2009年2月26日木曜日

あなたは一体どんなタイプ?

皆さん、こんばんわ。

最近、ビジネスっぽいネタが多くなってきていることを反省して、
軽めのくだらないエントリーをお一つ・・・。

題して、あなたは一体どんなタイプ?
以下のサイトで皆さんご自身の説明書を手に入れてみてください。


これは2008年のベストセラーとなった『○型 自分の説明書』という本の内容を基にした
Web診断サイトです。

さーて、あなたは一体どんなタイプ?

ちなみに私は・・・当たってんだか、外れてんだか。

成果をあげるための問いかけ

皆さん、こんばんわ。

今日は24時くらいに自宅に帰ってきました。
明日は5時におきて、6時半には会社に行かなければなりませんので、
あまりブログに時間はかけられませんが、一言だけ・・・。

亡くなったP.F.ドラッカーの最新著作『経営者に贈る5つの質問』を読んだ感想を書き留めておきます。

この書籍自体、非常に薄っぺらい(全100ページくらい)のですぐ読めてしまうのですが、
ここで提示される質問は質問自体は至極常識的でシンプルなものです。
しかし、いざ真剣に答えるとなると、そう簡単ではありません。

私はこれまで企業研修の講師という仕事をやってきましたが、
受講生に本質を考えてもらう際に、質問がシンプルであればあるほど、
回答が難しくなるということを経験しました。

なぜ質問がシンプルだと答えるのが難しいか。
私見では、本質を突くシンプルな質問ほど、問いかけられた人間に偽りを許さないからだと思っています。
要は質問をはぐらかして、逃げることが出来ないんですね。

さて、本質の泰斗であるドラッカーさんは、
皆さんに対して成果をあげるために、どのような質問を贈ってくれたのか・・・。
皆さんなら、この質問にどう答えますか?

質問1 :われわれのミッションは何か?
質問2 :われわれの顧客は誰か?
質問3 :顧客にとっての価値は何か?
質問4 :われわれにとっての成果は何か?
質問5 :われわれの計画は何か?

個人的に、おまけでとして2つ質問を追加します。

質問6:あなたは昨日、計画実行のためにどんな「行動」をしましたか?
質問7 :あなたは今日、計画実行のためにどんな「行動」をしますか?




2009年2月24日火曜日

あなたにとって一番効率の良い勉強方法とは?

いつの時代もそうだと思いますが、人は年をとればとるほど、立場が高くなればなるほど
勉強し、成長しなくてはいけません。
与えられる権限と求められる責任が徐々に大きくなるからです。

私は個人的に、組織において一人でも部下を持つ以上、
勉強をやめる、もしくは己の成長を止めるというのは許されないと思っています。
そりゃ、人生浮き沈みがありますので本人に成長の実感がない場合だってあります。
しかし、そんなときでも自己研鑽や勉強は怠ってはいけないと思っています。

一般的に上司は部下を選べますが、部下は上司を選べません。
上司を選ぶことが出来ない部下が、仮に自分の配下に所属すことになるとしましょう。
この時、私が彼らにしてやれることは何か?
私は、求められる成果に向けて、彼、彼女たちの才能を最大限に引き出してあげること、だと思っています。
これをきちんとやり抜くことが上に立つ人間が持つべき最低限のマナーだと自分に言い聞かせています。
よって、先にあげたように、常に勉強し、成長を止めないことが仕事における私の倫理なのです。

とはいっても、年とともに勉強しなければいけない、知っておかなければならない知識領域は広まるばかりです。
おまけにある領域の内容を情報として頭に記憶しているだけでは意味がなく、それらを有機的に編集し
必要に応じて知識に変換しなければなりません。本気でやろうとすると結構大変です。

そのためには、自分なりに一番効率の良い学習法、勉強法を体得しておく必要があります。
これは個々人が自分に一番合った方法を見つけるしかありません。
いわゆるノウハウ本なんかを読んでも、参考にしかならず、最後は自分でやってみて、自分に合う方法に
カスタマイズしたり、自分オリジナルの方法を体得したりするしかありません。
はっきり言って、知的生産の手法というのはそれ自体が個人の知覚パターンに根ざしたものなので
多分に暗黙的な要素を含むはずです。
要は、個人の趣向や肉体的な知覚パターンといった文脈に、
ある程度依存するというのが知的生産の手法であると。

それを、文脈をそぎ落として、ノウハウだけに蒸留したものをノウハウ本として売っていたりするわけですので、
買うほうは十分気をつけなければなりません。
往々にして、この手の著者は自分の知覚パターンなどの文脈をその著で明らかにしないことが殆どです。
だから、私はこの手の本を読んでいると馬鹿馬鹿しくなってやめてしまうわけです(苦笑)。

ですから、このブログを間違って読んでしまった皆さんは、「○○力」とか「生産性が××倍アップする~」といった
本を買う前に、徹底的に自分の知覚パターンの把握に努めるようにしてください。
勉強法とかノウハウ本を買うのはその後で十分ですので・・・。

ちなみに、このブログ著者の一番効率の良い勉強方法は何かというと、
「調べた内容を他人に説明する」ことであると最近明確に理解できました。

一番ベストなのは、学んだ内容を簡単な絵にしたうえで、
誰か相手の前で何がしかの学習結果を説明し、その反応を見ることです。
特にホワイトボードに版書しながら説明するときは、自分の思考スピードがいつもの2~3倍になります。
次に良いのが、ヒトリゴトでもかまわないので声に出して学んだ内容を体系立てて説明することです。
私の場合、相手がいなくても自分でしゃべっているうちに、自分の声に刺激されて自分の脳が回転しだすようです。

そして個人的に一番効率悪いのが、学んだ内容をしゃべりもせず、ひたすら文章として書くことです。
これはブログについてもいえるのですが、なんというか書いててじれったくなりますね。
「俺の思念が勝手に文字になればいいのに!!」なんて思ってしまい、しまいには書くことにあき始めて
最後まで続かなかったりします。過去のブログを読み返しても、比較的ましかなと思えるエントリーは
会社で誰かと話した内容が多いです。それに引き換え、純粋にブログにつづる内容はだめですね。
バテバテなのが良く分かります。これはあくまで私の場合ですけどね。

皆さんも、自分の勉強癖を知るところからはじめてみませんか?



ブログのご紹介:MAJIBIJI世代のための政治リテラシー講座

皆さん、こんばんわ。

皆さん、既にご存知かもしれませんが、本日は新しいブログのご紹介をしようと思います。
それが、本エントリーのタイトルにもある『MAJIBIJI世代のための政治リテラシー講座』です。
ちなみに、本ブログのお気に入りにも追加しておきました。

私自身、これまで古典的な政治思想の本を読んできたつもりではいましたが、
現実の国際政治、ひいては日本の政治の仕組みすらろくに知らずにいました。
贔屓にしている政治評論家の方の話は理解できても、そもそもの政治リテラシーがお寒い状態なわけです。
政治リテラシーという意味では、おそらく知識レベルは中学校の教科書程度なのではないかと思います。

勉強しないとまずいよなぁ、とは思いつつも勉強したところで、選挙のときに1票入れるくらいにしか
実務では役立たないから後回し・・・と思って10年が経とうとしています。

でもやっぱり、最低限の政治リテラシーは知ってないと恥ずかしいと最近つよく思うようになりました。
なぜなら、政治リテラシーをもっていないと色々と騙されたり、ごまかされたりするからです。

どうやって騙されたり、ごまかされたりするか知りたいですか?

であれば、先に提示したブログを第1回からすべて読むことです。
そして自分の頭で考えることです。
私自身、昨年末から、ずーっと読んでいて、分からないところは別途書籍などで知識を補ってきました。
ほんと、自分の無知を反省しっぱなしです。

特に、第54回から第60回の記事をきっかけに、
色々と調べていくと今後の日本は明るい話が何もないように感じてしまいます。
一つ一つの話については、色々議論の余地はあるのでしょうが、
基本的にデータをベースとした話ですので、説得力は高いと思います。
日本のテレビに出てくるおじさんたちは、この辺のデータを踏まえずに好き勝手なことを
非論理的にのたまわってたりするのでやるせなくなります。

昨年、アメリカ・シリコンバレーに行って打ちひしがれた感覚が甦ってきました。

私のいるIT業界なんかが特にそうですが、
もう国内でスモールハッピネスを追求してればそれでよい時代ではないのですよ。

数回前のドラッカーの引用にも出てきましたが、卓越性の追及なきところにビジネスはない、ということを
最近特に身に沁みて感じています・・・。


ちょっと話がそれちゃいましたが、最後に、上記ブログの補足資料として
分かりやすい参考書を提示しておきます。



2009年2月23日月曜日

一生懸命

職場において一生懸命に働く人間の寓話。


Aさん「よーし、今日も頑張って働こうっと。先輩、今日もよろしくお願いします」

Bさん「Aさん、いつも頑張ってますよね。ところでAさん。きょうも残業する予定ですか?」

Aさん「はい。そのつもりです。わたしは人より仕事に時間が掛かるので、残業してでも終わらせないと!!
    Bさんはさすが先輩だけあって、要領が良くて仕事が速いですよね。
    私も早くBさんのようになって定時で上がれるようになりたいです。」

Bさん「あのね、Aさん。あなたが頑張ってやった仕事、実はあなたが帰った後に、全部私が修正しているんですよ。
    ですから、お願いですのでさっさと仕事をして定時で帰ってください」



皆さん、この寓話を読んで、どうお感じになられますか?
私から皆さんに質問。

①あなたがAさんだったらどうしますか。

②あなたがBさんだったらAさんになんといいますか。

③Aさんが新人だとします。Bさんは30歳です。あなたはこの文脈からどのような印象をうけますか。

④Aさんが45歳だとします。Bさんは30歳です。あなたはこの文脈からどのような印象をうけますか。



Garden Cressという名の贅沢

皆さん、こんばんわ。

先週の金曜から日曜にかけて、新潟県越後湯沢にある岩原スキー場へ旅行に行ってきました。
朝の7時に東京を出発し、ゲレンデ内、かつリフトの目の前にあるペンション「Garden Cress」に9時に到着。
2泊3日、思う存分に滑ろうと意気込んでいったはいいものの、ゲレンデはあいにくの雨(泣)。
いきなり出鼻を挫かれました。すべろうかどうかと迷っていたら、ペンションのオーナーが午前中から
チェックインさせてくれたため、とりあえず午前中は様子見ということで、部屋で爆睡することに・・・zzzzz。

13時に目を覚まし、恐る恐る部屋のカーテンを開けてみたら、なんと・・・激しい雨と風。
初日にすべるのはあきらめて、Garden Cressでランチを取ろうと思ったらなんと
「今日はお休み」とのこと。ガーーーーーーーーーーーン。

どうしようもないので、奥さんと二人で傘をさし、岩原で滅茶苦茶有名なレストランらしい
「ピッツェリア ラ・ロカンダ・デル・ピットーレ岩原」へピザを食べに行きました。
Garden Cressのオーナーが教えてくれたのです。

ピザとパスタとデザート&飲み物で合計7千円くらい掛かりました。
前評判として、滅茶苦茶旨いと聞いており、ドンだけ旨いんだろうと期待していたのですが、
残念ながら期待の範囲内でした。個人的には1回食べれば十分です。

食事を終え、ペンションに戻り、正直な感想をオーナーに伝えたところ、ディナーに腕を振るってくれるとのこと!!
ディナーが始まる18時までは露天風呂(貸切にしてくれた!!)に入り、部屋で静かに読書にふけりました。

でね。ここの露天風呂ってーのが、また良いのなんのって・・・。
こんな感じ。どうよ?


