2008年10月29日水曜日

映画『ブーリン家の姉妹』を観た

これぞ必見!!

評価:★★★★★

いやー、凄かった。
今日、会社帰りにいま公開中の
ブーリン家の姉妹』を観てきました。

いやはや、素晴らしい出来でしたよ。
100点!!





正直、映画を観るまでブーリン家が一体どんな家系なのかも分からない状態でした。
私がこの映画の背景になっている時代についての知っていることといえば、
せいぜい高校時代の世界史レベルの知識です。

ヘンリー8世。
イギリスに絶対王政を確立した人物。
前妻と離婚し、新しい妃を迎え入れたくカトリックの総本山、ローマ教皇庁と対決する。
離婚問題で教皇と対立すると、1543年に国王至上法を成立させて、
ローマ教皇庁と断絶し、イギリス国教会を設立、首長となる。
ヨーロッパに近代国家が形成されようとした時期において、とりわけエキセントリックなオヤジ。

このくらいしか知りませんでした・・・。

で、この映画の内容は、その離婚問題の発端となった新しい妃である
アン・ブーリンとその家族を中心とした私利私欲に目がくらんだ人たちの、
言い換えると物凄い人間くさい人たちの政治劇です。

まったく持って知らなかった・・・。
ローマ教皇庁と断絶までして結婚した新しい妃を、己が手で処刑台に送っていたとは。
この映画を観て、教科書で学んだ世界史の一コマが私の中に血肉になったような感じがしました。

ま、あらすじはこんなところです。

見所は何といってもナタリー・ポートマンが演じる、アン・ブーリンが国王ヘンリーを
手篭めにしていくところでしょう。見ていて怖いほど旨い!!と思いました。
男、それもプライドや地位の高い人間をどのように自分に振り向かせ、
かつ依存させていけばいいのかが、これでもかというくらい見事に演じられています。
「あー、あんなふうに攻められたら俺も堕ちる」と思いました。
まぁ、だれも私なんかを堕とそうなんて思わないでしょうが・・・。

それくらいナタリー・ポートマンが演じる、アン・ブーリンは見事だった。

それ以外にも、アンの妹を演じたスカーレット・ヨハンソンも素晴らしかった。
ヘンリー国王役のエリック・バナも良かったし・・・。
出てくる人たち皆いい演技をしていたよ。

こりゃやられたね。

この映画の感想を一言で言うと、男より女の方が何百倍も賢くて強いし怖いということです。
日本全国の男性の皆さん、この映画を見て歴史とともに女性の怖さを勉強しましょう。

2008年10月26日日曜日

映画『明日、君がいない』を観た


最近、風邪を引いたせいで調子が優れません。
週末、映画を観に行きたかったけど、それも叶わず・・・。

というわけで徒然なるままにひぐらし、だったので
レンタルしてきた標記の作品を観ました。

評価:★★★★★

胸が締め付けられるような、重苦しくも
切なく美しい映画でした。




まず、このタイトルがよく出来ていると思います。
明日、君がいないってどういうこと?と、私の脳裏に印象深く残り、今回レンタルした次第です。

話は、オーストラリアのある高校にて、ある人物が自殺したところから始まります。

そして、その後話しはその人物が自殺する前日に戻り、
その高校に通う数人の若者を中心に進んでいきますが、またこの若者それぞれが持っている
事情というのが凄いんだわ。

多少、ネタがばれてしまうかもしれませんが・・・
妹をレイプした近親相姦な男。マッチョで彼女もいるイケメンだが、実はホモな男。
ホモを公言して誰からも相手にされず孤独にさいなむ男。
体に障害があるため、授業中に失禁してしまい周りから蔑まれる気弱な男。
妊娠した事実を誰にも相談できずに苦悩する女。
結婚を夢見、彼氏を一途に愛するが、相手がホモであるため
時々ツレナクされて嘆く女。一見幸せそうで、周りを気遣う優しい女。

そんな彼らの日常、そして苦悩が複数人の視点でオーバーラップされながら
話は静に進んでいきます。外見とは裏腹に彼らはそれぞれが孤独で、その描かれ方から
一体、最後に自殺するのが誰かなんて全然分からなくなっています。
まるでミステリーか、と思えるほどの映画です。

ですが、この映画には映画特有の予定調和的ないやらしさが全然なく、
常に淡々と、時に美しく、時に残酷な若者の日常が描かれています。
この映画を観ていて、大人より、ある意味自由の少ない若者の方が
苛酷な環境にいるのではないかと思いました。

若者という人生のある期間というのは、多感であるため、ある意味不安定な時期だと思います。
周りの人の何気ない一言が、自分にとって非常に励みになったりする一方で
自分の居場所を根こそぎもっていかれたかのように受け止めちゃったりする場合もあるわけです。

