2008年11月29日土曜日

レイ・ブラッドベリの『華氏451度』を読んで、観た

SF界の巨匠、レイ・ブラッドベリが現代文明を諷刺した不朽の名作。
それがこの『華氏451度』だそうだ。

私はこれまでほとんどSF小説というジャンルは読まずに生きてきた。
SFはありえない架空の世界や、近未来を描くことから、
単純な空想エンターテイメントだとみなし、それならCG満載の映画のほうが面白いだろう、
と考えていたのがSF本を読まなかった理由である。

しかし、最近、実際に読みもしないで映画のほうが面白いだろうという考えもいかがなものか?
と思い直し、いわゆるSFの名作と呼ばれているものを3冊ほど買ってきた。

その中のひとつが今回紹介する『華氏451度』である。
この作品、実は映画化もされており、おとといDVDを借りることができた。
昨日、原作を読み終え、いましがた、DVDを観終えたところである。

本の評価:★★★★☆
映画の評価:★★★★☆

どちらも良くできている。
上質のエンターテイメントであり、単なるエンターテイメントで終わらない
現代社会を諷刺する力をもっている傑作である。

タイトルの華氏451度というのは本のページに火がつき、燃え上がる温度のことだそうだ。
そう、この物語の世界では人に考えること、感じることを促す「本」の存在が禁止されている。
本を所持することは犯罪であり、見つけられた本は焚書官によって焼き尽くされる世界なのだ。
この世界に住む人たちの娯楽は基本的にTVとスポーツであり、思考というものとは
縁のない生活をしている。

この作品の主人公は、焚書官のガイ・モンターグという人物である。
最初は焚書官という任務に喜びを覚えているのだが、ある出来事をきっかけに
本という存在、そしてその内容を無性に知りたくなる。そして、あるとき焚書すべき本を
自宅に持ち帰り、妻が寝たあとこっそり読書の愉楽を知ってしまう・・・。
それを機に、モンターグの人生は大きく変わりはじめる。
そもそも本はある情報を伝達する媒体、メディアであるわけだがそこに描かれている
情報の本質とは何なのか。人が生きて死ぬ存在である以上、本当に生きるとはどういうことなのか。

いくつか私が感銘を受けた箇所を挙げてみる。

・われわれの社会には、三つのものが欠けておりますな。
 そのひとつ、なぜ書物は重要であるか、その理由をご存知かな?
 そこには、ものの本質がしめされておるのです。

・すべてをことこまかく語れ。新しい詳細を語れ。すぐれた著者は、生命の深奥を探りあてる。
 凡庸な著者は、表面を撫でるにすぎん。劣悪な著者となると、ただむやみに手をつけて、
 かきまわすだけのこと、であとはどうなれと、捨て去ってしまうんです。

・「欠けている二ばんめは?」
 「閑暇ですな」
 「しかし、ぼくたちには、勤務外の時間がありすぎるほどありますが」
 「勤務外の時間はありましょうな。しかし、考える時間はどうです?」

・そして第三には、最初の両者の相互作用から学びとったものに基礎を置いて、
 正しい行動に出ることにある。

・芝生を刈るだけの男と、庭園をつくりあげた男との相違は、それをつくりあげたかどうかにある。
 祖父はいったよ。芝刈人はいなかったも同然だ。だが、庭師は生涯を通じて、
 その庭のうちに存在するんだとね


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