あいにくの雨ではありましたが、岩原高原を一望できるこの露天風呂はなにものにも代えることは出来ません。
素晴らしいの一言!!

そして、楽しみのディナー。
私は、かれこれ3シーズンほどこのGarden Cressに通い続けているのですが、
ここの素晴らしさはなんといっても食事の美味さにあります。ホントに美味い。
下手なレストランでたべる何千倍も美味いのです。

前菜から食後のデザートまでほんと完璧でした。
本当に贅沢なひと時です。

ほんとは、食事の写真でも掲載すればよいのでしょうが、私は本当に美味い食事を
写真でパシャパシャやるのは品のない人間の所業だと思っているので写真は撮らずじまいです。
本当に美味しい食事は、出てきた先から親の敵くらいの勢いで食べるのがよろしいのです。
それが作ってくれた人への礼儀です。
本当かと思うのであれば、一度、レストランのオーナーにでも聞いてみることをお勧めします。
※よほど気心知れた関係にならないと、本音はしゃべってくれないでしょうけど・・・。

さて、その後はというと・・・。
初日の夜に大雪が降り、明け方には積雪20センチくらいのパウダースノー!!
2日目以降はコンディションに恵まれ、夫婦ともども旅行を満喫した次第です。

2日目、3日目はGarden Cressでランチもやっていて、ほんと言うことなし。
ここはディナーだけじゃなく、ランチもかなぁーーーーーーーーり美味い。
毎年何を食べるか迷うんですよね、あらゆる料理が美味しすぎて。
今回は2日間のランチで、カルビ丼、特製ラーメン×2、カレーうどん、ピザを注文しました。
やっぱり美味かった・・・。

ボードも良かったけれど、一番満足したのはGarden Cressそのものです。
食事もさることながら、ここのオーナー夫妻、スタッフさんも素敵な人たちなんですね。
ほんと素晴らしいところです。

Garden Cressのオーナー夫妻、次もよろしくお願いしますね。

最後にいくつか写真を紹介して終わります。



◆Garden Cressを正面から撮影したものです。
 おしゃれな概観ですよねー。
 部屋自体は普通のペンションですが、やっぱり
 
ポイントは食事と露天風呂!!

◆ペンションのすぐ隣

◆ペンションの正面はこんな感じ。
 ペンションでて左手に少し歩くとすぐリフトがあります。
 ほんと、立地は最高。

◆岩原ゲレンデ中腹からの写真。

◆岩原ゲレンデ中腹からの写真。

◆岩原ゲレンデ中腹からの写真。

2009年2月19日木曜日

TOEICの受験結果

2009年度の目標として私が掲げるものの一つに「TOEIC800点取得!!」があります。

本当は、2008年度の目標が800点取得だったのですが、1年延長しました。
入社したときのTOIECスコアが約700点だったので、少し勉強すれば800点は軽い!!
と高をくくっていたのですが、いざ力試しと2008年の7月に7年ぶりに受験してみたところ、
結果が550点!! なんじゃこりゃ?とあわてて目標を修正した次第です。

そりゃそうだよな。英語については会社に入ってからまともに勉強などしなかったんだから・・・。
我愚也

さて、そんな感じで目標を修正し、今年1回目に受けたのがつい先日。
その結果はというと・・・85点Upの635点でした。あーよかった、600点切らなくて。

で、問題なのは08年の7月から09年の2月までの約半年。
何か特別な勉強をしたかというと、これがゼロなんですねー。
やったことといえば。試験前に深呼吸をしたことと、試験中、目に力を入れたことくらい(笑)。

我ながら己に自決を促したくなる・・・。次はちゃんと勉強して730点くらいをターゲットにしてみようかな。

映画『チェ28歳の革命』『チェ39歳別れの手紙』を観ました

私の中に3人目となる「不条理な英雄」ができた。
その名をチェ・ゲバラという。

哲学者サルトルが
「20世紀で最も完璧な人間」と称し、
ジョンレノンが
「世界で一番格好良い男」と称した人物だそうだ。
世界が認めたカリスマとも言われている。


こないだ会社の取締役と話したときも、「俺が大学生だったころは、みながあこがれた」と言っていた。

でも、その理由が私には分からなかった。
当然である。ゲバラが生きていたのは1927年から1967年で、
私がうまれた1978年にはもう死んでいたのだから。

私は知りたかった。ゲバラが何ゆえカリスマたるのかを。
この作品を観ることで、私なりの答えを見つけたいと思った。
この作品は全2部作なのだが、1月31日にPartⅠを観て(4本目)、
ようやく今日、PartⅡ(6本目)を見ることが出来た。

正直、PartⅠを見た限りでは、ゲバラのゲバラたるゆえんが良く分からなかったのだが、
今日見たPartⅡにより、私なりにゲバラの魅力を理解することが出来た。
おそらく、他の人とは意見が異なるであろう。カリスマとも関係ないかもしれない。
ゲバラが私にとって最高に魅力的人間である理由。
それはゲバラが「不条理な英雄」の精神を持っていた人物だからだ。

ゲバラと言う非常に魅力的な人物を熱演しきった、主演のベニチオ・デルトロと
映画としてゲバラを完成させた監督のステーヴン・ソダーバーグに最大の賛辞を送りたい。
ほんとうにこの映画の完成度は高かった。私の中では今年度最高となるだろう。


チェ・ゲバラ 31歳のときの写真。私と同い年だよ!!
ゲバラについては、ウィキペディアに詳しい説明がある。


2009年2月17日火曜日

プロフェッショナルの条件 ~本質の泰斗:ドラッカー~

今、本屋さんに行くと必ずといっていいほど、
ビジネス書のコーナーがあります。そこには数多くの成功本とでも
よべるような、ビジネスのノウハウが掲載されたものが
置いてあります。
その数ときたら、あきれかえるほどです。