自分にとって辛くて仕様がない事象が、自分の管理不能なところで発生し、
自分に降りかかってくることだってあるわけですから、本当に若者の青春時代というのは
ある意味、人生で一番難しい時期だと言えるのかもしれません・・・。

そんな若者に大人たちが「時間が立てばわかる」とか「大人になれば分かる」とか
いったところで何の足しにもなりはしないんですよね。
そりゃ、時間が立ったり大人になって振り返れば分かるのかもしれませんが、
当事者である若者にとって必要な救いは「今」なわけですから、
大人の何気ない、悪気のないそういう台詞こそ、若者からすれば「お前ら死ね!!」とか
「うっせー、俺にかまうな!!」ということになるのでしょう。

そんなことをぼんやり考えさせられながら、話は終章に向かいますが、
最後は「エッ!!」という展開である人物が自殺して終わります。

ちょっとビックリでしたが、彼らの人間模様を見ていて必ずしもこの結末に異論はありません。


ストーリーの良さ、映像美、音楽のチョイス、どれをとっても素晴らしい
非常に考えさせられる映画でした。

2008年10月14日火曜日

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』を読んだ

皆さんこんにちは。如何がお過ごしでしたでしょうか?

さて、久しぶりとなる今回のエントリーではこの3連休の全ての時間を使って読破した、
ドストエフスキーが人類に対して放った思想爆弾である『カラマーゾフの兄弟』について
簡単な思い出話をしようと思います。

私は大学受験が終わってから社会人になるまでの間に死ぬほど本を読みました。
あの頃は受験勉強という人生におけるある意味くだらない時期からの開放感も手伝い、
貪るように読んでいました。
1日1冊は当たり前で、多いときは1日3冊くらい平気で読んでいましたので、
年500冊は下らないと思います。バイトで稼いだ月10万近い小遣いが
全てCDと本とガソリン代に消えるという破滅的な大学時代でした。
※絶対相性が合うわけない女性に片思いをしてため息もついてました。なぁ空蝉くんよ・・・。

社会人に出る前に何としても自分の脳みそに学問全体の知的パースペクティブを
構築したくてジャンル問わずに読んでいたわけです。

そんな読書三昧の日々において、唯一挫折したのがドストエフスキーです。
中でも「これを読まなきゃ、文学は語れない」と思っていた『カラマーゾフの兄弟』については、
新潮文庫で全巻購入したにもかかわらず、その訳の堅苦しいところにヤラレ、
上巻の3分の1を3ヶ月かけて読み、ついに降参してしまった次第でした。

何というのでしょうか、ロシア文学は翻訳で読むとすべからく訳調が堅苦しく、
登場人物の台詞が田舎くさいためになかなか感情移入が出来ず、読み続けられなかったんですね。

トルストイとかは意外と読めたんですが、ドストエフスキーだけは駄目でした・・・。
社会人になってリベンジと思い『罪と罰』は完読したのですが、これは拷問に近かった・・・。
「主人公の罪と罰なんか同でもいいから、さっさと話終われ・・・」という思いが先にたち、
読むことは読めましたが何にも残らない有様でした。

でも、『カラマーゾフの兄弟』、これだけは何としてでも完読しなきゃ駄目だと思っていました。
数回前のエントリーで私と聖書の関係について触れましたが、キリスト文化圏で
人生の数年を過ごした自分が自分に課した課題だったわけです。
「ドストさんよ、あんたは人類にどんだけの思想爆弾を突きつけたのかね?
果たしてそれは21世紀の人類にも威力を及ぼすのかね?」と。

はっきりいってこの小説だけは、私と、今はなき文豪ドストエフスキーとの真剣勝負だったわけです。


そんなことを思ってたところに、新訳で発売された以下の『カラマーゾフの兄弟』が目に入ったので、
今度こそ勝負!!と思い、即全巻購入し、この3連休、飯と風呂以外の全ての時間を注いで
ドストエフスキーと真剣勝負をしました。
















正確に言うと、完読には今日まで掛かってしまいましたが、この勝負、ドストさんの勝ちです。
それも大勝利・・・。
読み手である私は、ドストさんの思想爆弾の前に木っ端微塵に砕け散りました・・・。

読み終えて、その感想を書く気になれないほどやられました。
読んでいて悲鳴をあげたくなったのは久しぶりです。本当に素晴らしいよ、この小説は。

大審問官のくだりは戦慄を覚えたほどです。
優れた小説は下手な心理学より切れる。ドストさんの描く人物描写や、一つ一つの言葉が、
時を越えて尚、我々の心に届くのです。そして、我々を切り刻みもします。

ドストさん、あんた凄いよ・・・。
チンケナ私ではありますが、現時点での私の読書人生最高の文豪という
称号を捧げたいと思います。

21世紀の私から19世紀の貴方へ、世紀を超えて最大の賛辞を贈る!!

