2009年2月11日水曜日

人材育成という考え方の終焉(補足)

前回のエントリーで「もう人材育成という考え方は終わった」という話を書きました。
自分で自分のエントリーを読み返してみると、案の定支離滅裂、論理不整合であることを痛感します。

「でも、それでいいんだ。このエントリーは自分のこれからのアイディアを醸成するための
思いつきや直感の切れ端を書いたんだから・・・」と開き直ってみたりしてます。

しかし、過去の経験上、「昨日の自分は明日の他人」だったりすることが多いので、
後で読み返して、せめて何が言いたかったのかを思い出せるくらいに整理はしておきたいと思いました。

まず、私がであった凄い人たち(入社10年以上の人たち)は会社で活躍している人たちで、
各部門で一番キャッシュを稼いだり、お客様満足度を向上させたり、
尊敬を仰いでいたりする人たちだったということ。

そして、この人たちの行動様式、パーソナリティ、思想信条はある意味、会社が定義している人材像を
超えてしまっているということ。ある意味、会社の中で起業家的な側面をもっているということ。
これらの人々は、自らが何がしかの価値を創りたい、お客様に提供したい、喜んでもらいたい、
そのために必要な仕事や作業は苦にもならない、という人だ。
時として「スゲェ」とびっくりするようなアイディアや企画、商品やサービスを創ってしまう。
そしてそれがキャッシュだったり、お客様の満足度向上につながったりする。
これが私が見た「活躍する人材」→起業家気質をもったビジネスパーソンである。
私から見えれば、自分が考えた山道を一人険しく登りつづける修行僧のようだ。

こういう人材像が企業が求める人として定義されていることは、私が知る限りほとんどない。
※ある中小企業の社長さんが、こういう人材像を定義しているのを本で読んだことはある。

それはそうだ。会社が求める人材像に「起業家」もしくは「修行僧」なんて書いてあることなんて滅多にない。
大抵、起業が掲げる人材像というのは、「率先して○○出来るひと」、「お客様を中心に○○を考えられる人」
なんていうのが多かったりする。
普通は、求められる人材像になるのも大変である。かなりの自己訓練と成長を要求される。
しかし、率先して○○できるようになるのも大事だけれど、やっぱり活躍するのは
先にあげたような人たちなのではないかと思う。

「○○できるようになる」というのは○○の構成要素としてA、B、Cなどのように比較的簡単に分解可能です。
よって、Aを身につけるために△△の指導をしようなどという話ができるわけです。
こういう発想が私が前回のエントリーで書いた(?)人材育成という考え方です。
もちろんこういう発想に基づく指導というのも、会社の若手にはまだまだ有効でしょう。というより必ず必要です。

しかし、会社を継続させるために絶対に必要な「活躍する人材」に対しては、もう育成という考え方での
一方的な指導はなりたちません。これが私が人材育成という考え方が終わったと思った次第です。
育成という言葉は「そだてて」「なる」という言葉の組み合わせですよね?

直観として、私は育てることが出来るのは活躍する人材の一歩手前の人材だと信じています。
そっからさきは「育てる」を超えた考え方で人材をサポートするしか手がないと思う。

会社はこういう人たちに対してはーダーシップと合わせてプロデューサーシップを発揮し、
色々サポートをしながら社内企業家としての彼らを
徹底的にサポートする仕組みを作る必要があると強く思いました。

すこしは整理できたかな?







0 件のコメント: