日本の強みは現場がしっかりしていること、
そしてそれに対して社会が大きな価値を置いていることであることを踏まえた上で以下のように述べている。

◆「現場尊重」と「現場至上主義」の違い

私の感じる「現場至上主義」の弊害は、
それがレバレッジの聞かない考えであることと、
大きな構図を変える際に現在に縛られた考え方に陥りやすい点である。
(P199より)

◆レバレッジの効かない「現場至上主義」

これは日本企業で現場を知る人が、現場を知らない人たちへ
説明責任があるという発想が乏しいことにも起因する。
(中略)
アメリカの構図では、現場で起こっていることを端的に抽象化し、
戦略決定ができるような情報にしたうえで、
それを役員に対してコミュニケーションを行うスキルが
大変重要になってくる。
                                        (P200より)

◆未来を語れない「現場至上主義」

資本が瞬時に国境を超える現代では、
資本は未来の成長を求めてグローバルに移動する。
そのときに投資家が一番見るのは、「将来のビジョン」と「業績予想」である。
昨年度の実績は参考程度にしかならない。
投資家は現場を見る立場にはいない。
彼らは「未来」を見ており、その際には経営者の
「未来を語る言葉」が大きな判断基準になるのである。
                                        (P203より)

当たり前ですが、現場が強くなくてはビジネスではお客様に信頼されません。
ですが現場でお客様から言われたことだけを一生懸命やっていたところで
自分たちのビジネスは飛翔しません。飛翔には現場に根ざした創造力が必要です。
著者が言いたいことはそういうことだと思います。


ここまで紹介した内容の他、色々と勉強になるところが多い本です。
興味をもった方は、是非、ご自身の目で確かめてみてください。


Amazonでお買い上げされる際は、こちらからどうぞ。



2009年3月1日日曜日

映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』を観ました












ことし7本目となる映画、ベンジャミン・バトン 数奇な人生』を観ました。

今年度のアカデミー賞において数多くの部門でノミネートされた作品ですし、
ストーリー自体も80歳の老人として生まれ、年をとるごとに若返っていく男を
描いているということから、とても楽しみにしていた映画です。

上映時間が約3時間という長編物語ですが、
時間をまったく感じさせない素晴らしい作品でした。
アカデミー賞にノミネートされるだけのことはあります。
間違いなく今年度観た傑作の一つです。
全然関係ありませんが、この作品を観ていて
『タイタニック』や『フォレスト・ガンプ』を観たときの懐かしい記憶が甦りました。

作品自体については、何も言うことがありません。
様々な思いが心をよぎりました。
お恥ずかしいことに、上映時間3時間のうち2時間近くは泣いていました。
何なんでしょうね・・・普通の人なら泣かないであろうシーンでも止め処もなく涙がでてきたんですよね。
両脇に女性がいてケロっとしているのに、自分だけ泣いているのは変な感じなのですが本当に泣けてきた。
アホくさいけれど、鑑賞後に泣き疲れた作品は久しぶりです。

何といいますか、これまで30年生きてきて、それなりに経験してきたことが、この作品の場面場面とリンクして
あらためて辛く、悲しく、壊れやすく、切ないけれども、いとおしいくかけがえのないものだということを
実感でもしたのかもしれません。
もしくは根源的に誰かと生きることの可能性に私の心が何かを感じたのかもしれません。
いずれにせよ、うまく言葉に出来ないけれども非常に大事なものを感じさせてくれる作品だったと思います。

ブラッド・ピットの若返りも非常に良かったです。
正直、特殊メークで単に若返っていくだけなのでアカデミー主演男優賞は無理だとおもいましたが、
それでもブラッドピットは美しかった。最後に20代前半くらいまで若返りますが、本当に美しい。
男の私で見とれるほどの美しさ。そりゃ、アンジーもガブっといきたくなるわな。

そして、私の大好きなケイト・ブランシェット。これも筆舌に尽くしがたい。
こういう柔らかさと品と知性を感じさせてくれる美しさは最近ではそうそうお目にかかれるものではありませんね。
ほんとうに息を呑むほど美しい。さすがに映画後半は老いてしまい、肉体的な美しさは無くなってしまいます。
けれども、ブラッド・ピットの若返りと対比してみていくと、その老いという事象さえも
人生というなの美しさの一つなのかなぁなんて思っちゃったりします。

映画は奥さんと見てきたのですが、帰り道に
「お互い仲良く年とれるっていうのは実は幸せなことかもしれないね」と奥さんに言ったら
「そういう台詞、似合わない」と一蹴されました・・・。


本当に綺麗で美しい、ケイト・ブランシェット。