2008年10月8日水曜日

平野啓一郎さんの『顔のない裸体たち』を読んだ

んー、眠い。もう25時41分だ・・・。

お風呂に入る前に読み出して、つい今しがた読み終えたのがこの本です。

評価:★★★★★

いやー、新潮文庫で200ページくらいの短編なのですが、よく出来ている。
傑作ですよこれ。まさに決壊の序章に相応しい作品です。
私はこういう、現代社会の闇を上手く描いた作品が大好きです。

幼少の頃のトラウマ(いじめとかそういうやつ)を克服しないまま大人になった
変体中年と、さえない中年の女性教師が顔バレリスクのない投稿エロ写真にハマっていき、
最後は母校の前でエロプレイを撮影しようとして先生に見つかり破滅の道を歩んでいくという
一見馬鹿な話です。でもこのプロットが秀逸で、そこに描かれている人間たちの
心理のヒダを抉り出すような文章がたくさんある。

平野啓一郎氏のセンスに脱帽。
お勧めの一冊です。


2008年10月7日火曜日

小飼弾さんの『弾言』を読んだ

先日、電車での通勤時間で簡単に読めるものをと思い、
日本を代表するαブロガー、小飼弾さんの『弾言』を買いました。

弾さんの考えは、日々、そのブログ404 Blog Not Found を通して拝見しているので、
さして目新しい話は書いてありませんでしたが、非常に面白い本です。

読後に改めて思いましたが、学歴に関係なく大量に本を読み、色々な経験をし、
その経験を振り返って言葉に出来る人というのは賢いということです。
うん。弾さんは賢いよ。本質をつかんでそれを上手い比喩で例える力に長けていると思いました。
※これは勝間さんにも言えることです。

本当にこれからは、日々読書を行い、人一倍考え、知的生産物を生み続ける人しか
生き残れないと思います。会社で色々な人に研修していて分かったことは、
コミュニケーション能力や思考能力(論理的な)などの仕事の基礎力と言うのは
その人の読書量と思考時間に比例していると言うことです。
これは講師経験約10年の私が保証(弾言)します。

以前、このブログでも取り上げましたが、元マイクロソフト日本の社長、
成毛眞さんが喝破するように「本を読まない人間はサル」なんだな、悲しいことに。
これは良い悪いじゃなくて、社会的な既成事実になりつつあるような気がします。

そんな考えを持っている私が、本書で感心した箇所を幾つか列挙します。

◆時間当たりいくらの仕事は、「モノ」的な仕事である。
 労働時間が長いにもかかわらず、それに見合った給料や快適な生活を得られていないと
 感じている人は、モノ扱いからヒト扱いされる仕事をしなければならない。

 →これはいいわるい抜きにして、もう既に雇用構造がそうなってしまっていると思います。
   弾さんや私、ましてや会社に文句言ったところで始まりません。
   自己防衛のためにも、自分に投資し、無駄な作業や時間の浪費となる自分の行動を
   棚卸しして、自分の好きなことや、自分の能力を高めることに金と時間をつぎ込むべきです。

◆貴族の義務を負うことになった平民。
  現代人の知的レベルは向上している。だから知恵の価値は暴落した。
  階級制度が崩壊した現代では、全員に貴族の義務が課せられているといってもいい。
  現代において、知識は「ないと困る」ものになり、バカであることが罪になってしまった。
 
  →知識社会とは知識ベースの社会といういみですから、畢竟、知識が価値を失う社会です。
   知っていても偉くはないけど、知らないと損、もしくは罪なんだよね。
   悲しいけれど、これも現実だと思います。
   で、これも悲しい現実だと思いますが、出来る人と言うのは貴方(そして私も)を顔や仕草、
   要は第一印象で判断するのです。ある程度の年齢になると、その人の品性や教養、
   知識レベルや思考力が全て顔に出るものなのだと最近ようやく分かってきました。
   
   これは入社して以来、私の尊敬する上司から耳にタコが出来るくらい聞かされました。
   30才を越えたら自分の顔に責任を持て、と。”教養は重くない”から、今のうちから
   色々読んだり経験したり、一流のものに触れて見識を養えと・・・。
     
   私ももう30歳、自分の顔に責任を持たなければならない歳になっちゃいました・・・。
   皆さんは大丈夫ですか?