もっとびっくりするのが、それらの本の中から
ベストセラーが沢山生まれているということです。
きっと皆さん、成功したいんでしょうね。

私もたまにではありますが、そういった成功本を
手に取るときがあります。
仕事柄、読んでいないと会話に混ざれなかったりすることが
あったりするので、お金に余裕があって、かつ自分のテンションが
最低の時に限って読むようにしています。

私にとって、成功本の一番の効用とは、
読んでいると次第に読んでいること事態が馬鹿らしくなり
さっさと気分を切り替えて違うことしよう、と思えることです。


私は、いわゆる成功本やノウハウ本を読むこと自体、それはそれでいいことだと思います。
でも、この類の本は実行してナンボの世界です。そして、残念なことに大半の人は読んで終わりです。
私はもっとひどく、読んでて馬鹿らしくなって終わりですが・・・。

よく、ブログで成功本について大量のエントリーをしている方を見かけますが、
正直「おやめになったらいかがですか?」とアドバイスをしたくなります。
そんなことをするより、どれか1冊を読んで、自分のアクションプランを作成し、毎日、毎週、毎月の単位で
実行結果をモニタリングして、期待値と実績を比較し、その結果をブログにエントリーしたほうが
よっぽどあなた自身の成長につながるだろうに、と思うのですが・・・。
ちなみに、アドバイスをするもなにも、私自身そういうサイトに二度と訪問しないのですが・・・。

前置きはこのくらいにして、そろそろ本題に入りましょう。

今日は、私が大学時代からずーーーーっと読み続けている1冊の書籍をご紹介しようと思います。
それが、ピーター・F・ドラッカー著『プロフェッショナルの条件』です。
ドラッカーの著作は沢山あり、私自身、その殆どに目を通しています。どれもが素晴らしい。
しかし、ドラッカーの著作の中で、この本ほど回数を読んだものはありません。

ドラッカーは不思議です。社会人になってからは読めば読むほど影響をうけるようになるのですから。
社会人の観点で読んだ書物のうち、この本以上に学べて、かつ自分の生活を振り返させられた本はありません。

ドラッカーのいいところというか、凄いところは本質の泰斗だということ。
平易な言葉で、物事の本質を射抜ききるということは、本人によほどの力量がないと出来ないことです。
もちろん、ところどころ「論理的に飛躍かな?」と疑問を呈したくなるところもあります。
意見が合わないところもあります。
でも、一番学べるんです。
特に社会人としての実体験が増えれば増えるほど、そこに書いている言葉の威力がわかります。
だから、私自身、読めば読むほど影響をうけるのでしょうね。

さて、最後にこの本からいくつかのフレーズを引用して終わりにしたいと思います。

この本のPart5は「自己実現への挑戦」と題されているのですが、
その第3章に「何によって憶えられたいか」という話が掲載されています。


◆自らの成長のためにもっとも優先すべきは、卓越性の追及である。そこから充実と自信が生まれる。

◆能力がなくては、優れた仕事はありえず、人としての成長もありえない。

◆自らの成長に責任を持つものは、その人自信であって上司ではない。
  誰もが自らに対し、「組織と自らを成長させるためには何に集中すべきか」を問わなければならない。

◆今日でも私は、この「何によって憶えられたいか」を自らに問い続けている。
  これは、自らの成長を促す問いである。なぜならば、自らを異なる人物、
  そうなりうる人物として見るよう仕向けられるからである。
  運のよい人は、フリーグラー牧師のような導き手によって、この問いを人生の早い時期に
  問いかけてもらい、一生を通じて自らに問い続けていくことができる。


conさん
周りが楽しそうにしている中で、自分の道をひた歩むのは孤独なことですよね。
努力の先に待っているのが、かならずしも自分の意図した結果とは限らないかもしれないという
漠然とした不安もあるかと思います。というより、私の場合は多々ありました。
ちなみに私の大学時代(9年前)は意気込んでトライした資格の類は軒並み全滅し、
自分ではどうでもいいと思っているものについてのみ最良の結果が得られるという喜悲劇的なものでした。
友人たちからも「オメー、いったいどうなってんのよ?」と笑われたりもしました。
ですが、今となっては報われない努力こそが自分の力になっているのを実感していたりします。

いずれにせよ、conさんが色々考えながら自分の道を歩んでいるという事実、これだけでも
どこかに励まされる人がいるんじゃないですかね?いまはいなくても、そういう行動が出来るconさんに
勇気付けられる人たちがいずれ出てくるはずです。これは体験的に100%といっていいくらい。
面白いことに、社会人となって仕事をし始めると、気付くと似たような人が周りによってきたりするものです。
ですので、是非とも頑張ってくださいね。

このブログが多少なりともconさんのお役に立てることを願って、このエントリーを終えます。


不条理な英雄 ~シーシュポスとキリスト~

私にもしヒーローというものがいるのであれば、この二人をおいて他には考えられないという人物がいます。
それがシーシュポスとキリストです。

ここでいうシーシュポスとはアルベール・カミュがその著『シーシュポスの神話』で描いたシーシュポスであり、
キリストとは皆さんご存知の新約聖書にでてくるイエス・キリストです。

キリストなんて書くと誤解があるかもしれませんので、
少し補足をしておきますが、私はクリスチャンではありません。

母がクリスチャンで、高校生くらいまでは嫌々教会にも行ってたりしましたが、
どうしてもキリスト教のイエスに対する解釈が納得いかず、クリスチャンにはなれずじまいでした(笑)。

強欲な人間が寄ってたかって死刑にしておいて、挙句の果てには救世主だなんていっている宗教を
私はとてもじゃないけど信じる気にはなれません。
馬鹿も休み休み言え、と高校時代に牧師に言ったら本気で怒られました・・・。

