2008年9月22日月曜日

梅田望夫さんを読み返す(3)


盆に取れなかった休みを、明日に回したおかげで
今週の土曜日から私は4連休(夏休み)を迎えています。

既に2日過ぎましたが、振り返ってみれば
「食う・寝る・読む・観る」しかしていません。
でも、ストレスフリーで快適なわけです。


さて、今回のエントリーでは前回の連休に引き続き、
継続して読んでいる梅田さん関係の本をレビューします。





今回読み返したのは梅田さんの対談本第一弾である『ウェブ人間論』です。


まず、個人的な評価ですが・・・。
評価:★★★★☆

私にとっての評価は四つ星で、非常に啓発されるような箇所がたくさんありました。
また、世代が私と近い平野さんが対談相手ということもあり、
議論の方向性も非常に楽しめました。
ただし、対談本だからしょうがないのですが、あるテーマについての話が
その場の雰囲気や質問などで「もうちょい深堀してチョーだい」と思う箇所が
幾つかあった点を考慮して星を一つ減らしました。

さて、この本の面白さですが、ウェブ進化に対して物の見方が異なる二人が、
様々なテーマについて思い切って踏み込んで議論しているところだと思います。
議論の途中で梅田さんがウェブ進化論では見せなかったような一面を出していたり、
平野さんが文学者としての柔らかい感性で様々な質問をしてみたりと、
読みどころ満載です。

ただし、対談本ですから、ウェブ進化論以上の最新情報についてはあまり出てきません。
その辺に期待する人がいたらこの本の趣旨はそこにはないことだけは申し上げておきます。


ブログであることをいいことに(私が編集者という意味)勝手に脱線しますが、
私は昔、平野啓一郎という小説家が好きではありませんでした。
平野さんは1975年生まれ、私は1978年生まれと年が近いこともあり、
デビュー小説で芥川賞をとった頃から注目していました。

しかし、デビュー小説の『月蝕』を読んだ印象が
「こいつ何言いたいんだ?ポストモダンの西洋かぶれか?」というレベルだったので
その後はしばらくご無沙汰でした。

ですが、最近、YouTubeで瀬戸内寂聴さん、美輪明宏さんの3人で
対談しているVTRを観て
「なんか昔に比べて大分優しくなったなぁ。
昔から知識豊富なだけに発言が知的で面白いなぁ」と再び興味が湧いていたわけです。
※芥川賞受賞当時の写真を見ればわかるように、
  昔は全てが敵(もしくは馬鹿)という印象を与える顔つきをしていた(笑)。
 
彼の評論や小説を最近、チョビチョビ読んでいますが、
常に冷静で言葉を一つ一つ選んで書いていくスタイルは非常に知的でスリリングです。
そのうち彼の作品はこのブログにも取り上げる予定です。


おお・・・かなり脱線した。

この本のレビューに戻ります。

本書において、梅田・平野両氏のネットの革命的潮流に対するスタンスは以下のとおりです。


梅田さん
⇒ウェブを中心とした社会変化は不可避であり、否応もなく巨大だから
  そんな潮流において個人はいかにサバイバルすべきかを最優先に考える


平野さん
⇒社会がよりよき方向に向かうために、個人には何が出来るのか、
  もしくは何をすべきかを中心に思考する

私の印象では、梅田さんは「荒波を乗り切るビジネスパーソンの思考」で、
平野さんは「荒波を凝視し、立ち止まって考える哲学者の思考」のような印象を受けました。
これはどっちが良い悪いではなくて、二人とも立ち位置がちょっと違うという意味です。


で、こういう前提に立つ二人が様々なトピックについて議論を進めます。
会話の中身は本書に譲るとして、以下は私が色々気になった
(私のアンテナに引っかかったという意味)言葉を列挙していきます。


・自分の絵が未来に残るためには自分より若い人たちが評価してくれなければならない
 →梅田さんが、ウェブ進化論にてこれからは自分より若い人と時間を過ごそうと決めたわけ

・作家でもアカデミックな世界の研究者でも、知ってる、ということだけでは、もう威張れない。
 ネットの検索機能を利用すれば、誰もがその知識にアクセスできるわけですし、
 瑣末な知識は網羅的な知識の小tょ腕はなくて、たまたま知ることとなった一知識でしかない。

・英語圏やフランス語圏というのは、ネット上の言語の大陸のようになっていくのかもしれません。
 その中で、日本は国民と言語が一対一対応しているがゆえにある種の孤立を強いられる
 可能性があります。
 →仕事でアメリカ行って自分もそう思った!!情報量の母数が圧倒的に違うし、
  仮に通訳を介すとコミュニケーション時間が英語が使える人の半分になっちゃう。
  ほんと、英語使えないのはまずいと思いました。

・僕にはどうしても、一個の人間の全体がそんなにしぁ快適に有益であるとは思えない。
 僕だってその内実は、他人にとって何の役にも立たない部分が大半ではないかと思う。
 だけど、その役に立たない部分も含めて僕であるし、それをふくめて人とコミュニケートし、
 承認されたいという願望はやっぱりあるんです。
 →ネットだけでつながっている関係は本当のコミュニケーションや連帯感を育むのか?
   実は個々人それぞれの利害ネットワークになってたりしないか?

・僕はネットは誰のためのものか、ということについて、こんなふうに思うんです。
 まず、人間が生まれた時に放り込まれたコミュニティというのは、その人が本当に
 心地よく生きられるコミュニティである保障はまったくないわけです。その齟齬のようなものが、
 家族の中にも、学校にも、地域にも、日本という国にもあり、物理的な大きな制約になっている。
 でもネットでは、自分がいたい場所が選べる。
 →サルトルが言うごとく「人間の存在は、本質に先立つ」んだよね。要は目的が分からない
   自分で選んでもいない場所に気づいたら放り込まれていたのが人間という存在。
   ネットはそこから脱出する一つのツールだということかしら。
   私は自身は「不条理でも与えられた現実を引き受けろ」という考えの持ち主で、
   他人が自分の現実から逃げるそぶりをみると「このヘタレが」と思ってました。
   しかし最近は現実を引き受けられなくて自殺していく人のことを考えると
   とりあえずは、自分がサバイブするために自分と同じ思考をする人たちを見つけるために
   その場所から逃走するのもありかなと思ってたりする。

・自分を語ることは、自分を知ることではあるんですが、同時に
 自分を誤解することでもあると思うんです。
 →確かに!!書いたり喋ったりした瞬間、それって俺だっけ・・・と思ったりしませんか?
  結構怖いことですよね。


・僕は最近、逆説的だけど「たかがネット」と考えることも大切かなと思うんです。
 「たかがネット」って言い方は、ネットの可能性を自ら限定するみたいだけど、
 やっぱりネットが生きる領域は情報までだと思うんですね。
 →このくだりは梅田さんの本音が出ているようで非常に面白い。
   ウェブの潮流をシニカルに見ると進化って言っても所詮、
  情報流通の仕方が劇的に変わっただけだろという見方もあるわけだしね。


上記のほかに色々と私の思考をインスパイアーしてくれるやり取りがあるのですが、
もう私の体力が持ちません。オネムの時間です。
ウルトラマンよろしく胸のタイマーがピッコンピッコンです。
このブログのシステム時計は2時ですが、
日本でブログを書いている私の時間はもう朝の4時です。


この本自体は非常に面白いので是非読んでみてください。
まだ購入されていない方はAmazonでどうぞ。






シュワッチ

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