俺ヤバイかも・・・なんて思った人は必読ですよ。


2008年10月6日月曜日

勝間和代さんの『読書進化論』を読んだ

昨日に引き続き、今日も勝間さんの著書をご紹介。

昨日読んだ本が、勝間さんの正直な思いが込められていた良書だったので、
今日も1冊買ってみました。

それが『読書進化論』です。

自分で言うのもなんですが、私は結構本キチガイなところがあります。
自分の小遣いを省みずに、ガンガン本を買ってしまうところがあります。
多い月にで4~5万くらい、平均しても2万は切りません。


そんな私ですが、勝間さんの足元にも及ばないことが
この本を読んで分かりました。
この人は俺以上の本キチガイだ!!
※私の中で最高の本キチガイは松岡正剛さんだけど・・・。

そういう意味で、紙上にて勝間さんと30分くらい
私の好きな本ネタで世間話をさせて頂いたような読感を得られる本でした。

あまり肩肘張らずに、リラックスして著者とクッチャベルような感じで読めます。
本が好きな人も、あまり読書習慣のない人も読んで見てくださいね。
読書って最高の暇つぶしですし、貴方のビジネスや人生にも
何かしらの成果や充実をもたらしてくれるでしょう。
以下、本書を読んでて私のアンテナに引っかかった箇所をメモしておきます。

1つ目。
勝間式「相手がわかりやすく読みやすく書く」ための4つの技術

①「自分の事例」「アンソロジー形式」を利用して親しみを持たせる
②「役に立つフレーズ」を必ず入れ、読書だけに体験を閉じない
③「共通体験」や「流通していることば」を使って行動を促す
④「コンテンツ力」と「編集力」で進化していく



2つ目。

ある会社の社長さんが、勝間さんの本を社員400人に5冊づつ配布し、
感想文を書かせる、という事例が紹介されています。

意外とこれはいいなと思いました。

いま、仮に2日間のビジネス系の研修コースを受講すると
だいたい1人7万~10万円くらいは掛かります。

勝間さんの本はどれも1000~2000円くらいの値段で購入できるので、
一人5冊買ったとしても1万円。でその内容はおそらく2日では
学習仕切れないくらい盛りだくさんな内容です。
それだけの投資で社員の能力が少しでも向上すれば安いものです。


ご購入はこちらからどうぞ。


2008年10月5日日曜日

勝間和代さんの『日本を変えよう』を読んだ

本日、横浜ソゴウの紀伊国屋で、本を10冊くらい買ってきました。
今回の書籍購入の目玉は、大学時代に挫折した『カラマーゾフの兄弟』に対する
リベンジなのですが、たまたま勝間さんの新刊が目に入りました。

私は、勝間さんが有名になりだした頃までの著作は読んでいましたが、
それ以降はめっきり興味がなくなり、最近に至っては各誌がこぞって
”知的生産の女王”などという馬鹿らしいレッテルを貼るので
その著書や発言には一切近寄らないようにしてました。

私は基本的に書物に対して特別な思い入れを持っている人間です。
もちろん書物というのは内容がピンキリですから、購入する中にも
イマイチだと思う本や時間の無駄としか思えないような本がないわけでもありません。
※あくまで自分にとってです。

それでも、その著者の考えと自分の考えをぶつけたりすることで
成長できたりするので、馬鹿本を含めて書物に対して愛情をもっていたりします。

しかし、そんな書物の中でも許せないのが、
大したことのない自分のノウハウや体験談を
延々と薄めたり伸ばしたりしながら次から次へと
本屋にウィルスのごとくばら撒く人たちのノウハウ・ハックス・自己啓発系の本です。

もちろんこういう類の本を読みたいという需要があって
著者たちが供給するわけですから、私がとやかく言う筋合いはないのでしょう。

しかし、いわゆるノウハウ、ハックスなどの自己啓発本は、
それらの本を読んだとしてもまったく仕事や人生の悩みが解決しないにもかかわらず
延々とその手の本を買い続ける中毒患者を大量生成してしまう。
私が知っている人間にもたくさんいます。自己啓発・ノウハウマニアみたいな人が。

私は、広い意味で教育という仕事に携わっています。
企業研修を通して、今の若い人やおじ様たちの色々な課題や悩みを聞いたり見たりもしました。
だからこそ、もともと安易な人に、安易な解決方法を提供するような本の書き手が
イマイチ好きになれないというか、嫌いなんです。

Coreさんという人のブログで書かれているとおりなんだと思います。

自己啓発書やライフハックエントリーで人生や仕事の悩みが解決しないから、
人はいつまでたっても買い続けるのである。


だから、勉強法とかフレームワーク力とかの著作を乱発する勝間さんには
ちょっとげんなりしていました。

ですので、本来であれば勝間さんの新刊は気にも留めないところなんですが、
なんとなく今回はそのタイトルといい、表紙に写っているご本人の表情といい、
見過ごすには勿体無い何かを感じたために勝間本最後の一冊のつもりで購入しました。