三位一体だとか、救世主だとか、そういう像としてのイエスは信じませんが、
私は個人的にイエス・キリストという人物が好きです。
とくに、自分の死を前にして「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」というところが。
これは「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか?」という意味で、
絶望に打ちひしがれている様がとても人間らしくていとおしい。
しかし、最後は「神よ、彼らを御赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」といって死んでいく。
自分は救世主だと思ってやってきたはいいけど、洗礼ヨハネにも裏切られ、ユダにも裏切られ、
一番弟子のペテロにも裏切られ、挙句の果てには頼みの神には沈黙され絶望に打ちひしがれる男。
母からは「洗礼によってお前を身ごもったのよ。あなたは神の使いとして働くの」なんて言われて育ったろうに・・・。
洗礼ヨハネにも救世主と言われたのに、何だったんだろう俺の人生・・・まさに不条理。
しかし最後の最後で「すべてよし」と己の立場、人生を引き受けて旅立っていった男。
これこそ私の関心をそそるイエス・キリストなのです。

同じように、関心をそそるのがシーシュポスなのです。

私の思考に原点があるとすれば、まさにこの二人としか考えられません。

この二人には「不条理な英雄」の匂いがします。
もちろん、文学的にも哲学的にもシーシュポスとキリストに接点なんてないのかもしれません。
でもそれでいいのです。これは私の英雄なのですから。

神々がシーシュポスに課した刑罰は、無益で希望のない労働。
そう、休みなく岩を転がして、ある山の頂まで運びあげるというもの。
しかし、ひとたび山頂にまで達すると、岩はそれ自体の重さでいつも麓に転がり落ちてしまう・・・。

永遠に終わらない労働。報われることのない努力を目の前にして、皆さんはどのような行動をとるでしょうか。
シーシュポスはこの労働を決してやめません。やめれないんじゃなくて、やめないんです。
そして、一番重要なのが「やめないという判断」をする瞬間、そう山頂から麓に岩が転げ落ちた後、
麓まで戻っていくこの瞬間こそが重要なのです。この時、シューシポスは意識に目覚めているのです。
自分の悲惨なありさまを隅々まで知っているわけです。
下山の間、これまでの苦労、これからの苦労などをずーっと考えているわけです。
そして最後に、自分の状態を侮蔑します。

どれだけ苦しい試練を受けようとも、私は私を侮蔑する。私は自分に対して決して同情はしない。
私は私に起こりうる状態を全て認識することができる。そしてこう言おう。すべてよし、と。

人はいつも、繰り返し繰り返し、自分の重荷を見出します。しかしシーシュポスは、すべてよしと言います。
この言葉は、運命を人間のなすべき事柄へ、人間たちの間で解決すべき事柄へと変える力を持ちます。
シーシュポスは、神々の刑罰を否定し、岩を持ち上げること以上に高い次元の忠実さを我々に教えてくれる。

「頂上をめがける闘争」
そのために起こりうる全てを自分は引き受ける。
この覚悟だけで、私の心を満たすには十分です。

私にとってイエス・キリストも同じ。
これまで様々な奇跡で人を救ってあげたにもかかわらず、その見返りが死であるとは・・・。
呪詛の一つも吐きたくなるでしょう。しかしイエスも最後は「すべてよし」といって死んでいった。
自分に起こりうる死すらも、認識の射程にとらえ、それまで含めて
「すべて引き受けよう、わが宿命。ならば許してみせよう、みなの咎を。我は主イエス・キリストなり」

自分の運命を侮蔑しきったイエス・キリスト、そしてシーシュポス。
この精神こそが、報われぬ状況にあったとしても、どんな状況でも私の精神を奮い立たせるのだ。




2009年2月15日日曜日

戦略 -ストラテジー -

あるところに、若者と老人がいました。
老人は町の人々から、大戦略家と褒め称えられていました。
老人が若いときに行った数々の戦略的な事業が、この町に長い繁栄をもたらしたからです。

若者「先生、是非わたしに戦略について教えてください」

老人「ほぉ、おぬしはワシを先生と呼び、戦略を教えてくれと言うか」

若者「はい。私も将来は先生のようになりたいのです。ですから私に戦略について教えてください」

老人「教えることを厭うわけではないが、ワシは戦略なんて知らんよ」

若者「ですが先生。先生は大戦略家と町の人から呼ばれているではありませんか」

老人「あれは町の人が勝手にワシのことをそう呼んでいるに過ぎん。ワシはただのジジイじゃよ」

若者「・・・そうですか」

老人「まぁ、そんなに気を落とすでない。ワシは戦略については教えることは出来んが、
    なぜワシがこのような行動を取ってきたかは話してやれるじゃろう」

若者「是非、お願いします」

老人「まず、聞くがの。おぬしは他の人々と同じであることを望むかね」

若者「仲間はずれになりたいとは思いませんが、みなから一目置かれたり、必要とされたいです」

老人「ほほぅ。じゃぁ、もう一つ聞くが、そなたは何によって知られたいかね」

若者「漠然としていて分かりませんが、戦略によってしられたいです」

老人「おぬしは少々誤解しておるようじゃのぅ。戦略は結果なのだよ」

老人「ワシが幼いころ、この町はまだ貧しくてのぉ。食べるものも十分になく、
   病気になってもかかる医者がいなかったのじゃ。
   やさしかった母と聡明な兄を病気で失ったとき、わしは誓った。
   この町からなんとしてでも貧困をなくしてやると。
   ワシはひたすら考えた。今の自分に出来ることを。ワシの目的はこの町を裕福にすることじゃったからの。
   今の自分に出来ることが、町の裕福さとつながるよう工夫をしながらせっせと勉強と仕事に励んだんじゃ。
   失敗もしたが、一つ一つの仕事が実を結び、小さいながらも町を裕福にする仕組みがいくつか生まれ始めた。
   今の町はその積み上げじゃのぉ。いわばワシの復讐の結晶じゃよ」

