2008年9月26日金曜日

聖書と私

本棚をあさっていたら、聖書がでてきた・・・。
私は高校時代を私立のキリスト教系の高校で過ごした。
そこでは毎朝、礼拝を行ってから授業が始まる。

キリスト教系の高校だけあって、
礼拝では毎日先生がかわりばんこに聖書の一節読み上げ
賛美歌を歌い、祈祷をしてから授業が始まる。

私自身まじめに礼拝は受けていなかったが、
朝の貴重な時間を無駄に過ごすのもいやだったので、
神話としての聖書を読む時間にしていた。
おかげで高校を卒業するまでの間に聖書を読破することも出来た。

聖書の中の神様を信じることは出来なかったが、
キリスト教という世界を垣間見ることも出来たし、
欧米圏はその文学的・哲学的ルーツにキリスト教が深くかかわっていることも
なんとなく実感できた。

それなにり聖書には人間関係において
原理・原則ともよべるような話が書いてあるのだ。

もう覚えていないが高校生なりに色々と感じるところがあったのだろう。
読み返してみるとあちこちに線が引いてあり、自分が納得できないところには
「神の意図が不明。聖書の時間に牧師と勝負!!」なんていう馬鹿な書き込みがあったりする。


こういう経験が今にして思えば自分を形作ってたのかなぁ、なんて思ったりしている。

聖書の中で私が好きだった「コヘレトの言葉」の以下の箇所に線が引いてある。
懐かしくなったので以下に引用する。
皆さんも自分のルーツが分からなくなりそうになったときは、
息抜きに以下の言葉を思い出してみてはいかがだろうか?


聖書 コヘレトの言葉(伝道の書) 12.1-2より

"青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。
 苦しみの日々がこないうちに。
 「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。
 太陽が闇に変わらないうちに。
 月や星の光がうせないうちに。
 雨の後にまた雲が戻ってこないうちに。"


日常の忙しさにかまけて、自分を自分たらしめている
コア(核)を忘れないようにしたいものだ。

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