で、評価は・・・
★★★★☆

40分くらいであっという間に読めちゃいましたが、
勝間和代という女性の問題意識や社会に対するメッセージが
ストレートに打ち出されている良書だと思いました。

人によっては勝間さんの主張に色々とネガティブコメントをつける人もいるでしょう。
私自身も、本書を読んでいて「(あくまで男の視点からみて)ちょっとそれは違うんじゃない?」と
思うところはありました。しかし、そんなのはどうでもいいことで、重要なのはご本人が
正直ベース・本音ベースで読み手のストライクゾーンに誤魔化し無しの
直球を投げかけてくれることだと思います。


私は、人の人生なんて、なんやかんやいったところで究極のところは暇つぶしだと思っています。
そしてどうせ暇を潰すのであれば有意義に潰したい。
自己満足できるように暇潰しを実行したいというのが本音でしょう。
しかし、ここが人間が(というか私が)メンドクサイ動物である所以ですが、
自己満足が利己主義を突き詰めても、一定以上は得られないということ。
だから、自分のためになりつつ、かつ人のためになるようなことをししたい。

意外と一般的な人たちの本音ってそんなところなのではないでしょうか?
少なくとも、私はそうです。

私は今回勝間さんが書かれた本を読んで、素直に共感することが出来ました。
どうせやるなら楽しくやろう、自分だけ楽しいのもつまらないので
他人にも喜んでもらえるようにしよう。
そのためにも自分は勉強しよう。
そして問題解決者として、他人に役立つよう、
様々な活動をとおして「事象」に対してではなく構造に対して変革の提案を行っていこう!!

これがこの本から私が読み取ったポジティブな勝間メッセージです。
間違ってますか、勝間さん?
読みが浅い?




目次はこんな感じ。



第1章 若い人が暗い国

悲観と楽観

 I 職場の憂鬱
「勉強法ブーム」が示すもの
かなり「やばい」日本のビジネス力
効率のよさと競争力のバランス
上司世代の問題

 II 3つの変化
1 情報の革命
2 「クリエイティブ」の必要性
3 フリーランス志向の高まり

 III 若者たちを明るくしよう

第2章 西原理恵子さんと、最強ワーキングマザー対談
女の人は働いたほうがいい
スカートは、はかない
日本は子どもに冷たい国
「手伝う」って言うな
ひどい会社から逃げよう
私立ならどこでもいい病
おばあちゃんは絶対必要
社員の未婚、社長さんも悩んでます
手に職、大事ですよね
日本は貧困にも冷たい
世界の貧困、何とかなるかも
勉強法、ドーパミンが出るように
もっともっと、子どもにお金を
西原理恵子「勝間さんとわたくし」
※ちなみにこの本の評価で星を一つ少なくしたのは
  本書P69にある西原理恵子氏の写真が原因です。
  意味もなく胸の谷間がモロ見えになっている写真なんか掲載すんな!!
第3章 女性が産める、働ける国へ
無関心なマジョリティ
空気の差別
女性を「こき使う」戦略
少子化対策をいかに仕組み化するか
旧モデルと新モデルのはざまで
家事の負担に関するヒント
家庭をもとうよ
私たちのミッション


第4章 雨宮処凛さんと、脱・ワーキングプア対談
違う世界の話
ノルマで命が奪われる
絶対だれかがキレ始める
中高年の割を食っている
10年後の爆発
現実に向き合えるか
勝てない若者
非正規の均等待遇
国力が単純に下がっている
貧困という絶望
まずは知らしめること

第5章 NYで考えたポスト資本主義
インセンティブ体系の不全
NYの最新風景
グローバリゼーションの行き詰まり
資本家の細分化
社会起業家の挑戦
途上国支援の試行錯誤
私自身の試み

勝間和代の日本を変えよう 15の提言


是非、買って読んで下さい。
そして考えてください。





ああ

2008年10月4日土曜日

ことば

読書をしていると、まるで雷に打たれたかのような衝撃を受けることがあります。
私にとってのそんな一人が寺山修司さんです。

読み始めたのは昨年と、比較的最近なのですが一読してその才能に魅了されました。

その寺山さんが以下のようなことを書いています。

きみは、この日記を書く前に100メートルを全速力で走るべきだった。
ローリングストーンズを100回聞くべきだった。
見知らぬ女の子に話しかけてみるべきだった。
「あしたのジョー」の10年後を想像するべきだった。
ぼくは、「生きる」などということを10行くらいで書いて悩むような軽薄さを好まない。


自分がブログでグダグダ考えを吐き出す前にやるべきことはなんだろう?