若者「・・・」

老人「よいか、若者よ。もともと生存と生活の繁栄が所与とされるのであれば、こんな行動はいらなんだ。」

若者「・・・」

老人「今はこんなに平和になったのだから、おぬしはこんな動機でうごいてはいかんのぉ。
    ただのぉ。ひとはいつの時代も、認知に対する飽くなき欲求を持つものじゃ。
    どうせ認めてもらえるなら、人の役に立った人物として認めてもらいたいじゃろ。
    そのために今の自分に何が出来るか、なにをやるべきか、
    誰に対してどのような貢献の連鎖を創ればよいか、とことん考えることじゃな。
    人はのぉ、自らが自らに求めるものが少ないと、成長しないもんじゃよ。
    先に言ったことを忘れず、目的の達成に向けて、意識的に今の自分の成果、来年の自分の成果を
    積み上げていくようにすれば、おぬしが老人になるころには何がしかの巨人にまで成長しているであろう。
    よいか、間違えるのではないぞ。
    戦略というものがあるとすれば、それはおぬしが真に達成したい目的や、真に実現したい欲望からおのずと
    行動として要請されるものなのじゃ。目的や欲望を確実に達成するための合理的な行動、
    よく分からんが、それが戦略的と呼ばれるものかも知れんのぉ。ホッホッホッホッホ」



意志が弱い?

なんとなく、今日は「意志」というものについて考えてみたいと思います。
さて、この「意志」という言葉ですが、よく使われる文脈にこんなものがありませんか?

文脈①
「お前さ、去年絶対やるって決めてた○○って、どうなったの?」
「実はさ、忙しさにかまけてやってないんだよね。どうも意志薄弱なんだよね、俺は」
「・・・お前ってホント意志が弱いよね」

文脈②
「私どうしても○○したいんです」
「わかった。じゃ○○するには君は何をしなければいけないの?」
「私がすべきことは××何ですが、意志が弱くて継続できないんです」


私生活、仕事を含め、色んなところで耳にする、もしくは口にする言葉だと思います。
意志薄弱なんて言葉があるくらいですから、意志には強度という観点があるとみなされてますよね。

ですがこういう文脈で出てくる意志って本当に意志なのか?と最近疑問に思っています。
ま、文脈①でいう意志なんていうのはあまり問題じゃなく、
私が気になっているのは文脈②で使われるほうなんですが・・・。

ちなみに、大辞林で「意志」という言葉を調べると、以下のように定義されています。

いし 【意志】

(1)考え。意向。
(2)物事をなすにあたっての積極的なこころざし。
(3)〔哲・倫〕ある目的を実現するために自発的で意識的な行動を生起させる内的意欲。
(4)〔心〕 生活体が示す目的的行動を生起させ、それを統制する心的過程。
     反射的・本能的な行動とは区別される。
(5)文法で、話し手のある事を実現させようとする意向を表す言い方。


おそらく一般的には(1)や(2)の意味で使われることが多いと思われる「意志」という言葉ですが、
さて、先の文脈で使用される「意志」という言葉は本当に「意志」なのでしょうか?

そもそも「意志」は勝手に弱まっていき、
そのこと自体が意志を持つ本人を意志薄弱だと苦しめるようなシロモノなのでしょうか?

私の独断と偏見による「意志」の定義だと、これは「持つ」か「捨てる」しか選択肢がないと思っています。
一時的な状態としては「意志をもちづづけることに迷う」というのもあるでしょうが、
最終的には「持つ」か「捨てる」。極論すると意志は「ある」か「ない」かのいずれかなのではないでしょうか?

そもそも自分がだらしなくて、だんだん弱まっていっちゃう「意志」は、
そもそも意志とは呼べないのではないか?

あなたが持っている意志と呼んでいるもののうち、時間が経つと弱まっていっちゃうものは、
何かをきっかけに、反射的・本能的に埋め込まれた何かのトラウマやコンプレックスなのではないでしょうか?

「だから、あまり意志が弱いとお悩みなさんな。それは意志ではないのだから」
「よく考え直してみます。でも、すこし気分が楽になりました。今の話、ちょっと目から鱗でしたよ」

といって、後輩の女の子は私のもとを去っていった。



2009年2月13日金曜日

やっぱりiPhoneは面白い!!

iPhoneを使っていると、毎日の通勤が退屈しません。
何が楽しいって、
次から次へと出てくる素晴らしいアプリケーションですよ。

携帯時代は、チャクメロ1件ダウンロードするのも
なんとなくお金がもったいない気がしていましたが、
iPhoneに変えてからはジャブジャブ
お金を使ってダウンロードしています。

さて、今回は私が最近気に入っている
iPhoneアプリをご紹介しようとお思います。

合計4つです。






まずはトップバッター

①Evernote
「 iPhone  → Web → デスクトップ」、「デスクトップ → Web → iPhone」
といったりきたりできる、スーパーメモツールです。
テキストエディタとしての機能は貧弱ですが、
単なるテキストからメール、画像、音声までを
シートにドラッグ&ドロップするだけで
ネットの向こう側にあるデータストアに格納できます。
その便利さ、まさにクラウドコンピューティング!!
いつでもどこからでも必要なデータを取り出すことが出来ます。
これで無償はちょっと信じられないです。手放せないアプリ。



左の図はデスクトップ版のEvernote。
図中のシートに、文章を書いたり、ファイルを
ドラッグ&ドロップしたりするだけの簡単操作!!















Evernoteに格納しているデータを
iPhoneで照会しているところ。
PDFだって見れちゃう!!
