2008年10月3日金曜日

映画『崖の上のポニョ』を観た


最近、映画三昧です。
昨日シリアスものを見たので、
今日は楽しくいきたいなと思い
これまでずっと封印してきた
『ポニョ』を観てきました。

この映画は日本アニメ会の巨匠
宮崎駿監督の作った作品の中で
一番エポックメーキングな作品となることでしょう。

正直、この作品は私の評価を越えています。

宮崎監督もおっしゃっているようですが、
おそらくこの作品が彼の最後の
作品になるのではないか?
そう予感させられる作品でした。



さて、ここから先は語りのトーンを変えていこう。
あくまで私自身のつぶやきとして、この作品の感想を述べる。
ネタバレもちょびっとあるので、見てない人はここから先は読むべからず。


まず最初に、宮崎駿は本当の天才だと思う。
そして、この作品は本当にスゴイ。
なぜなら、この作品には宮崎駿という一人の人間が
表現したかった妄想が200%詰め込まれているからだ。
その妄想の弾け具合は観るものを突き放し、一切の解釈を寄せ付けない・・・。
あくまでこれは俺の人生だ。
お前らと関係あってもなくても俺は気にしないと言っているようだ。

映画を観るものと作品との唯一のつながりは、可愛らしいキャラクターと
優しい感じの絵コンテだけだ。だがこの作品の性質上、これでいいのだと思う。
観るものは勝手に自分のノスタルジーに浸れるのだから。


この映画、トーンは『となりのトトロ』と似ていなくもない。
しかし決定的な違いがある。
一番の違いは、日常ではありえないファンタジーなキャラクターが出てきたとしても、
トトロにはメイがお母さんに逢いたくて家を飛び出して迷子になったりと、
我々パンピーとの接点を持たせてくれるようなプロットや映画の山場が存在した。
しかし、ポニョには観る者とストーリーを繋ぐ接点が殆どないのだ。
少なくても私には皆無であった・・・。
ただ前述のごとく、接点はなくてもノスタルジックになれる瞬間がある。
小さい時って、たしかに自然がこう見えたりもしたっけな・・・とか。


ポニョの公式サイトによると、この話のストーリーはこんな感じだ。
=======================================================
どんな時代であれ、5歳の少年から見た 世界は美しく生きるに値する。

2008年夏、日本だけでなく世界の人々が自信を失い、経済政策の行き詰まり、
食糧や原油価格の高騰、地球の温暖化問題など、解決の糸口さえ見つけられず、
不安を抱きながら漫然と生きている現代。まさに“神経症と不安の時代”、
この作品の企画を書いた宮崎駿は、まもなくこのような時代がやってくることを
予見していたかのように本作品を作りました。

崖の上の一軒家に住む5歳の少年宗介は、ある日、クラゲに乗って家出した
さかなの子ポニョに出会います。アタマをジャムの瓶に突っ込んで困っていたポニョを、
宗介が助けることから物語が始まります。
「ぼくが守ってあげるからね」と宗介。そんな宗介のことを好きになったポニョが、
人間になりたいと願ったため、海の世界は混乱に陥り、
人間の町に大洪水を引き起こすことになるのです。

この作品は、少年と少女、愛と責任、海と生命——神経症と不安の時代に、
宮崎駿がためらわずに描く「母と子」の物語です。

=======================================================

要は、人魚姫の宮崎駿版ということだ。
そして、この宗介という可愛らしい少年こそが、宮崎駿そのものなのだ。
そう、この作品は宮崎駿が叶えたかった夢そのものなのだ。
だから、我々・・・というか私との接点を持ち得ない作品なのだ。

思うに、宮崎駿は5~15歳の感受性を保ち続けたまま大人になった人なのだろう。
そして、これは私の完全な妄想であるが、幼少の頃に「少女」というキーワードで
何かしらのトラウマを背負った人なのではないか?
そして、トラウマとして永遠に失われた少女を、その作品全体を通して
求め・探し続けているひとなのではないのだろうか?

改めて宮崎作品を観なおして見ると、主人公は殆どが少女である。
そしてその少女は、突然空から降ってきたり、戸惑ったり、苦悩したり、
さらわれたりと色々な苦労をする。
だが、大抵最後に少女は一回りも二回りも頼もしくなって
みんな(宮崎駿)のもとに帰ってくるのだ。
ラピュタ、ナウシカしかり。魔女の宅急便や耳をすませばなんかもそうだ。
宮崎アニメを観るものは、その辺に若者の成長とか、愛や勇気を見て感動する。
これまで私もたくさん感動させてもらった。

しかし、ポニョはちょっと違う。
人面魚のポニョが、愛する少年、宗介に逢いたいがために、
町一つを水没させるのだ。そして、子供の感性でその描写を見ると、
ポニョは怪物に見えるし、荒波に飲み込まれた人たちは皆死んじゃったように見える。
但し、ポニョだけが「女の子になって戻ってきた」のだ。
更には、愛する少年の下に戻る過程で行われたオイタは、大いなる母の愛によって許される。
そして最後に二人は結ばれて終わる・・・ポーニョ、ポーニョ、ポニョ、魚のポーニョ♪。

これまで、少女が宮崎駿扮する少年のもとに戻ってくる際、
少女は儀式として何らかの問題を乗り越えたり、何かを失わなければならなかった。
ポイントは女の子が失って、世界は失われないことにある。
しかし、今回はそこが逆転していて世界は失われるがポニョは得るだけだ。
※一応、魔法の力を失うようだが、そこは描写されず。要は本質とは関係がないのだ。

ポニョは全てが許されているのだ。
自分が困難を乗り越えるのではなく、周りに困難を及ぼしながら
荒波のうえを嬉々として走ってくるのだ!!周りの人間は大迷惑さ・・・。
でも、ポニョは許されている。ポニョは祝福されているのだ!!

なぜなら、愛する宗介(駿)のもとへ向かっているから・・・。
世界が滅びても、私の愛する少女が帰って来ればそれでいい・・・。
逆に言えば、私の愛する少女が帰ってこないような世界は海に沈んでしまえ、である。

宮崎駿の天才性と狂気全開。
平野啓一郎の言葉を使えば、「宮崎駿の決壊」である。

こんな作品、いままでジブリアニメにあったか?
たぶんなかったよね?


今回、宮崎駿は全てから解放されて、自分の思いをときはなち
自分に向けてポニョが帰って来るようにした。
CGを一切使わず、全てを絵コンテにして・・・。
柔らかく、そして優しく、時に残酷に・・・。
そう、この作品で宮崎駿は失われた何かを取り戻したのだ
人生の総仕上げなのだ。究極の自己満足なのだ。
でもそれでいいのだ、と私は考える。

そんな作品が宮崎駿にとって傑作でないわけがなかろう。
たぶん鑑賞者の評価などは二の次なのだ。
本人的には「知ったことか」と思ってるのではないだろうか?

私はこの作品を観て宮崎駿という人間の類まれなる才能と狂気を読み取った。

ちなみに私の座席の前に座っていた少年が「この映画怖いよー」と怯えていた。
そりゃそうさ。ある人間の人生総仕上げが、ガキにわかるものか。
絵がいくら可愛くたって、話の本質は前述の意味で恐ろしいのである。
宮崎駿は「こどもが喜ぶ作品にしたかった」とどこかで言っていたような気がするが、
たぶんそれは本心の1%くらいだろう。商売人としてのセールストークではないのか?
宗介、リサ、耕一と、5歳の子供が親を呼び捨てにする家庭が中心のストーリーが
本当に子供が喜ぶなんて思うわけないでしょ?
もしかして、宮崎駿は少女というより家庭、それも母親にトラウマでもあるのではないか?
んん。ブログかいててそんな気がしてきた。
映画の最後に、聖母マリアのようなポニョの母が出てきて宗介に、
「ポニョがもともと人間じゃなくても一緒に入れますか」みたいな事を言っていたが、
これって、宮崎駿に対する、母なるもののからの懇願なのではないか?
「昔は非常に屈折した(人面魚)愛でした。ようやく人としての愛を与えられそうですが、
貴方は許してくれますか、そんな世界を」と言うふうに聞こえてならない。
こんな解釈をする私は人格崩壊してるのかもしれないが、これが正直な感想だ。


見る人の人生や、おかれている環境によって賛否両論のコメントが出てきて当然の作品である。
その他、面白かった、とか、話の意味がわからん、などと言うコメントもあるだろう。
皆、金払って娯楽目的で鑑賞するわけだから、色んなコメントがあっていいと思う。
でも個人的にはそんなの無意味さ、と私のこころは囁く。
この映画はそういうコメントを受け付ける地平線には存在しないと思っている。

集大成として自分の妄想や思いを多少支離滅裂かもしれないが
全てブチまけた映画。それがポニョだと思う。

だから、私の評価を超えているんだ。


参考までにGoogleのブログで「ポニョ」というキーワードをいれて
この映画のコメントを探してみた。適当に貼り付けてみる。

http://www.ne.jp/asahi/nob/co/tamaki/topc52.htm
http://minicoxmorico.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-a4da.html
http://d.hatena.ne.jp/t_yano/20081002/1222976416
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_fb6c.html


(10月4日に若干感想を付け加えました)

ペイ・フォワード

最近、自分の仕事に価値を見出せず、グダグダの精神状態で仕事をしていました。

それを見透かすかのように、今いる職場のボスが外出帰りに電話で
「今忙しくないなら××まで出ておいで」と声がけをしてくださった。

なんだろうと思って出かけてみると、喫茶店に案内され
延々と30分くらいにわたって本気で叱られました。

叱られた内容に対しては「おっしゃるとおりで、返す言葉がありません・・・」という感じなんですけど、
なんというかな・・・今年60で、かつ私が勤める大組織の
いわゆるトップマネジメントの一人であられる方が、
わざわざ下から数えた方が早い職級の馬鹿社員をわざわざ外に呼び出して
指導してくださるということに、ほんと感謝の気持ちでいっぱいになった。
と同時に今の自分が最大級に情けなくなった・・・。