つづいて、

②Todo
 開発:米国ユタ州のAppigo,Inc
 Toodledo、もしくはRemember The MilkのTodo機能と同期が取れるところが
 私が重宝している理由。ちなみに私はToodledoを使用して、タスクを管理しています。
 もちろんiPhoneで行った編集も同期ボタンをタッチすれば、Toodledoに即反映!!


iPhoneからTodoのタスクを覗くと、こう見えます。





















こちらが、私がメインで使用している
タスク管理サービスのToodledoです。
英語版ですが、操作は簡単。
日本語入力もOKです。










さらに、


③iXpenseIt
要はお小遣い帳です。以前はCashFlowというアプリを使っていましたが、
こちらのほうが断然使い勝手がいいので乗り換えました。
お蔭様で毎日の出費を細かく管理できるようになりました。
決して浪費が減るわけではないのですが・・・見える化は大事!!






















最後は、

④Classics -As seen on TV!
 いわゆる電子ブックなんですが、UIが最高で完璧!!
 以前、AppStoreでいくつか電子ブックを買ったのですが、
 とてもじゃないけど読んでいられませんでした。
 でもこれは凄い。読みやすいし、美しいし、使いやすい。
 このUIは大辞林に引けをとりません。
 ※大辞林は勝てないですが・・・。


いわゆる英語の古典が英語で読めます。
日本語の本はありませんのであしからず。
















iPhoneはこれからも私を魅了してやまないでしょう。

2009年2月12日木曜日

チームワークについて


最近、チームワークについて色々と考える機会が増えています。

会社として新しい魅力的なサービスを生み出すには?
見たいな感じで、色々なチームや組織が作られていく。

チームメンバーや組織を見ていると、意欲や自信に溢れている人が多く、
チームや組織が掲げる目的を達成すべくよく頑張っているのが分かります。

私自身、そんなチームや組織のメンバーではないのですが、
そのチームや組織の企画案や成果物を拝見させてもらう機会が多々あります。
そして愕然とします。当事者たちの意識と反比例した、
あまりにもレベルが低い代物だらけだからです。

ちなみに私のいる組織は、Topが滅茶苦茶なスーパーエンジニア、
その下がスーパーエンジニアに育てられた天才マネージャーです。
そして、私はこの2人と4年間ずーっと一緒に仕事をしています。
とにかく、この人たちが考えるスケールは桁が違う。
次元が違う。本気度が違う。何から何まで違うんです。
圧倒的な力の差に、私は正直、そのレベルまでの距離感を図れず愕然としたりします。
これはビジネスパーソンとしては幸せなことです。
残念なことに、我々の組織は会社のメインストリームにいないということです。

さて、話を元に戻します。
先に示した、やる気と意欲に満ち溢れた人たちが相当の金と時間をかけて作った企画が
話にならないレベルで、天才2人が考え出した企画が圧倒的なのはどういうことなんでしょう?
やる気と意欲に溢れている人たちは、それなりに優秀と評判な方々なんですよ。

なんでこうもパフォーマンスに開きがあんのかなぁーと、
ずーっとモヤモヤしていたのですが、意外と答えは簡単でした。

答えは、リトルリーグの最高に優秀なチームメンバーを集めて一致団結させたところで、
メジャーリーグの最高チームには勝てないということです。

要は、会社がほんとに強いチームをつくり、最高のサービスを生み出したければ、
最強のメンバーを集めて、チームワークを築き上げなければならないということです。
経営者が自分のお気に入りの、一般的に優秀といわれる(実は大したことない)人物だけを集めて
最強チームだと思っていても、第三者からは冷笑されて終わりかねないんです。

そして悲しいことですが、経営者が本当に最強であるメンバーを見極められない会社は
市場からやがて淘汰されるだろうということです。

最高のチームワークを築き上げる前に、最強のメンバーを集めよ!!

チームワークについての世界的なコンサルタントであるパトリック・レンシオーニさんがこんなことを言っていた。
「財務管理ではない。戦略ではない。技術ではない。争における究極の武器はチームワークである。」

今の私なら、こう直したい。

競争における究極の武器は、
最強のメンバーで構成されたチームにおけるチームワークである、と。


ちなみに、パトリック・レンシオーニさんの話は、昨年6月にASTDの基調講演で聞きました。
チームワークの重要性について熱弁を振るっていたっけな。
あっちの一流コンサルタントは、もう芸能人なんだよね。


下図はパトリック・レンシオーニ著「あなたのチームは機能してますか?」よりブログ著者が作成。




2009年2月11日水曜日

ディシディア ファイナルファンタジー

久しぶりにゲームソフトを買いました。PSPの「ディシディア ファイナルファンタジー」です。
発売当初は、FFキャラ総出のキャラ萌えゲームだとおもって馬鹿にしていたのですが、
実は私自身、FF7のクラウドとFF10のディーダに思い入れが強かったことを思い出し
この二人に逢いたくなって衝動買いをした次第です。

ソフトを購入したのが先週ですが、やり始めたら止まらなくなりました。
このゲーム本当に面白い。やりこみ要素も豊富にあり、退屈しません。
ストーリーもしっかりしてるし、単なるキャラ萌えゲームではありませんでした。

年甲斐もなく、連夜、夜更かししながらキャラをレベルアップさせ
ついに昨日のAM2:00までかかってラスボスを撃破!!