私は普段から最高級の尊敬をこめてこの人を「ボス」って呼んでいるんですが、
そのボスが今日も私を外に呼び出された。
「またお叱りをうけるのかなぁ」と戦々恐々としていたのですが、
本日は仕事に対する心構えや、今やっているビジネスの世界動向など、
非常に参考になる話だけでした。

あまりに恐れ多かったので、喫茶店からの帰り道に冗談交じりに以下のようなことを聞いてみた。

「なんでボスは、私みたいな担当にそこまで気を使って指導してくださるんですか?」
「私は何をしたらボスに、その好意を返せますか?」

ボス、照れくさそうに曰く
「これが社員教育さ。俺に好意を返そうと思うなら、学んだことを、是非、君の下の人間、
次の世代に対してに対して教えてあげてくれよ」と。

ある人間から頂戴した好意をその人間に対して返すだけでは、好意のサイクルは閉じてしまう。
我がボスのような行動をペイ・フォワードというのだろう。

今日は、社会人をやっていて忘れがたい一日でした。
さて、自分はどうやったら次の世代に対してボスからもらった好意を伝えることができるだろう?

2008年10月2日木曜日

映画『イントゥ・ザ・ワイルド』を観た



本日、映画『イントゥ・ザ・ワイルド』を
観てきました。

評価:★★★★★

私にとっては素晴らしい映画でした。






主演のエミール・ハーシュさんは今年の
アカデミー賞主演男優賞候補になってもおかしくないと思いました。
この人の主演する作品は初めて観ましたが、若かりし頃のレオナルド・ディカプリオと
リバー・フェニックスに似ている演技派のイケメン俳優です。

よくよくオフィシャルHPを見ると、作品自体がアカデミー賞ノミネートで、そのほか
助演男優賞候補としてハル・ホルブルックというひとがノミネートされていました。
※この人の演技も素晴らしかった・・・ノミネートに納得です。


私はこの作品を実際に観るまでは、予告から
「馬鹿なエリート大学生が、左翼思想よろしく現実逃避で自然と戯れ、最後は死んじゃう」
御馬鹿シリアスストーリーだと想像していました。

でも違いました・・・御馬鹿は私のほうでした(爆)。

話はそんな単純なものではなく、自分の人生を引き受けるために、
自分がいる場所を自分の場所として再認識するために、
敢えて過酷な自然と向き合う決意をした主人公の壮絶な生き様を描いた話です。

主人公は家庭に複雑な事情を抱えて、小さいときからずっと苦悩しています。
納得がいかないと思いつつ親に対する義務感から大学を優秀な成績で卒業しますが、
卒業(諸々の義務からの解放)と同時に、義務感からではなく己の自由意志で
自分を引き受けるために一大決心をして、荒々しい自然の中に立ち向かっていくわけです。
自然と向き合う中で出会う人間たちや、自然そのものとのやり取りを通して主人公は
自分を自分として引き受けていく。そして最後に、自分に課した目標である「アラスカ越え」の
途中で”自然の罠”によってその生を終えてしまいます。
しかし、その最後は決して後悔に溢れたものではなく、様々なことがらへの感謝に溢れている。
道半ばにして倒れてしまうが、それでも自分は自分の人生を生ききった、という充実感に包まれ
短い人生を終える姿に私は非常に心打たれました。

文句なしの傑作です。


ところで、この映画を観ていて色々感じるところがあったのですが、
それは何かと言うと・・・
「もしかして、厳しくはあれどWildという名の自然の方が、
ある意味で人間には優しいのではないか?」

「いまの社会、ひいては人間が作った文明というのはそこで生きる人たちに
自然以上の厳しい人工的な荒地の役割をはたしてしまってはいないだろうか」?

ということです。


一般的に人類は自然の中で生き延びるために文明を作り上げて
人間が生きやすい人工的な場所をこの世界に作ったはずです。
ですが、この人工的に作られて場所は時がたつにつれて、ある意味では人間にとって生き辛い、
その中で生き延びなければならない自然以上に過酷な環境と化してしまったのではないでしょうか?

だからこそ主人公のクリスは、自分を自分として引き受けられる安全な場所としての
過酷な大自然を選んだと思えて仕方がありませんでした。


映画の最後に、この話の元になった実在の方の写真が出てきます。
亡くなったバスの前で撮られたその写真には、
「自分は自分を取り戻した。自分はこれで自分の置かれている環境を・
人間関係を引き受けることができる。俺は勝利したのだ!!」とでもいうような
力に満ち溢れた顔が映っていました。

その顔が今でも私の頭から離れません・・・。