あまりのゲーム疲れに、おきたらPM14:00でした・・・。

PSPを持っている皆さんは、是非トライしてみてください。




人材育成という考え方の終焉(補足)

前回のエントリーで「もう人材育成という考え方は終わった」という話を書きました。
自分で自分のエントリーを読み返してみると、案の定支離滅裂、論理不整合であることを痛感します。

「でも、それでいいんだ。このエントリーは自分のこれからのアイディアを醸成するための
思いつきや直感の切れ端を書いたんだから・・・」と開き直ってみたりしてます。

しかし、過去の経験上、「昨日の自分は明日の他人」だったりすることが多いので、
後で読み返して、せめて何が言いたかったのかを思い出せるくらいに整理はしておきたいと思いました。

まず、私がであった凄い人たち(入社10年以上の人たち)は会社で活躍している人たちで、
各部門で一番キャッシュを稼いだり、お客様満足度を向上させたり、
尊敬を仰いでいたりする人たちだったということ。

そして、この人たちの行動様式、パーソナリティ、思想信条はある意味、会社が定義している人材像を
超えてしまっているということ。ある意味、会社の中で起業家的な側面をもっているということ。
これらの人々は、自らが何がしかの価値を創りたい、お客様に提供したい、喜んでもらいたい、
そのために必要な仕事や作業は苦にもならない、という人だ。
時として「スゲェ」とびっくりするようなアイディアや企画、商品やサービスを創ってしまう。
そしてそれがキャッシュだったり、お客様の満足度向上につながったりする。
これが私が見た「活躍する人材」→起業家気質をもったビジネスパーソンである。
私から見えれば、自分が考えた山道を一人険しく登りつづける修行僧のようだ。

こういう人材像が企業が求める人として定義されていることは、私が知る限りほとんどない。
※ある中小企業の社長さんが、こういう人材像を定義しているのを本で読んだことはある。

それはそうだ。会社が求める人材像に「起業家」もしくは「修行僧」なんて書いてあることなんて滅多にない。
大抵、起業が掲げる人材像というのは、「率先して○○出来るひと」、「お客様を中心に○○を考えられる人」
なんていうのが多かったりする。
普通は、求められる人材像になるのも大変である。かなりの自己訓練と成長を要求される。
しかし、率先して○○できるようになるのも大事だけれど、やっぱり活躍するのは
先にあげたような人たちなのではないかと思う。

「○○できるようになる」というのは○○の構成要素としてA、B、Cなどのように比較的簡単に分解可能です。
よって、Aを身につけるために△△の指導をしようなどという話ができるわけです。
こういう発想が私が前回のエントリーで書いた(?)人材育成という考え方です。
もちろんこういう発想に基づく指導というのも、会社の若手にはまだまだ有効でしょう。というより必ず必要です。

しかし、会社を継続させるために絶対に必要な「活躍する人材」に対しては、もう育成という考え方での
一方的な指導はなりたちません。これが私が人材育成という考え方が終わったと思った次第です。
育成という言葉は「そだてて」「なる」という言葉の組み合わせですよね?

直観として、私は育てることが出来るのは活躍する人材の一歩手前の人材だと信じています。
そっからさきは「育てる」を超えた考え方で人材をサポートするしか手がないと思う。

会社はこういう人たちに対してはーダーシップと合わせてプロデューサーシップを発揮し、
色々サポートをしながら社内企業家としての彼らを
徹底的にサポートする仕組みを作る必要があると強く思いました。

すこしは整理できたかな?







2009年2月9日月曜日

人材育成という考え方の終焉

皆さん、こんにちわ。

先週末から泊りがけで、会社の研修に参加してきました。
昇進してちょこっとだけえらくなった分、それなりの結果をださないと
会社から明確に役立たず扱いされるポジションになったわけです。

研修では、会社の実務レベルのリーダが集まり、ワークショップ形式で
今後の自社サービスの開発方針やら改善施策やらを脳が汗をかくくらい議論してきました。

宿泊ありの研修というものを今回初めて受けたわけですが、想像以上に核心を突いた奇麗事なしの
激しいディスカッションができるものなんですね。ちょっと感心しました。

さて、ここからが本日のエントリーにおける本題です。
それは何かというと「人材育成」という考え方、かっこつけていえばパラダイム、はもう成り立たないということです。
企業研修をやっている会社に勤めているくせに、「人材育成という考え方が終わった」なんて
軽はずみにいえないのかもしれません。ですが、それでもやっぱり終わったんです。
というか、とっくの昔に終わっていたのを自分なりに完全に理解したという表現のほうが正しいのでしょう、おそらく。

もちろん、会社に新しく入ってきた人たちに最低限のルールを教えたり、
基本的なモノの考え方や仕事の仕方を指導するといった意味では「人材育成」は重要でしょう。
しかし、今回、職場のプロで第一線で活躍している人たちと腹割って話して感じたことは、
「人材育成」では活躍する人材は育成できないということでした。
「人材育成」のレベルで育てられるのはあくまで「最低レベルで使える人材」なんだなぁ
というのが素直な感想です。
まぁ、これを「求められる人材」としておきましょう。
それに対して、ずば抜けた力量を持つ人を超プロフェッショナルを「活躍する人材」とします。
皆さんの周りにも沢山いると思いますが、本当に凄い、
ずば抜けた力量をもったプロフェッショナルという人たちは
おそらく育てられたりしていないのではないでしょうか。
すくなくとも、「本当のプロフェッショナルは誰かに予定調和的に育てられてはいない」ということが
今回の研修を通して得た知見です。

では、本当のプロってどうやって生まれてきたんでしょうか?
2日間の濃いーディスカッションを通して浮かび上がってきたキーワードが
「成長支援」と「本能を刺激する場作り」でした。

話してみて分かったことは、この手の人たちというのは「普通」であることを激しく嫌い
自分が定めたヴィジョンやミッション、または価値観を非常に重要視し、
それがゆえにめちゃくちゃ「自発的」です。
この手の人たちは、適当が嫌い、無駄が許せないということもあり、
仮に放置プレイしていても勝手に勉強して、
その分野を構成している要素とそこに働いている内部・外部の力を見抜いてしまいます

ようは物事に対する「パターン編集能力」に優れているんですね。
これがいわゆる「知恵」というやつかと思いました。

で、ちから尽きたので結論にしますが、これからの社会で必要とされるのは
”たぶん”「求められる人材」ではありません。
「活躍する人材」です。そしてこれらの人は「人材育成」という枠で育てることは出来ません。

それには「成長支援」というアーキテクチャ(仕組み)でのサポート活動が必要です。
じゃ、どうやってそのような仕組みを作ればいいかというと・・・それは企業秘密なので教えません(笑)。